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なんか年寄りくさいスレが続いて申し訳ないですが。 私が子供の頃、母親は鶏も鯉もさばいていたし、布団も作っていた。祖母は納豆も作っていた。家には縄をなう機械もむしろを織る機械やその他もあった。 昔の人ってスゴい。 私はパンやケーキくらいは作れるけどね。 何か思い出のスゴいもの、ありますか?
祖父が、二階建ての離れを作ってた。 (ただの戦後サラリーマン定年) 孫の宮付き机3人分全部作った さらに自分で作った二階建ての巨大鳥小屋で飼ってた観賞用の金鶏、銀鶏を死んだ後剥製にしてた おでこに電動丸ノコの刃が外れて飛んできて頭に刺さったけど生きてた 山で捕った雉をさばいて鍋にして食べてた(ほんとはダメだとおもう) いるかを煮て食べてた(これはきっと買ってきてた) 手先が器用なんで戦時中は人の手を縫い合わせてたりしてたらしい。 曾祖母は、小学校のイベントで「わらじがいる」と悩んでいたら普通に編んでくれた
90歳の祖母も鶏を捌いた事はないと思うわ。 冷蔵庫も洗濯機もない世界ってどんなだろ?と思う。 昔の主婦はたいへんだったよねぇ
>90歳の祖母も鶏を捌いた事はないと思うわ。 言わないだけでした事あるかも。 だって、戦後前までは普通の事だったと思うよ。 ただ、祖母様は食料がまだ豊富だった時は子どもだったと思うので 率先しては無いと思うけど、お手伝いならあるかもって思った。
どこの国だったか忘れたが、子供時代に読んだ本に、ピクニックに家族で出掛ける時子羊を連れて行き、現地で捌いてか焼くだったかして料理する、というのを読んだことがある。野菜も持参するらしい。 >>90歳の祖母も鶏を捌いた事はないと思うわ。 > >言わないだけでした事あるかも。 >だって、戦後前までは普通の事だったと思うよ。 >ただ、祖母様は食料がまだ豊富だった時は子どもだったと思うので >率先しては無いと思うけど、お手伝いならあるかもって思った。
私は50代ですが、私の世代の親達世代は、洋裁とか和裁等の、色々な手仕事ができる女性が多かったんじゃないかなぁ・・って思います。 お嫁入りのための教養というか、花嫁修業みたいなもので。 茶道等と違う、生活の為の教養、みたいなの。 私の実家の母も、和裁と編物を習っていたので、布団を誂えたり、ちょっとした着物は縫ってくれていました。 冬はセーター等を編んでくれたり。 流石に振袖は難しいからと、呉服屋さんで誂えてくれました。 半纏なども、母のお手製だったなぁ・・・。 今は、布団は買うものですしね。 母が布団の綿を足す作業をするのが大変そうだったなぁ・・って懐かしいです。 もう、80歳を過ぎているので、和裁もしないけれどね。
80過ぎといえば、曾祖母ちゃんの年齢。 曾祖母ちゃんの感覚の話なんだなと聞けばいいのか。
>80過ぎといえば、曾祖母ちゃんの年齢。 >曾祖母ちゃんの感覚の話なんだなと聞けばいいのか。 私の母は80歳で私は50なんだけど、私にとっての母の年齢があなたにとっての曾祖母の年齢なの? たしかに私は末っ子だから当時としては母は遅く産んだほうだとは思うし、私も29と31と34で子ども産んだので普通とは思うがやや遅い自覚のあるけど、それにしてもあなたは私の子どもたちのさらに子ども世代、つまりは私の孫世代なの??? イヤ、突っ込むとかじゃなくて、とにかくびっくりしたもんで。
>80過ぎといえば、曾祖母ちゃんの年齢。 >曾祖母ちゃんの感覚の話なんだなと聞けばいいのか。 あなた何歳? ヤンキー上がりのママか?
>80過ぎといえば、曾祖母ちゃんの年齢。 >曾祖母ちゃんの感覚の話なんだなと聞けばいいのか。 例えば、曾祖母ちゃんが16歳で娘を産み、その娘は18歳で娘(孫)を産んだらその時点で曾祖母ちゃんは34歳でおばあちゃん。 さらにその娘(孫)が18歳であなたを産んだら、曾祖母ちゃんはひ孫が産まれた時点で54歳。 あなたがいま26歳だとしたら、曾祖母ちゃんが80歳というのも不思議ではない。 まあ、不思議ではないしあり得る話なんだけど、普通ではないよね。
子どもの頃、おばあちゃんと一緒に敷布団を作った。 古い布団をほどいて、綿を打ち直しに出して、 戻ってきたふわふわの綿を、縫った側生地の上に少しづつ重ねて作るの。 綿を止めるときに、中に針が入って出てこなくなっちゃって焦ったわ。 古い布団の綿を打ち直すって、今では想像もつかないよね。 うちは田舎だったし、祖母と同居だったから、 同年代の街育ちの夫の子どもの頃と比べると 10年くらいは遅れた生活してたみたい。
祖父母の家が五右衛門風呂でした^^;
そういうのは、どういった建物になっているの? 身体を洗う場所もあるんでしょうか? すみません、悪い意味で無くて、造りがどうなっているのかな、と思ったもので。 >祖父母の家が五右衛門風呂でした^^;
はっきりとは覚えてないけど、 家(と言っても古民家)の中の普通のお風呂場で、洗い場もあって、ただ風呂かまが五右衛門風呂だったの。 風呂かまの下にかまどがついていて、お風呂場の外側から薪をくべると風呂かまの底に火が当たるようになってた。 お湯に入る時は、熱くないように板をお湯に沈めて、その板の上に乗るようになってたよ。 初めはちょっと怖かったよ(笑)。
私のひいおばあちゃんは畑を大事にしていた。 わたしが当時7〜8歳ぐらいで、お婆ちゃんは既に70歳は越していたと思う。矍鑠としていて毎日畑に出ていた。 畑をほじくり返すカラスに随分腹を立てていて、ある日 「カラスにわからせてやらんといけん。」と言って 烏にシュッと石を投げた。 命中してどさっと音がして烏は絶命した。 初めて目の前で見る烏は不気味だったけど、ばーちゃんは烏を逆さにして脚を藁で括って畑の真ん中に鉄の棒を立てて吊るした。仲間への見せしめなんだとか。 それ以降烏はしばらく飛んでこなかったけど、どんどん傷みを増していく烏の状態に私は慄然となったよ。 宮本常一さんとも、ばーちゃんは何の人やらわからないけど昔に話をしたこともあったとか。
流れ読まないレスで悪いけど、義母が作ってくれた綿の夫婦布団、心底いらないと思った。 まだ羽毛布団は贅沢だったので羊毛布団が主流だったけど、綿の重い布団より快適だった。 私は重い掛布団は息苦しくて仕方なかったし、夫の布団は長めにしてくれたので、これまた上げ下げが重い。干すのだって引きずらないようにするのが大変。 それでもがんばって3年使った。
親ならまだいいけど、夫の親…。 今もらったらうなされそうだね。しかも重い…。 ごめん、朝ドラの、えりもとにビロードが付いたやつを想像したわ。 >流れ読まないレスで悪いけど、義母が作ってくれた綿の夫婦布団、心底いらないと思った。 >まだ羽毛布団は贅沢だったので羊毛布団が主流だったけど、綿の重い布団より快適だった。 > >私は重い掛布団は息苦しくて仕方なかったし、夫の布団は長めにしてくれたので、これまた上げ下げが重い。干すのだって引きずらないようにするのが大変。 > >それでもがんばって3年使った。
>流れ読まないレスで悪いけど、義母が作ってくれた綿の夫婦布団、心底いらないと思った。 >まだ羽毛布団は贅沢だったので羊毛布団が主流だったけど、綿の重い布団より快適だった。 > >私は重い掛布団は息苦しくて仕方なかったし、夫の布団は長めにしてくれたので、これまた上げ下げが重い。干すのだって引きずらないようにするのが大変。 > >それでもがんばって3年使った。 綿の布団なんて子供の頃でも使ったことないわ。 すごく重いですよね? お年寄りの家のイメージしかない。 掛布団も綿なんですよね? 羽毛布団でも子供の頃に使っていたものと今のものじゃあ重さも暖かさも違いますよね。
思い出したわ。 母が布団を作っていたのを・・ 着物もワンピースも作ってたし、 セーターは解きなおして 私の両手に、毛糸をぐるぐる巻くの。 そしてまた新しいセーターを作る。 何でも出来た母なのに、私は家事が全然出来ない。 鶏も飼ってた。ひよこから育てるの。 最初は黄色でめちゃ可愛いんだけど、だんだん不気味になる。 毎朝新鮮な卵を食べて、最後は父が。。チーン。 父は椅子とか庭に木のおもちゃを作ってくれた。 夫は庭にブランコを作ってくれた。 私は子供の転落防止の安全柵を作った。 娘は今自分の下着を作ると言って張り切ってる。
うちの母は不器用で、特に何か技能的にすごいと思うことはない。 でも掛け布団カバーをしてから、ちょうど襟元?が当たって汚れるところにタオルを縫って、何か月かに一回洗ってた。 座布団も汚れるから生地を買ってきて、袋に縫って本体を入れてからまた縫う。 そういうものを洗ってこざっぱり使わせてくれた。 枕カバーもタオルで工夫してたと思う。 今はファスナーついたりしている便利な市販品あるし、枚数用意したり気軽に買い替えたりできる。 昔は工夫してまめにやってたよね。
私、52歳。 亡くなった母は昭和7年生まれで、祖母は明治39年生まれでした。 祖母は私の浴衣を縫ってくれましたし、母は足踏みミシンで私のワンピースを作ってくれたり、私の子どものおしめを手縫いで作ってくれたり。 既製品が少ない時代でほとんど自分で縫うしかなかったんですものね。 そういう意味では昔の人の方が断然器用だったと思います。 おしめ縫ってみろって言われても、私には縫えない…。
ただまっすぐ縫うだけだから出来るよ。 > >おしめ縫ってみろって言われても、私には縫えない…。
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