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彬子さま 弔問に訪れた母・信子さまを“玄関払い”…溝を深めた

0 名前:匿名さん:2024/11/26 08:57
ご身位や慣例からいえば、寬仁親王妃の信子さまが喪主を務めるはずですが、三笠宮家にはそうならない複雑な事情が長年にわたって存在しています。信子さまは、百合子さまのご容体が悪化し、ご入院先の聖路加国際病院にご親族が集まるなかでも、お見舞いにいらっしゃることはありませんでした。

15日に信子さまは、両陛下や上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と愛子さまに続く形で、三笠宮邸へ弔問に訪れています。しかし、玄関で宮務官らに労いをお伝えになっただけで、百合子さまのご遺体には対面しておられません。文字どおり、“玄関払い”されていたのです。信子さまは斂葬の儀にも参列されず、行事の後にお墓参りされることになるのでしょうか……」


彬子さまと妹の瑶子さまは、なぜ信子さまが百合子さまと対面することを許されなかったのか。寬仁さまが薨去されてから3年後、月刊誌に寄せた彬子さまの手記に、複雑に絡み合った対立の発端を窺うことができる。

《寬仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙(わた)る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた》(『文藝春秋』2015年7月号)

豪放磊落な言動で、“ヒゲの殿下”と国民に親しまれた寬仁さまは、1980年に信子さまと結婚。彬子さま、瑶子さまがお生まれになり、信子さまは家庭料理などのレシピ本を出版されるなど、円満で温かな家庭を築かれているとされていた。

しかし、信子さまが寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)を“病気療養”という理由で出られたのは2004年のことだった。前出の皇室担当記者は、

「この“家出”は、寬仁さまとの夫婦仲が極度に悪化したためでした。寬仁さまのアルコール依存症の治療を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったと報じられてきました。ですがお嬢さま方は、寬仁さまを心底敬愛されていましたし、“病気の父を置いて家を出るのは許せない”というお気持ちを抱かれていたと伺っています。

寬仁さまが薨去された翌年、信子さまはご公務に復帰されていますが、それにあたって三笠宮ご夫妻が対話を求める手紙やファクスを送られても、信子さまは無視され続けたのです。

こうした信子さまの頑ななご姿勢に対して、百合子さまや彬子さまと瑶子さま、百合子さまの長女・近衞甯子さん、次女の千容子さんも加わり、さながら“包囲網”が形成されてきたのです。

また昨今の彬子さまは、NHKの密着取材に応じられるなど、積極的にメディアに登場されています。しかし出演にあたっては、“母の写真や映像はいっさい使わないでほしい”と必ず各社に要望されているとも聞きます」(前出・皇室担当記者)女性自身


根深いね

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