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大津綾香 独占インタビューのメインビジュアル

現代が抱える「少子化・子育て問題」に取り組む

日本政治のメインストリームでは、岸田文雄内閣総理大臣が9月、内閣改造と自民党の役員人事の刷新に着手。9月13日に第2次岸田内閣を発足させた。その目玉の1つは、上川陽子外務大臣を始めとする過去最多の5人の女性大臣。内閣改造後の岸田内閣への支持率は、さらに低下するなど、国民の評価は今ひとつだが、この5人の女性閣僚を起用した点については、概ね高評価を受ける結果となった。

そんな時世の中、別の角度で女性政治家として注目を浴び始める人がいる。
大津綾香、30歳。前政治家女子48党で、11月6日から改名した党のみんなでつくる党の党首だ。

幼少期は子役として活動して、2002年からの3年間は、NHK『週刊こどもニュース』に、ジャーナリスト池上彰の娘役として出演。建築デザイナーだった今年1月に、YouTubeで政治団体「政治家女子48党」の候補者応募広告を見かけて、応募し入党。3月8日に、当時のガーシー(東谷義和)参議院議員が、国会欠席を続けて懲罰処分を受けることになり、NHK党立花孝志党首が引責辞任。党名を「政治家女子48党」に変更するタイミングで、いきなり新党首にまで抜擢された新人政治家である。

4月には、いきなり神奈川知事選に立候補(落選)。続いて東京都目黒区議選にも出馬して落選と、まだ議員の肩書は手にしていないが、それでも精力的に政治活動を行う毎日。公式ツイッターはフォロワーが3万2000人以上となるなど、日進月歩で注目度を上げている。

現在、党代表権を巡り立花氏と法廷で争っているが、申請していた党名変更届が総務省で受理され新しい党名を「みんなでつくる党」へ変更され、9度目の党名変更となった。

そんな大津氏にこの度、独占インタビュー。政治家を志してからのここまでの経緯や、「少子化・子育て問題」、「若者の雇用問題」など、現代が抱える社会問題について語ってもらった。

政治家になった理由とここまでの経緯

政治家になった理由とここまでの経緯

――まず、大津さんはどんな学歴、経歴を経てきたのですか?

神奈川県内の不動産関係の会社を経営する父と母のもとで生まれて、小中高全てで受験を経験して、私立校に通っていました。子供のころは子役をしていたのですが、そのことで同級生だけでなく、先生たちからも嫌みを言われるような、いわゆる“いじめ”に遭いまして。

しかも、学校とお仕事で寝る間がないほど忙しくて、小中学生のころに「私って、何のために生きているんだろう」って疑問に思うようになって、芸能活動を辞めました。

高校は海外留学が出来る学校を選んで、入学後すぐに米国に留学。短期の予定で飛んだのですが、すごく居心地がいいと感じて、現地の学校関係者に思いを伝えたら、「じゃあ、本格的に留学していいですよ」と歓迎してもらったんです。

――風土が合ったのですか?

他人の目を気にしないでいい。人それぞれの個性を認めてくれて、たとえ反対意見でも気兼ねなく言い合える環境だったんです。日本の同調圧力的な空気が一切無くて、「ここなら自分を自由に表現できる」って、すぐに分かったんですね。ただ、日本で入学した高校から「長期留学は認められない」と言われてしまって、仕方なく中退して、改めてハワイのハイスクールに留学しました。すごく充実した学生生活でした。

――帰国後は、日大芸術学部デザイン学科に入学されました

父の仕事もあって、私も将来は建築関係で働くだろうと、何となく思っていました。ただ、どうせなら、建築のデザインを学べる学校がいいと思って、日芸に進学しました。結局、大学は中退したのですが、その後は父の仕事を手伝う形で、建築デザイナーとして飲食店などを作ったり、ラブホテルの設計なんかも経験しました(笑) 建築現場にも、よく出ていました。

――建築デザイナーとして成功していたのに

――建築デザイナーとして成功していたのに、なぜ、突然政治家に転身したのですか?

私と同年代の人たちは、政治の話をすることって、どこかダサい、かっこ悪いって感覚があるというか。飲みに行ったり、お茶するときに、政治の話なんて、まずしないですよね(苦笑い)。でも、私は、もともと政治もエンターテインメントの1つとして好きでした。テレビだけでなくてYouTubeでも政治関連の動画を良く見ていたんです。そうしたら、昨年末に候補者募集の広告を見かけたんです。

もちろん、それまでは興味はあっても、自分が政治家になれるなんて想像することも無かったです。普通に生きていて、そんな思いに至らないですよね。そもそも、立候補の方法すら、学校で教えてくれることも無かったから、分からなかったです。

でも、だからこそ、YouTube広告で「誰でもなれるよ」なんて書いてあって、しかも「区議会議員は、(会期日数は)年間50日しか行かなくていいし兼業可」とまで。私は、自分の時間が欲しいタイプだったので、自由の利く父の会社で働いていたぐらいなので、「えーっ、そんなものでいいの? じゃあ、建築の仕事をフリーで受け続けていれば、生活費にも困らないし、私でもやれちゃうかな?」って、本当にそんな軽い気持ちで応募ボタンをポチって押したんです(笑)

そもそも、候補者に選ばれるまでには何度も面接があるわけだから、私自身の適性は自ずと判断されるわけだし、そんな簡単にはなれないだろうって思っていました。そうしたら、面接も一切無しのまま、2日後にいきなり立花さんから「候補者になりました」と連絡が来て、そのまま「どこの選挙区から出るか今ここで決めて」と言われました。私は港区に住んでいたのですが、すでに別の立候補者が決まっていたので、「1月13日の記者会見前までに目黒区に引っ越して」と、当時からムチャクチャな指示でした(苦笑い)

いきなり国政に出るとなると、国防とかの知識も無いので躊躇したと思うのですが、地方議員だと、自分の暮らしにより身近な問題に携われる。それならば、議員になってからでも学べるかもという思いもありました。

候補者に選ばれて

――ところが、1月に候補者に選ばれて、目黒区議会議員選挙への立候補が決まった1か月半後には、予想もつかない展開となりました。3月8日に、NHK党の立花党首が辞任して、党名を「政治家女子48党」に改名。後任に大津さんが指名されました。議員未経験、政治活動を始めてもいない段階で、いきなり党首となる仰天人事。よく受諾しましたね

立花さんに「なぜ私なんですか?」と尋ねたら、「池上彰の娘は、ほかにいないから」と。(広告塔にもなれる傀儡の党首という立花氏の)思惑は承知の上で、チームワークさえあれば、私でもやれるんじゃないかって思ったわけです。

――神輿に担がれることを認知した上で受けたのですね

はい。もちろん政治はド素人ですが、教育とか雇用とか、常々身近で感じていた問題を周囲に伝えて、みんなで政策を練っていって、女性が今まで以上に活躍できる機会を作っていけたら、素晴らしいなと。偶然の連続とはいえ、そんな機会が巡ってくることは、一生のうちそう何度もあることじゃないですし、「では、お願いします」と。まぁ、単純に、そこまで大きなことだという自覚が無かった部分もありました(笑)

――しかし、本格的に大きな渦に巻き込まれるのは、ここからでした。党首になって1カ月もしないところで、代表権のない前党首の立花氏が、大津さんの党首職解任と除名を表明。代表権を持つ大津さんが、それを否定して、長い戦いに入っていきました。なぜ、諦めずに戦い続けているのですか?

私は、おかしなこと、理不尽なことは絶対に放っておけないタイプなんです。

立花さんは、党の資金がショートすることを見越して私を党首にして、責任を押し付けてきました。党のお金の流れがどうなっているか確認したくて「会計資料を見せてください」と言ったら、「見せない」と拒否されました。次々と疑問や矛盾が出てきて、それを私が指摘したら、辞めさせようとしてこられて。でも、私を党首にするときに、代表権までつけたのは、立花さんの失敗でしたね。後になって「党首として手当を払うから、代表権を返してくれ」と言ってきたり、「代表権を2億円で買い取る」という話まで。党の資金が無いのに、2億円なんて(苦笑い)

言い分があまりにおかしくて、拒むといろんな攻撃をしてきて、たしかに本当に春からこの夏まで、本当に疲れました。でも、私は「おかしい」と思ったことを指摘しただけで、ただただ不正疑惑をはっきりさせたいだけです。こんな怪しい状況をそのままにしたら、政治に携わる資格なんて無くなってしまいます。

エネルギーと政治への強い決意です

――昨年末に軽い気持ちで政治の世界に入った人とは思えない、エネルギーと政治への強い決意です

私は、おかしなことを放っておけないタイプであると同時に、おもしろいことが大好きなんですね。あまりに変な攻撃をしてくる(立花さんに)どう対抗していけばいいのか、どの制度を武器にできるのか、どの人を動かせばいいのか…。ある意味、リアルなシミュレーションゲームみたいに感じているんです(笑)

チンピラみたいな脅しもかかってきたりして、嫌なこともたくさんです。裁判で判決が出るまで長い期間がかかることも考えるとうんざりしますけど、みんなが期待している政治ってそういう「おかしなことを正していく」ってことだと思うんです。ここは負けられません。

48人もいた女性候補者の中から、よりにもよって、絶対に諦めない性格の私を党首に選んでしまうなんて。立花さんにとって、私はたった1枚のジョーカーだったと思います。ババを引いちゃいましたね(笑)

――問題解決まで、まだ時間はかかりますが、明るい未来は描けていますか? この夏は、前明石市長の泉房穂氏、自民党あさお慶一郎参院議員ら、政治家の先輩たちに会いにも行かれています

こうやって堂々と戦っていると、賛同してくれる人もたくさん出てきてくれるんです。そのおかげで、いろんな方々に引き合わせていただくことにもなりました。だから、日に日に、一緒に世の中のおかしなことを変えていきたいって思えるようになってきています。

米国のオバマ元大統領が、トランプ氏が次期大統領に決まったときのスピーチで「ある者が前進と思うことが他者には後退なこともあるが、それでいい。国が辿る道はジグザグだ」ってスピーチされていたんですね。ジグザグ(紆余曲折)に進んでいるように見えてても、必ずいい方向に向かっているって意味です。だから、この戦いを不毛に見る人もいるかもしれませんが、必ずいい未来への前進だと、私は信じています。

現在は、会計責任者の変更と政治資金管理団体を新しいものにする申請をしています。そして、ある大きな変化の準備も進めています。近いうちに正式発表するつもりですので、少しだけお待ちください。とにかく、過去の不正を暴いて、お金の流れをクリーンにした政党として、再出発するつもりです。

今後はどの選挙に立候補するつもりですか

――まだ議員にはなれていませんが、今後はどの選挙に立候補するつもりですか

個人的には、実体験からくる身近な社会問題にすぐに取り組めるのは地方議会だと思いますが、大前提として、私にゆかりのある土地で立候補しなければと思っています。ただ、しばらくは地方選が無いのが現状です。党の認知度を広めるためにも、もし近くに衆議院解散選挙となれば、そこに打って出ることになります。そして、2025年の参議院選挙を大一番と見据えています。

――当分、忙しくなりますね

今年はずっと走り続けていたので、9月に少しだけお休みを取って、タイに1人旅行に行ってきました。疲れ切っていたので、どこも観光に出歩かずにマッサージ受けて、ホテルでボーッとしていました。頭を一旦整理して、自分の今後の人生についても考えました。

今までは「何もしない自分だけの時間」というのも大切にしていたんですけど、20代で遊びきった感もあります。ここからの30代は戦い続けようと、改めて決意してきました(笑)

――最後に、ここまでアグレッシブに戦い続け、精力的に活動する理由を教えてください

私は、すごくシンプルです。

おもしろいことが大好きで、気持ち悪いことが大嫌い。

その気持ちに従って生きているってことです(笑)

政策について

政策について

――春以降、立花さんとの戦いも続く中、政治活動家として、前明石市長の泉房穂氏らを訪問して、教えを授かったことなどをSNSで報告されています

実は、公表している以外にも、何人もの元女性議員の方や、各地で活動されている政治家の先輩方にお会いさせてもらっています。諸事情で名前を出せないけれど、「応援します」と言ってくださる方々もいらっしゃって、おかげさまで毎日充実した日々を過ごさせていただいています。

――また、特に「子育て」や「少子化」問題に関連する街や施設の訪問もしていますね

はい。この夏は、群馬県前橋市の赤城少年院も訪問させていただきました。ここは東日本で唯一の小学生(14歳未満)の受け入れを行っている少年院です。昔は暴力事件などで少年院に入る子が多かったのですが、近年は詐欺などの犯罪で入所する子が増えています。そして、ネットを通じたやりとりばかりのせいで、コミュニケーション能力の発達障害も多いそうです。

だから院では、子供たちが「学ぶ楽しさを学ぶ」ようにと努力されています。彼らが育てたジャガイモは、地元のスーパーで売られています。また、彼らの展示物も、とてもアーティスティックでした。気持ちよく学べる機会さえ整えてあげたら、可能性はいっぱい。「自分で考える力を育てる」。大人たちの導き方次第で、いろんなことが広がる。現代の少子化、教育問題へのヒントがたくさんある場所でした。

また、兵庫県尼崎市のユース交流センターも見学しました。青少年の健全な育成や福祉の増進。市内の青少年の居場所づくり事業に取り組んでいる施設。若者たちが、自らアイデアを出して、運営しているんです。かつては、虐待を受けていた児童やヤングケアラーたちが、その経験を生かしてボランティアでカウンセラーなどもやっていました。素晴らしい場所でした。

いわゆるサポートステーション(サポステ)ですね

――いわゆるサポートステーション(サポステ)ですね

両親の共働きが当たり前になる中で、地域が子育てをサポートしていく形は、これからの日本にとって、とても大切な方向性だと思います。ほかにも、子育て世代の転入者が年々増えている、千葉県流山市の子育て・教育政策なども勉強させてもらってきました。

まだまだ数は足りていないですが、そういう地域や施設はあるんです。

そして、今年度からは「部活動の地域移行」がスタートしましたが、教育も学校教師だけに頼らず、専門家を招くための予算などは、各地域で用意されていたりもするのです。ところが、「子育ては母親、教育は学校教師」といった前時代的な感覚のままでいる地域も、まだまだありまして。

そんな良い制度、良い施設はともに、なかなか広く認知されていない、伝わっていない部分があるので、私はその存在や活かし方を広めていくことも、政治家としての役目なんじゃないかなって考えています。

もちろん、私はまだ知識が豊富なわけではないし、広い人脈があるわけでもありません。だからこそ、私もいろんな人に会いに行く、いろんなところに足を運ぶことで、国や街を良くするいいアイデアや言葉をいただけます。やっぱり現場で働く方々の声を聞いて回りたいんです。

――最近では、中学受験の大手塾講師が女子小学生の生徒にイタズラしていた犯罪がありました。子供を守る体制自体も足りない部分があるかと

性犯罪歴のある元教員の復職を制限する「教員による児童生徒性暴力防止法」が、昨年から施行されていますが、これも抜け穴だらけですよね。学校に復職できなくても、塾や予備校でなら簡単に働けるでは、本当の意味で子供を守れる法律にはなっていません。

子育てのばらまき政策と同じで、形だけじゃダメなんです。中身の伴った制度を作らなきゃ。

そういう政治活動を進めていく上で

――そういう政治活動を進めていく上で現実の生活に一番直面している女性の声は必要かと

はい。子育てをとっくの昔に終えた高齢の政治家が、本当に今の現場のニーズに応える政策を考えられるか。そして、最優先で取り組んでくれるはずもないですよね。しかも、おじさん政治家の中で、子育てを奥さん任せにしないで、深く取り組んでいた人がいるのかって言ったら…ですよね(苦笑い)

しかも、ますます高齢化社会になって、選挙での投票を考えたら、高齢者向けの政策ばかりになってしまいます。だけど、それが今後の日本のためになるわけがない。

資源がない、土地も広くない、高齢化が進む今の日本で、本当に希望なのは子供たちです。税金で集めたお金の配分を、大人たちの余りある時間を、もっと子供たちに向けなければいけないはずなんです。

実際、高齢者の中にも、若者が想像以上に貧しくて苦労している現状をお話すると、「なるほど、なら協力したいわ」と言ってくださる方々もいらっしゃいます。だから、まずは現状をしっかり伝えていくこと! まだ経験の浅い私でも、そこからはできると思っています。

権力を握っている政治家たちに、給与削減や議席数削減などの「身を切る政策」だけを求め続けていても、一向に進まないのが現実です。だから、そこに必死になるだけじゃなくて、同時に教育制度を変えていくことに一生懸命励みたいです。

一人ひとりの子供たちが、周囲に流されるのではなくて、自分の頭で考えて、おかしいことはおかしいと言えるような教育をしていくこと。時間はかかるかもしれませんが、これが将来の日本をより良く変えていく、大切な方法なんじゃないでしょうか。

今はまだ、若者たちが政治の話をすることは稀で、選挙に投票に行く人も多くありません。でも、教育の段階から、そこの意識を変えていけばいい。政治参加は普通のことだと、教えていけばいいんじゃないかと。

大学生や20代の人たちも、やがて結婚して子育てを始めたら、「もっといい環境を、いい制度を」って身近な問題になっていくわけですから。決して不要なことじゃないんです。

――そういう若者に政治に関心を持ってもらうためには「雇用」や「転職」問題にも取り組まねばなりません

ここはすごく難しい問題だと思っています。人手不足、昇給、外国人労働者…。いろんな要素で直面する問題があって、今の私では、まだ何が正解かは一言では言えないです。それこそ、周りの人たちとたくさん話し合っている最中です。

転職については、昔に比べてネット(アプリ)で見つけやすくなっています。私の活動を手伝ってくれる人たちも、ツイッターで見つけているぐらいです(笑) でも、見つけた後に信頼関係を築いていく作業が大変なのは、いつの時代でも同じです。

――新しい雇用を生む1つとして「カジノ法案」もありますが

経済のため、雇用機会を増やすことを考えたら、カジノを受け入れるのはありかと思っています。町の発展に貢献することも可能です。

ただ、子育てをしている人たちが、カジノのある街に積極的に住むかといえば、ためらう人、避ける人も出てくるはずです。だから、例えば、シンガポールのように外国人限定のカジノにして、インバウンド需要に対応するとか。より検討していく部分が必要だとは思っています。

無名の一般人だった大津氏の知名度は、2023年だけで多くの人が知るところとなった。ただ、決して“シンデレラストーリー”といえるような華やかで、幸せな成功だけを享受しているわけではない。むしろ、茨の道を歩んでいるといっていいかもしれない。

それでも、覚悟を決めて前進する大津氏の目は生き生きとしている。「おかしいことはおかしいと言う」、「正しいことをしていくだけ」。シンプルで揺らぎのない信念を携えて、本当に政治の世界で活躍するのは、これから。

その未来の可能性は、大津氏にも我々にも計り知れない。