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子供のころのお正月

0 名前:今考えると差別:2017/01/01 14:38
うちは本家です。よってお正月は
親戚が我が家に集まるのが
恒例でした。
祖母が内孫である私達(兄 私 弟)
が大嫌い。よって祖母からの
お年玉はもちろんナシ。
祖父が生きていた頃は貰っていましたが亡くなってからは 祖母は
私達3人の目の前で 外孫の従兄弟たちにお年玉を渡すんです。
両親に抗議しても 我慢しなさいの
一点張り。
毎年 指をくわえて見てました。

食事もご馳走は親戚や従兄弟たちが食べ 私たちや母は
台所でごはん 味噌汁 漬け物のみ。
見兼ねた叔母が ご馳走を取り分けて私達のいる台所に 持ってきて
くれるのが 毎回の恒例。
その時はそれが当たり前だったけど
酷い差別だったと お正月になると
思い出します。
とにかく 祖母の力が強くて
母はよく我慢出来たなと
今思います。43才で亡くなって
しまった母は偉大だったと
お正月を迎えると思い出す
悲しい記憶。
1 名前:今考えると差別:2017/01/02 21:21
うちは本家です。よってお正月は
親戚が我が家に集まるのが
恒例でした。
祖母が内孫である私達(兄 私 弟)
が大嫌い。よって祖母からの
お年玉はもちろんナシ。
祖父が生きていた頃は貰っていましたが亡くなってからは 祖母は
私達3人の目の前で 外孫の従兄弟たちにお年玉を渡すんです。
両親に抗議しても 我慢しなさいの
一点張り。
毎年 指をくわえて見てました。

食事もご馳走は親戚や従兄弟たちが食べ 私たちや母は
台所でごはん 味噌汁 漬け物のみ。
見兼ねた叔母が ご馳走を取り分けて私達のいる台所に 持ってきて
くれるのが 毎回の恒例。
その時はそれが当たり前だったけど
酷い差別だったと お正月になると
思い出します。
とにかく 祖母の力が強くて
母はよく我慢出来たなと
今思います。43才で亡くなって
しまった母は偉大だったと
お正月を迎えると思い出す
悲しい記憶。
2 名前:だって:2017/01/02 21:38
>>1
他の財産もらうんでしょ?
3 名前:今思えば虐待:2017/01/02 21:43
>>2
他の財産?
祖父 父 母の順に
五年ごとに亡くなって
その度の相続税がのしかかり
ほとんどお金は 残りませんでした。
4 名前:お気の毒:2017/01/02 21:49
>>1
主さんくそ意地悪い婆のせいで
辛い思いなさったんですね。
お気の毒です。

私は姑に他人として扱われてるわけだから
してもらった事しか返せないと言いました。

冷たい関係ですが気は楽です。
正月だけはイライラしますが。
5 名前:それって:2017/01/02 22:00
>>3
最後に祖母さんが残って、主さんたちを育ててくれたって事?
40代でお母さんがなくなったということは、主さんたちは未成年だったのかな?と思ったので。
それからも待遇は変わらず?
そして、その時の財産の流れを主さんは把握してたの?

>他の財産?
>祖父 父 母の順に
>五年ごとに亡くなって
>その度の相続税がのしかかり
>ほとんどお金は 残りませんでした。
6 名前:ひどい:2017/01/02 22:05
>>1
それは酷いですね。
主さんのお父さんも何も言ってくれなかったの?

お母さんも若くして亡くなってお気の毒。
辛抱強いお母さんだったんですね。
7 名前:どうして:2017/01/02 22:08
>>1
そんなに嫌われていたの?
8 名前:今考えると差別:2017/01/02 22:11
>>6
父は祖母に頭が上がりませんでした。
序列が 祖母 父 母の順
祖母が絶対の家でした。
9 名前:今考えると差別:2017/01/02 22:20
>>7
同居ゆえの確執だったと思います。
母は優しい人でした。
日々我慢していたと思います。
叔母さん達が あの義母さんと
同居は無理。
義姉さんよく我慢していると
言っていたのを聞いたことが
何度かありました。
10 名前:今考えると差別:2017/01/02 22:33
>>5
はい 未成年でした。
嫁ぐまで4人家族(祖母 兄 私 弟)
でした。
が 祖母に管理能力は無く
父な弟(叔父)が 付かず離れず
我が家達家族を見守ってくれて
いました。
祖母は 自分はあてにしていた者に
次々 死なれてついていない
おまけに孫の面倒までみなくちゃ
いけなくて ついていない人生だと
日頃から愚痴っていました。
未成年で両親を亡くした私達への
哀れみや気遣いはいっさいなく
自分の置かれた状況のみ
嘆いていました。
11 名前:そっか…:2017/01/02 23:11
>>1
私の母の子どもの頃がそんな境遇だったみたい。
昔はよくあることだったのかもしれないけど
主さんの場合は一世代あとなのに、まだそんな家風が残るおうちがあったんですね。

ああいう考えをする婆様って、何がしたいんですかね。
話を聞くだけで、ホント憎らしく思います。

私の母も優しくて強い人でしたよ。
今は兄家族に大事にしてもらってます。

主さんもきっと人の痛みがわかる良い人に違いない…
12 名前:ひどい話だ:2017/01/02 23:39
>>1
そのババーは最後どうなったの?
まさかまだ生きてる?
そんな人の最後って誰がみたの?
13 名前:理不尽すぎる:2017/01/02 23:44
>>1
何かの拍子に急に思い出して辛くなることありますよね。
話せるとこで気が済むまで吐き出して、
成仏(?)させちゃいましょう。

私も親戚づきあいってあまりいい思い出ないです。

子供は無条件に愛されるなんて嘘です。
子供だって愛されるには条件がいる。
小さくても手加減なんてされない。
これが現実だと思う。
私はそうやって育ってきました。

そんなものには負けないと思ってきたけど、傷は手当てしない限り決して消えないです。
だからどんな形でもいいからケアして欲しいです。
14 名前:えーん:2017/01/03 00:04
>>1
読んでて胸が苦しくなったよぅ
なんて可哀想なんだ!

私は母方の実家に毎年集まっていたんだけど、母は3姉妹で、それぞれ皆同じ年頃の子がいる。
一応私が一番年下なんだけど、2つ年上の親戚のお姉ちゃんがとにかく皆から可愛がられるの。

顔も可愛いし、しぐさや性格も可愛くて、毎年正月の度にコンプレックス抱いて帰ったな・・・
小学生の時からどうすれば大人に可愛がられるかよく心得てるお姉ちゃんで、私のお父さんの膝にも座ったりするからヤキモチも妬いたし、拗ねたりもした。

そしたら、母からの私の悪口が始まるの。親戚一同の前で「(私)は難しい、可愛げがない」と皆の前で言われて余計に捻くれるし、毎年正月が嫌だったな。

でも、そのお姉ちゃんの行動を毎年少しずつ習得して、私もどうすれば大人から可愛がられるかすごく勉強した気がする。
親戚のお姉ちゃんによってすごくコンプレックスを抱いたけど、勉強にもなったんだよね。

子供の頃の正月なんて大嫌いだった。
この雰囲気もきらい。
15 名前:思い出しました:2017/01/03 03:28
>>1
私も子供の頃実母が、毎年お年玉を隣の家の子供達
になぜか渡していました。
それを見ているので、私は母に「お隣から私に
毎年お年玉をもらえないのに、どうしてあげるの?
」と聞いたことがあったけど、母は理由を答えて
はくれませんでした。
何かお隣に迷惑をかけていたのかもしれないと、
大人になって思います。
16 名前:逆だ:2017/01/03 04:03
>>1
一般的に外孫よりも内孫の方がかわいいと
言われているけど、逆なんですね。

>祖母が内孫である私達(兄 私 弟)
>が大嫌い。
17 名前:理由・・・:2017/01/03 07:31
>>1
お正月が来る度に嫌な思いをされているのに、書き方が悪くて申し訳ないけど、お婆さんが意地悪したくなる理由、嫌いになる理由がどこかにあったんでしょうね。

お婆さんにしたら、同居の孫達に非常にストレスを感じていたとか、気に入らないお嫁さんの孫だったら嫌いとか理由があるんでしょう。

お婆さんは気に入らない孫が悲しんだり困っているのを見ると安心したのでしょう。
底意地悪さを感じます。
そういう人は、他人の不幸の上で自分を保っている。
それをすることでしか自分を見出せない。
可哀想な人生ですね。

人が悲しい顔をしているのって耐えられないです。
特に子どもが悲しんでいるのを見るとこちらも泣けてきます。

主さんはそんな体験をした自分を労わってあげて下さい。
そんなお婆さんのような可哀想な人生とはサヨナラしてね。
18 名前:今は??:2017/01/03 07:39
>>1
そういう御本家、今もちゃんと、お兄さんが跡継いでるの?

お墓とかは?
そんな祖父母の墓なんて、別に移動させたい位じゃないの??
位牌なんて、どこかに隠してしまえ——。
19 名前:ひどい:2017/01/03 08:14
>>1
我慢しなきゃいけなかった時代なんでしょうね。
お母さん、若くしてなくなって、
きっとストレスに潰されたんだとおもいます。
私は我慢できないな。
反旗を翻してやる。
20 名前:今考えると差別:2017/01/03 08:43
>>18
>そういう御本家、今もちゃんと、お兄さんが跡継いでるの?
>
>お墓とかは?
>そんな祖父母の墓なんて、別に移動させたい位じゃないの??
>位牌なんて、どこかに隠してしまえ——。

本家は兄が継いでいます。
未成年で家長になり
世間の風を受けながら
なんとか 本家を守ってきました。
父方の兄弟に助けてもらいながら
ですが。
叔父達もなんとか4人で
やっていってもらわないと
困る部分かあったんです。
それは祖母。
みんなが引き取りを拒みました。
それは 自分の妻と上手くいく訳か
ないから。
我が強い祖母を 拒んだんです。
自分の家庭がこわされるのが
いやだったんだと思います。
私達兄弟3人は 父方親戚の
軽い監視の中に生きてきました。

おばあちゃんを大事にしろ
おばあちゃんに迷惑かけるな
会うたびに叔父達には
言われました。

両親がいない寂しさに
よりそってくれる大人は
ひとりもいませんでした。

私はその間 死ぬことばかり
考えて生きていました。
途中で 母が亡くなった年齢
43歳まで生きようと決めました。
今 母が亡くなった年齢を
超えたんだんですが
母は偉大だったという思いが
強くなりました。
子供の頃はわからなかった母の
立場が理解できるように
なりました。

辛抱の一生だった母。
あの家に 本家に嫁がなかったら
良かったのにと。
そうすると 私達兄弟はこの世に
生を受けないことになりますが
母の人生を思うと
胸が痛くなり そのような考えに
なってしまいます。
21 名前:主さん幾つ?:2017/01/03 10:18
>>1
実母さんがお亡くなりになった時、主さんは御幾つなんですか?

お父様は?
お父様側の本家ですよね?

亡くなってるとしたらその後出るという選択肢もあっただろうに、それをするには経済的にも色々無理だったり、長男孫を連れてその当時そんなの絶対許されなかった?
22 名前:なんか:2017/01/03 10:35
>>1
主さん、昔の愚痴ばっかりでしょーもないね。

感謝とかないんだね。
23 名前:今更だけど:2017/01/03 10:46
>>1
母方の身寄りは?
24 名前:今考えると差別:2017/01/03 11:10
>>23
>母方の身寄りは?

いましたが大人しい方々なので
傍観している感じでした。
25 名前:今考えると差別:2017/01/03 11:11
>>22
>主さん、昔の愚痴ばっかりでしょーもないね。
>
>感謝とかないんだね。

ありません
26 名前:ん〜:2017/01/03 11:19
>>1
それは嫌な思い出ですね。
ただわたしも父と死別で母の実家で一時期暮らしていた事があるんですが、お正月やお盆にたまに来るいとこ達には祖父母は可愛がる雰囲気はありましたよ。目に見える差別はないですがやはり普段とはちょっと違う雰囲気がありました。
あくまで私達兄弟は祖父母にとっては家族で、従兄達はたまに来るお客様みたいな感じになっちゃうからね。

主さんの祖母さんからしてみたら、普段は内孫の面倒見ていてこの子達には十分してやってる、これでたまに来るいとこ達と同じにしてしまったら内孫ばかり可愛がってって拗ねられるかもしれないって気持ちがあったのかもしれませんよね。

普段内孫である主さん達に十分してやってるっていうのは共通認識ではなかったかもしれないけど。
一緒に暮らしてやってるだけでかなりの費用が掛かっているんだからお正月くらい・・・って気持ちだったのかもしれないよ。だからってお年玉はともかく食事まで差別するのはやりすぎだと思うけど。
27 名前:みんな大変だった:2017/01/03 11:31
>>1
昔の人が大変だったのは、嫁という立場の人だけじゃないから。

みんな生きていくだけで大変だったんだよ。


そこだけ切り取って酷い酷い今更言ったって、何の意味もない。
28 名前:塗り替えられないの?:2017/01/03 11:40
>>1
今は家族と楽しい正月を迎えてるんですよね?
過去に囚われてばかりでなく、今の幸せを楽しまなきゃ、死ぬまで囚われ悲しい正月になってしまうのでは?
主さんが知らないだけで、実は生活費等は祖父母が多額の援助をしていたけど、それについて実はご両親が不敬な態度を示していたのかもしれない。
こればかりは亡くなった人たちしかわからないけど、主さんにとって良い人が、他の人にも同様とは限らない。
それは親だけのの話ではないよね?

今はきっと素敵なご主人と可愛い子供達に囲まれたお正月を過ごしてるのだろうから、その楽しいお正月を迎えられるよ喜びと、主さんに孫が生まれたら、差別なく接してあげれば良いと思う。

>うちは本家です。よってお正月は
>親戚が我が家に集まるのが
>恒例でした。
>祖母が内孫である私達(兄 私 弟)
>が大嫌い。よって祖母からの
>お年玉はもちろんナシ。
>祖父が生きていた頃は貰っていましたが亡くなってからは 祖母は
>私達3人の目の前で 外孫の従兄弟たちにお年玉を渡すんです。
>両親に抗議しても 我慢しなさいの
>一点張り。
>毎年 指をくわえて見てました。
>
>食事もご馳走は親戚や従兄弟たちが食べ 私たちや母は
>台所でごはん 味噌汁 漬け物のみ。
>見兼ねた叔母が ご馳走を取り分けて私達のいる台所に 持ってきて
>くれるのが 毎回の恒例。
>その時はそれが当たり前だったけど
>酷い差別だったと お正月になると
>思い出します。
>とにかく 祖母の力が強くて
>母はよく我慢出来たなと
>今思います。43才で亡くなって
>しまった母は偉大だったと
>お正月を迎えると思い出す
>悲しい記憶。
29 名前:離れてて:2017/01/03 11:41
>>1
父が本家の次男なんだけど
一人だけ上京してきて
お金無いからって帰らなくて
親戚付き合いあまりなくて
自分は子供の頃寂しかったんだけど
それはそれで幸せな事だったんだね


主さんのお母さん頑張ってたね
主さんもお疲れ様でした
30 名前:お互い:2017/01/03 11:41
>>10
我が子でさえ、親が何かしてくれて当然と思っている様子だったら時に腹がたつものですからね。


主さん兄弟も おばあちゃんいつもありがとうとか、おばあちゃんに気遣いしてあげたら違ったのかもね。


お互いに思いやれないで、お互いドツボだったのかな。
31 名前:ほら、:2017/01/03 11:51
>>24
> >母方の身寄りは?
>
> いましたが大人しい方々なので
> 傍観している感じでした。
>



口出したら お金出さなきゃいけなくなっちゃうから。
32 名前:でも、:2017/01/03 12:18
>>25
>>主さん、昔の愚痴ばっかりでしょーもないね。
>>
>>感謝とかないんだね。
>
>ありません
33 名前:でも、:2017/01/03 12:21
>>25
>>感謝とかないんだね。
>
>ありません

これは良くないんじゃない?
住む家があって食事も与えられて学校も行かせて貰ったんだよね?
普通は当たり前だけど、両親亡くしたらもっと悲惨な思いをした人もいるかも。主さんは兄弟一緒に暮らせただけでも、ここは感謝してます、くらい書かないと。
34 名前:今考えると差別:2017/01/03 12:48
>>30
>我が子でさえ、親が何かしてくれて当然と思っている様子だったら時に腹がたつものですからね。
>

>
>主さん兄弟も おばあちゃんいつもありがとうとか、おばあちゃんに気遣いしてあげたら違ったのかもね。
>
>
>お互いに思いやれないで、お互いドツボだったのかな。

そうだったかも。
親いない者に対しての
風あたりって結構きつい。
自分守るのに個々が必死だったかも。
ポキンと折れずに3人とも
幸せな家庭を築いています。
でも ついてまわっている気か
するんです。
子供のころの不幸。
叔父さんには 影背負っていると
言われたことあるし。
ずっと一生背負って生きていくんだ
と思っています。
兄弟とも そんな話はしません。
それぞれが辛かったと思うから。
気持ちにふたをして
今の生活を大事にしていると思います。私は時々苦しくなりますが。
35 名前:皿洗い:2017/01/03 13:30
>>33
皿は 洗って割った人だけが責められる、ってあれだね。

そもそも 皿を洗わない人は、 皿を割ることがないから 責められることもない。

手をかけ育てた人だけが、子供から責められる。
36 名前:ガス抜き:2017/01/03 13:43
>>1
ここで吐き出して少しは楽になるのならそうしたらいいと思う。

兄弟で昔の記憶に蓋をしているのなら、一度当時の思い出語り合って、怒ったり泣いたりするといいかも。

いっぱいいっぱい澱が溜まっているのだろうね。

出すもの出したらそのうち吹っ切れるよ。
37 名前:ショックだよ:2017/01/03 14:16
>>1
お皿は洗ってくれただけでありがたい。
でも、いつも割ったり汚れが残るような洗いかたしてたら仕事ならくびになります。
家族はどんなひどい洗い方してもくびにならずに洗ってやってるだけありがたい、感謝しろって言われる。

油汚れいっぱいで割れているのが当たり前だと思っていたけど、外に出て自分に子供が生まれてやっと当たり前じゃないって実感として分かったときのショックは大きいよ。

ひどい扱い受けてきたんだとか、
こんな扱いされずにすんだ人の方が多いとか、自分の当たり前が世間のそれとは違うと気付くとショックだよ。
38 名前:かわいそう:2017/01/03 22:41
>>1
> うちは本家です。よってお正月は
> 親戚が我が家に集まるのが
> 恒例でした。
> 祖母が内孫である私達(兄 私 弟)
> が大嫌い。よって祖母からの
> お年玉はもちろんナシ。
> 祖父が生きていた頃は貰っていましたが亡くなってからは 祖母は
> 私達3人の目の前で 外孫の従兄弟たちにお年玉を渡すんです。
> 両親に抗議しても 我慢しなさいの
> 一点張り。
> 毎年 指をくわえて見てました。
>
> 食事もご馳走は親戚や従兄弟たちが食べ 私たちや母は
> 台所でごはん 味噌汁 漬け物のみ。
> 見兼ねた叔母が ご馳走を取り分けて私達のいる台所に 持ってきて
> くれるのが 毎回の恒例。
> その時はそれが当たり前だったけど
> 酷い差別だったと お正月になると
> 思い出します。
> とにかく 祖母の力が強くて
> 母はよく我慢出来たなと
> 今思います。43才で亡くなって
> しまった母は偉大だったと
> お正月を迎えると思い出す
> 悲しい記憶。
>

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