NO.6657258
火垂るの墓
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0 名前:母:2018/04/12 16:20
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9時からありますね。
見ますか?
あまりにも胸が締め付けられるので、見れないです。
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1 名前:母:2018/04/13 20:19
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9時からありますね。
見ますか?
あまりにも胸が締め付けられるので、見れないです。
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2 名前:わお:2018/04/13 20:23
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>>1
火垂るの墓は、何度か見たので見ません。
WOWOWで変態仮面見てます。
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3 名前:ドロップ:2018/04/13 20:28
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>>1
私も、辛すぎて観られません。
でも人は一度は観るべきだと思います。
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4 名前:うん:2018/04/13 20:46
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>>1
実際はもっとひどい兄だったと。
泣いている小さい妹に手をあげたり、食べ物を分けてやらなかったり。
その罪悪感から兄を実際より美化して描いた物語。
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5 名前:猫は生きている:2018/04/13 20:46
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>>1
見たことないし今後も見ないと思う。
子供の頃から夏になると戦争関連の映画や人形劇を見たり物語を読んだりしなければならない環境にいたのでじゅうぶん身に沁みてる。
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6 名前:見ないよ:2018/04/13 20:52
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>>1
もう何度も何度も見たし、見るとしばらく立ち直れないからね・・・
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7 名前:まさか:2018/04/13 21:18
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>>1
見るわけないじゃん。
吐き気がする酷い映画だ。
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8 名前:見てる:2018/04/13 22:50
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>>1
>9時からありますね。
>見ますか?
>
>あまりにも胸が締め付けられるので、見れないです。
大嫌いなんだけど
何年か間あけてやってるとつい見てしまう。
見るたびに感想が変わるんだよな。
子供のころ独身のころ
結婚してから子供生まれてから
子供が節子くらいの年
そして今清太の頃。
やっぱり嫌い。
またしばらく見ないだろう。
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9 名前:見るたびに:2018/04/13 23:05
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>>1
時代を考えるとクソな兄だなと思って腹がたつんだよね
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10 名前:なんで:2018/04/13 23:40
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>>9
>時代を考えるとクソな兄だなと思って腹がたつんだよね
クソな兄なんでしょう?
レスをみると批判的な言葉があるけど
そんなに腹が立つんですか?
ちなみに、録画はしましたがいつ観れるかわかりません。
録画した価値ありますか?
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11 名前:厳しいよ:2018/04/13 23:53
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>>10
14歳に求めすぎな人もいるね。
中学2年くらいなんてそれでなくても扱い
づらい時期なのに、
我が子が清太と同じ目にあったら妹を守りきれたか
分からないわ。
だから私はクソとは思わないよ。
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12 名前:だれも責められない:2018/04/14 00:49
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>>1
酷い評価されてる方もいる様だけど、それぞれの立場に立って見てみると誰も責められないと思うんだけど・・・
私にも年の離れた兄、妹の子供がいるんだけど、中学生の時のお兄ちゃんを思い出してもあそこまでしっかり出来ないと思う。
もちろん、配給が無くなるのに西宮のおばさんの家を出た事は最大の失敗だけど、兄も子供だからね。
節子が叱られてる様子や、おばさんからキツク当たられている様子を目にして締め付けられる思いもあっただろうし、いっぱいいっぱいだったんだろうと思うな。
そこを敢えて強調していないけど、すごく上手に表現していると私は思ったんだけど、この兄を責めたのは私の息子の方(兄)
そして、節子。
あの年の女の子なら決して我が儘じゃないよね。しつけの行き届いた可愛らしい女の子だと思った。
だけど、泣いて兄を困らせたりするけど、あの子なりに沢山我慢してると思う。
節子をワガママだと責めたのは私の娘の方(妹)
西宮のおばさんの事は主人も子供達も責めたけど、私はこのおばさんも責められないと思う。
自分の子も食べさせていくのにやっとな時代。
イライラも募っているのに、一時期でもよく他人を預かったと思う。
出ていけとは言って無い。イライラするのも意地悪言うのもあの時代は仕方ないと思う。
神戸から西宮って、私の育った土地なんだよね。
それに、多分兄の通っていた中学は私の父の中学だし、
出て来る海辺や防空壕のあった場所、全て思い出にある場所だから観てしまうわ。
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13 名前:誰も責められない:2018/04/14 01:03
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>>12
申し訳ないです。
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14 名前:見てみたいような:2018/04/14 06:16
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>>1
40数年生きてますが
いまだに見たことないです。
何度も再放送してるのも知ってるけど。
見た人の感想聞くと躊躇してしまう。
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15 名前:親として:2018/04/14 06:36
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>>1
もういいやと見なかった。
保護者がいなくなった子供の行く末がこんなものだと
最近でも順天堂大学の件聞いて辛くてしかたない
子供の犯罪が一番多かったのは戦後の混乱期、
だれも兄を責めることはできないと思う。
ただただ悲しい。
子供の為に私はなんとしても生きていようと思う。
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16 名前:小説:2018/04/14 08:59
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>>1
中学生の頃に号泣しながら読んだわ。
かなりインパクトがありましたので、もうそれでいいです。
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17 名前:新潮:2018/04/14 09:13
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>>16
私も原作読んだけど原作者の顔とアニメの印象が合ってなくて(アニメの方が美化度600%だぁ)ゲッソリした。
一緒に収録されてた野坂昭如のほかの小説、エロ事師っていうタイトルで、主人公亡くなってもあそこが屹立してるっていうラストにうんざりした。この人の小説、地の文も関西弁だらけで土臭くて嫌い。
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18 名前:まだ子供:2018/04/14 09:16
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>>9
>時代を考えるとクソな兄だなと思って腹がたつんだよね
自分の子供だったら、あの状況耐えられると思う?
逃げ出したくなる気持ち、わかるけどな。
厳しくしてる方の叔母さんだって我が子を守るのに必死。
誰も悪くないと思う。
悪いのは戦争だ!
でもあの戦争が無かったらいま日本はどうなってただろう。
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19 名前:不撓不屈:2018/04/14 10:03
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>>1
パッと見で幼い単細胞なら、まず責めるのはオバさんだろうけど、年取ったらオバさんの気持ちもわかるようになる。
清太はもっとどうにかする術がなかったのか!と思いながら、次見たときは 中2だもんね、、かわいそうにって思う。
清太が哀しみに沈んでいる時に、華やかな疎開帰りの乙女たち。ちょっと空気読め!と思ったり、ああ、窮屈な戦時体制が終わって、娘盛りの子は嬉しいよね、、、って。
年齢を重ねるたび、見るたびに感想が変わって、それが作品の深みであり 不朽の名作に値するんだろう。
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20 名前:真実:2018/04/14 11:04
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>>1
戦争で起きたことはもともと感動話なんかじゃないからね。
残酷で惨めで救いどころがない物。
そういう意味では、制作側の意図が思い通りになったんじゃないかな。
あえてハッピーエンドじゃない所も、単なる苦労話ではないというメッセージが伝わって来たし。
実際何回も見たい映画じゃないもんね。
今なら母親でも育児ノイローゼで我が子の面倒見きれず虐待したりがあるのに、14歳が夜泣きの面倒みるとかキツイよ。
清太は偉かったよ。
努力して頑張った人でも、報われない戦時期だったと伝えたかったのかな。
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21 名前:まあねえ:2018/04/14 11:08
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>>20
>戦争で起きたことはもともと感動話なんかじゃないからね。
>残酷で惨めで救いどころがない物。
>
東京の空襲で親を亡くしたみなしごが
同じ境遇をたどってそうだからなあ
>清太は偉かったよ。
>努力して頑張った人でも、報われない戦時期だったと伝えたかったのかな。
いや頑張ったけど
頑張る方向が違ったなあ。
若さなんだろうなあ。
選択を間違えた感
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22 名前:だよね:2018/04/14 13:06
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>>11
どんな時代のどんな年齢であっても、完璧な主人公を求める人っているよね。13・14であの厳しい時代でもヒネ媚びることなくどんな状況でも賢明で健気で、選択肢を絶対に間違えることのない完璧な主人公。
現実じゃそんな完璧な人なんてなかなかいないし、皆自分がしてきたことの中で至らなかったことや間違ってしまった事を色々考えながら生きてるから、そこまでクソとは思わないんじゃないのかな。
中二男子なんて色々アレコレ考えるよりも先に感情が勝ってしまうなんてこと、当たり前にあるよね。
こういう人って単純だなって思う。水戸黄門みたいな勧善懲悪が大好きだったりするのかな。
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23 名前:見猿:2018/04/14 13:30
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>>9
>時代を考えるとクソな兄だなと思って腹がたつんだよね
野坂昭如の実体験が元になってて、実際はもっとクソな事が起きてたから、火垂るの墓見てそんないきり立ってたら現実なんてとても見れないね。
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24 名前:真実:2018/04/14 13:45
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>>21
>いや頑張ったけど
>頑張る方向が違ったなあ。
>若さなんだろうなあ。
>選択を間違えた感
それは結果論だと思いますよ。
結果的に節子が餓シしたから、なぜ厄介扱いされてもおばさんちにいなかったのかとなりますが、もしあのおばさんがもっと悪どい人だったら?
言うこときいて、士官学校に行ってる間に、節子がどうかなっていたら?
戦争中という異常事態には、子どもがさらわれたり売られたりもあったから、そうなったらなぜ側にいなかったのかという後悔になるでしょう。
あの時は、清太なりに危機感持っての行動じゃないかと。
片時も離れずに側にいる、ということが何より妹を守る最大の武器だったのでしょう。
それが間違いかどうかなんて、渦中にいる間は大人でもわからないよ。
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25 名前:金:2018/04/14 15:03
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>>1
あるならもう少し早くお金おろそうよ、とは思った。
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26 名前:それな:2018/04/14 19:23
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>>24
> 戦争中という異常事態には、子どもがさらわれたり売られたりもあったから、そうなったらなぜ側にいなかったのかという後悔になるでしょう。
>
> あの時は、清太なりに危機感持っての行動じゃないかと。
> 片時も離れずに側にいる、ということが何より妹を守る最大の武器だったのでしょう。
お金おろしに街に行ったり 食料調達に行ったり 空襲に紛れて盗みに行ったりするとき、あのお濠に節子ひとり残して行ってたのをみて、以前みた時は特に何とも思わなかったのに 今回みた時コワーっと思った。
変質者が清太が出かけるの待ってるかも!
こんな恐怖も、時代なんですかね。
清太が帰ってきた時に 節子が外で倒れていたのも、体調不良で良かった、、いや、良くはないよな。とか思ってしまった。
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27 名前:いえ:2018/04/15 10:10
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>>11
前住んでいたところの老人に聞くと
小3の時に大空襲があり、男出が足りないので遺体を運ぶのを手伝った。
小学校で家族のために学校行かずに働いたなどと話を聞くよ。
子供とは言え何かしないといけない時代だったんだよ。
働かざるもの食うべからず。
遊んでいるものは子供と言えども非難の的。
そういう時代だよ。
それなのに中学生で家の手伝いもしないで呑気に歌ってる。妹とフラフラしてる。防火や隣組の協力もせずに配給は貰う。
近所の人からは非難されたと思うよ。
農家の人にも頭を下げてと言われてたじゃない。でもしなかった。
妹のためには頭を下げて我慢すべきだったんだよ。
金持ちの家で育ったプライドだけは高いぼっちゃんだったんだよ。
あの映画は反戦映画ではない、あの生き方ならいつの時代も同じ結末と監督も言ってるしね。
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28 名前:中卒:2018/04/15 10:58
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>>22
うちの親はギリギリ戦後生まれだけど、働きながら夜間高校に通ったそうだ。皆が高校に行く時代ではなかったと思う。
清太は、庶民ならあと1年ちょいで社会人になる年齢だし、それにしては幼いんじゃないかと思う。あれではまるで子どもだよ。全然働く気がないんだもの。
清太は超エリートの息子だから15で働くわけではないにしても、今でいうトップ校に入り、東大に入り、官僚になることを期待される立場なのに、それほど賢い子ではなさそうだし。
監督は社会からはみ出した子どもの末路を書いただけで、当時の平均的な中学生を描いたわけではないと思う。
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29 名前:特別:2018/04/15 12:04
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>>27
清太を庇う必要も無いのですが、私の地域が昭和一桁生まれ。
神戸で生まれて神戸で育ちました。
当時岡山へ疎開しなかった子達は空襲を経験することになったのですが、清太そのものだと父は言っていましたよ。
地域柄なのかボンボンは確かに多い。
私の父も当時贅沢な銀シャリを食べさせてもらっていたらしいです。
だから清太が特別甘やかされた中学生男子では無くて、あの辺の子は皆ああだったんじゃ無いかな。
母は神戸から疎開した子ですが、比較的お金持ちの子はいなかったそうです。
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30 名前:だからさ:2018/04/15 13:03
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>>29
主人公が特別じゃなかったとしても
変わらなきゃいけなかったんだよ。
特に生死がかかってるんだからさ。
大人でもいるでしょう、どんなことになっても変われない人。
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31 名前:別人だけど:2018/04/15 13:05
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>>30
>主人公が特別じゃなかったとしても
>変わらなきゃいけなかったんだよ。
>特に生死がかかってるんだからさ。
>大人でもいるでしょう、どんなことになっても変われない人。
それは後からだから言える事じゃない?
2人で生き延びたら清太も経験を糧に成長してたと思うよ。
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32 名前:いえいえ:2018/04/15 13:10
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>>24
隣組、近所にあたる人まで親が軍艦に乗ってる軍人さんだと知っているくらいの地域。
悪さはできないでしょ。
それに無理やり手伝わす事もせず、一部屋与えて
時々嫌味言うだけの人ですよ。
家に置いてくれてありがとうなんて感謝の気持ちひとつない
主人公は嫌味言われて当然だけど。
自分の家族でさえたべれるかどうかの時に子供2人預かるひとですよ。
このおばさんが悪い人とは思えないわ。
預かった子供を奴隷のように使いまくるドラマなんていくらでもあったじゃない。
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33 名前:そうかなあ:2018/04/15 13:13
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>>31
これで生き延びたら、もっと人の話聞かなくて自分が正しいと思う人間になりそうだなあ。
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34 名前:上の方で:2018/04/15 13:14
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>>29
上の方であの辺りが地元だと書いた者です。
私の両親も神戸生まれ神戸育ちです。
清太のかぶってた中学校の帽子は「昔の灘中のだね」と母が言うんですけど、どうなんでしょうか?調べたら旧神戸市立中学校とありますが、帽子は灘なんです。
灘、六甲、甲陽と言えばボンボン育ちのお坊ちゃまの代表。
良くも悪くもあの時代のあの辺りの良家の男の子を上手く表現しているなと私は思ったけれど、分からない人には分からないと思います。
>清太を庇う必要も無いのですが、私の地域が昭和一桁生まれ。
>神戸で生まれて神戸で育ちました。
>当時岡山へ疎開しなかった子達は空襲を経験することになったのですが、清太そのものだと父は言っていましたよ。
>地域柄なのかボンボンは確かに多い。
>私の父も当時贅沢な銀シャリを食べさせてもらっていたらしいです。
>
>だから清太が特別甘やかされた中学生男子では無くて、あの辺の子は皆ああだったんじゃ無いかな。
>母は神戸から疎開した子ですが、比較的お金持ちの子はいなかったそうです。
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35 名前:別人だけど:2018/04/15 13:26
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>>33
>これで生き延びたら、もっと人の話聞かなくて自分が正しいと思う人間になりそうだなあ。
おばさんの家出てから辛酸舐めてるんだから、結果生き延びたとしても当時の自分の選択は後悔すると思うけど。
妹にも辛い思いさせたんだし。
人の話聞かないって、誰か清太にアドバイスや助言した人いたっけ?
単なる若気の至り、未熟な子供の選択ミスだよ。
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36 名前:みんなおばさんだから:2018/04/15 13:29
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>>32
>自分の家族でさえたべれるかどうかの時に子供2人預かるひとですよ。
>このおばさんが悪い人とは思えないわ。
>預かった子供を奴隷のように使いまくるドラマなんていくらでもあったじゃない。
おばさんを悪く言ってる人いないよ。
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37 名前:うん:2018/04/15 13:38
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>>35
>人の話聞かないって、誰か清太にアドバイスや助言した人いたっけ?
>単なる若気の至り、未熟な子供の選択ミスだよ。
そうですよね。
1人、家で育ててる野菜を分けてくれたおじさんが「そのおばさんの家に戻った方がええ、配給もらえるし」と助言くれてたけど、あの時代の子でも誰か1人でもきちんと教えてくれる大人がいれば変わってたと思う。
無理だよ。スラム街の子じゃあるまいし、中学生男子で小さな妹の心を守ることを優先してしまった故の失敗だと思う。
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38 名前:ん?:2018/04/15 13:39
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>>36
おばさんがもっと悪どい人だったら?ていうのにぶら下がってるのだと思います。
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39 名前:36だけど:2018/04/15 13:42
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>>38
>おばさんがもっと悪どい人だったら?ていうのにぶら下がってるのだと思います。
それは分かってる。
でも話は噛み合ってないよ。
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40 名前:少年H:2018/04/16 14:24
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>>1
清太とほぼ同年代で戦前〜戦後の神戸市に居住していた方の自伝的小説に書かれていましたが、戦争が激化した頃の中学生達は、学校でまともな勉強なんかろくにさせてもらえず、校庭で農作させられたり、校内で軍事物質を作らされたり、軍事訓練みたいのをさせられたりしたそう。
なので、もう大きい清太が家の手伝いも勤労もせず遊んでいたのは、ご近所の方からも白い目で見られたのでは?
当時の状況を知っている人からみたら、相当リアリティに欠ける無理設定が多いみたいですね。
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41 名前:生きてたら:2018/04/16 15:16
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>>40
清太さんは 親も立派な人みたいだし、平和な時代なら、部活もやって 有名大学に行けるレベルの子なんだろうな。
野坂昭如が早稲田中退か〜
もったいないな。
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42 名前:空襲:2018/04/16 15:23
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>>40
部屋でゴロゴロしてておばさんに質問された時、学校は焼けてしまって行ってもどうにもならないし、軍需工場?も空襲でストップしてるし、みたいな事言ってたよね。
まー今時のデモデモダッテちゃんだよね。
置いてもらってる以上家の事手伝いますっておばさんに申し出るとか、僕でも行ける働き口どこかに無いですかとか、自分から動こうとしないと。
清太さんはお父ちゃんが帰って来たら何とかしてくれると思ってるんだよね。
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43 名前:うちの息子も中学生だが:2018/04/16 15:49
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>>42
>部屋でゴロゴロしてておばさんに質問された時、学校は焼けてしまって行ってもどうにもならないし、軍需工場?も空襲でストップしてるし、みたいな事言ってたよね。
>
>まー今時のデモデモダッテちゃんだよね。
>置いてもらってる以上家の事手伝いますっておばさんに申し出るとか、僕でも行ける働き口どこかに無いですかとか、自分から動こうとしないと。
>清太さんはお父ちゃんが帰って来たら何とかしてくれると思ってるんだよね。
うちにも中学生男子がいるので思うが。
いくら大変な時代でも、そんな気のきいたこにはなっていないと思うから。
妹があんなに愚図っても根気よくなだめて偉いなぁと感じていました。
私なら娘がグズッたら自分にも余裕がなくキレていたと思うから。
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44 名前:一ヶ月:2018/04/16 16:06
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>>42
6月5日の空襲で母親を亡くして居候生活の開始が6月10日くらい? で、終戦はその約二ヶ月後。
居候先を飛び出したのが7月半ばくらい?たった一ヶ月そこらで我慢できなくなったのかね...?虐待されたとか酷く虐められたわけでもないのに。
清太が現代に生きてても、変に意地張って色々挫折してそうな気がする。
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45 名前:・・・:2018/04/16 23:25
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>>1
https://middle-edge.jp/articles/9y8qL
本当は妹を虐待していた…??映画『火垂るの墓』と原作者・野坂昭如の実体験の違い
1988年に公開されたジブリ映画『火垂るの墓』。その主人公・清太は、原作者・野坂昭如のアバターとされていますが、しかし、野坂は戦時中、清太のような妹想いの好青年だったわけではなく、幼い妹の食料を奪い、虐待まで加えるというひどい兄貴だったといいます。
妹は“節子”だけじゃなかった
清太の妹といえば、ご存じ節子です。神戸大空襲で庇護者である母を失い、唯一の肉親となった2人のきょうだいが身を寄せ合いながら、必死に生きていく様は、いつの時代も観る者の心を揺さぶります。
実際は…
物心つく前から養子として引き取られた野坂には、血のつながらない2人の妹が存在しました。上の妹は病気で亡くなり、下の妹は栄養失調のため、終戦直後の8月22日にわずか1歳6ヶ月で死去してしまいます。この下の妹・恵子こそ、節子のモデルです。
泣き止まない妹を、脳震盪が起きるほどに叩いた
清太は、とにかく良き兄です。たしかに、孤児で居候の身分であるにも関わらず、働かない、家事も手伝わない、やることといえば、一日中部屋でグータラといったように、後に叔母さんから疎まれるボンボン気質ではありましたが、しかし、こと節子への愛情だけは、ゆるぎないものがありました。特に母親の死を告げられず、節子を励ますために校庭の鉄棒で大車輪をするシーンは、いつみても、いじらしくて泣けてくるというものです。
実際は…
早くに亡くなった上の妹には、それなりに愛情を注いでいたという野坂。しかし、戦争の激化に伴い、生活が困窮してくると余裕がなくなり、下の妹・節子には度々暴力をふるっていたといいます。泣き止まないときなどは、なんと、脳震盪を起こすほどに頭をぶん殴ったこともあるのだとか。戦時中のこととはいえ、1歳そこそこの赤ちゃんに対し、何たる仕打ちでしょうか。
親戚のおばさんはそんなに悪い人じゃなかった
『火垂るの墓』におけるキーマンの一人といえば、例のいじわるな親戚の叔母さんです。清太がいくら妹以外眼中になく、一方的に親戚一家との関係を悪化させる世間知らずな子供だとしても、グチグチといやみを言い、独断で彼らの実母の形見を売ってしまうという嫌な奴っぷりは、インパクト絶大でした。戦争がいかに人の心を荒ませるかを如実に体現したキャラクターだといえるでしょう。
実際は…
そんなに嫌なやつではなかったそうです。ひどい扱いを受けることなく、しっかり養ってもらったといいます。
防空壕には住んでいなかった
「横穴(防空壕)に住んどったらいいのに!」という叔母さんのいやみもあって、親戚一家を飛び出し、満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕で暮らすことを決意した清太たち。しかし、ろくに食べるものもままならず、結果として、節子を栄養失調で死なせてしまいます。
実際は…
原作や映画のように、叔母さんと諍いが絶えなかったわけでもないので、当然、防空壕などには住んでいません。それどころか、野坂は親戚一家の三女で2歳年上の京子に恋心を抱いて彼女に夢中となり、幼い恵子の世話などそっちのけだったといいます。
栄養失調の妹の食料を奪って食べていた
防空壕に住み始めてからというもの、配給をまともに受けられず、近所付き合いもなくなり、食うに食われずの生活を送るようになる2人。そんな中、節子が栄養失調になってしまいます。なんとか衰弱していく妹を救おうと、清太は農家の畑から野菜を盗んだり、空襲で人がいなくなった民家へ空き巣に入ったりと、犯罪行為に手を染めながら奔走しました。
実際は…
わずかな食糧も貴重だった戦時中。野坂は自分の食べ物を優先し、恵子に満足な食事を与えない時もあったといいます。
たとえば、おかゆを2人で分けて食べる際、自分はスプーンで底からすくいあげ、しっかりとお米を食べるのに、妹に食べさせるときは表面のお湯の部分を飲ますだけだったとのこと。この時、罪の意識はまるでなかったそうです。
また、原作の『火垂るの墓』には、清太があまりの空腹から節子の粉ミルクを飲んでしまう描写があるのですが、こちらに関しては実話だそうです。こうして、痩せ細っていき骨と皮だけになった恵子は、誰に看取られるわけでもなく、餓死してしまったのでした。
『火垂るの墓』の2人が生き延びたパラレルワールドの小説も存在する
このように、ひどい兄貴だった野坂は、死なせてしまった妹・恵子への贖罪と鎮魂の気持ちを込めて『火垂るの墓』を執筆したのだとか。ちなみに、同作では清太・節子共に死んでしまいますが、野坂は、これと同時期に「2人がもしも戦争を生き抜いたら」というパラレルワールドを描いた小説『アメリカひじき』も上梓しています。気になる方はぜひ読んでみるといいでしょう。
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46 名前:そうかそうか:2018/04/16 23:31
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>>45
>https://middle-edge.jp/articles/9y8qL
>
>本当は妹を虐待していた…??映画『火垂るの墓』と原作者・野坂昭如の実体験の違い
>
>1988年に公開されたジブリ映画『火垂るの墓』。その主人公・清太は、原作者・野坂昭如のアバターとされていますが、しかし、野坂は戦時中、清太のような妹想いの好青年だったわけではなく、幼い妹の食料を奪い、虐待まで加えるというひどい兄貴だったといいます。
>
>
>妹は“節子”だけじゃなかった
>清太の妹といえば、ご存じ節子です。神戸大空襲で庇護者である母を失い、唯一の肉親となった2人のきょうだいが身を寄せ合いながら、必死に生きていく様は、いつの時代も観る者の心を揺さぶります。
>
>実際は…
>物心つく前から養子として引き取られた野坂には、血のつながらない2人の妹が存在しました。上の妹は病気で亡くなり、下の妹は栄養失調のため、終戦直後の8月22日にわずか1歳6ヶ月で死去してしまいます。この下の妹・恵子こそ、節子のモデルです。
>
>泣き止まない妹を、脳震盪が起きるほどに叩いた
>清太は、とにかく良き兄です。たしかに、孤児で居候の身分であるにも関わらず、働かない、家事も手伝わない、やることといえば、一日中部屋でグータラといったように、後に叔母さんから疎まれるボンボン気質ではありましたが、しかし、こと節子への愛情だけは、ゆるぎないものがありました。特に母親の死を告げられず、節子を励ますために校庭の鉄棒で大車輪をするシーンは、いつみても、いじらしくて泣けてくるというものです。
>実際は…
>早くに亡くなった上の妹には、それなりに愛情を注いでいたという野坂。しかし、戦争の激化に伴い、生活が困窮してくると余裕がなくなり、下の妹・節子には度々暴力をふるっていたといいます。泣き止まないときなどは、なんと、脳震盪を起こすほどに頭をぶん殴ったこともあるのだとか。戦時中のこととはいえ、1歳そこそこの赤ちゃんに対し、何たる仕打ちでしょうか。
>
>親戚のおばさんはそんなに悪い人じゃなかった
>『火垂るの墓』におけるキーマンの一人といえば、例のいじわるな親戚の叔母さんです。清太がいくら妹以外眼中になく、一方的に親戚一家との関係を悪化させる世間知らずな子供だとしても、グチグチといやみを言い、独断で彼らの実母の形見を売ってしまうという嫌な奴っぷりは、インパクト絶大でした。戦争がいかに人の心を荒ませるかを如実に体現したキャラクターだといえるでしょう。
>
>実際は…
>そんなに嫌なやつではなかったそうです。ひどい扱いを受けることなく、しっかり養ってもらったといいます。
>
>防空壕には住んでいなかった
>「横穴(防空壕)に住んどったらいいのに!」という叔母さんのいやみもあって、親戚一家を飛び出し、満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕で暮らすことを決意した清太たち。しかし、ろくに食べるものもままならず、結果として、節子を栄養失調で死なせてしまいます。
>
>実際は…
>原作や映画のように、叔母さんと諍いが絶えなかったわけでもないので、当然、防空壕などには住んでいません。それどころか、野坂は親戚一家の三女で2歳年上の京子に恋心を抱いて彼女に夢中となり、幼い恵子の世話などそっちのけだったといいます。
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>栄養失調の妹の食料を奪って食べていた
>防空壕に住み始めてからというもの、配給をまともに受けられず、近所付き合いもなくなり、食うに食われずの生活を送るようになる2人。そんな中、節子が栄養失調になってしまいます。なんとか衰弱していく妹を救おうと、清太は農家の畑から野菜を盗んだり、空襲で人がいなくなった民家へ空き巣に入ったりと、犯罪行為に手を染めながら奔走しました。
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>実際は…
>わずかな食糧も貴重だった戦時中。野坂は自分の食べ物を優先し、恵子に満足な食事を与えない時もあったといいます。
>たとえば、おかゆを2人で分けて食べる際、自分はスプーンで底からすくいあげ、しっかりとお米を食べるのに、妹に食べさせるときは表面のお湯の部分を飲ますだけだったとのこと。この時、罪の意識はまるでなかったそうです。
>また、原作の『火垂るの墓』には、清太があまりの空腹から節子の粉ミルクを飲んでしまう描写があるのですが、こちらに関しては実話だそうです。こうして、痩せ細っていき骨と皮だけになった恵子は、誰に看取られるわけでもなく、餓死してしまったのでした。
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>『火垂るの墓』の2人が生き延びたパラレルワールドの小説も存在する
>このように、ひどい兄貴だった野坂は、死なせてしまった妹・恵子への贖罪と鎮魂の気持ちを込めて『火垂るの墓』を執筆したのだとか。ちなみに、同作では清太・節子共に死んでしまいますが、野坂は、これと同時期に「2人がもしも戦争を生き抜いたら」というパラレルワールドを描いた小説『アメリカひじき』も上梓しています。気になる方はぜひ読んでみるといいでしょう。
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