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母の言葉で思い出すこと

0 名前:白いカーネーション:2018/05/02 12:06
母が亡くなって初めての母の日がきます。
随分泣きましたが、少し落ち着いてきたと思ったら、
今度は別の感情が湧いてきました。

高校に進学するとき学区外の高校(自分の学区よりは少しランクが下がります。)が国際科を新設したので進学したいというと反対。
大学進学には県外は絶対ダメ。就職も県外は絶対ダメ。
国立落ちたらFランしかない県なので最終学歴がFランです。そのくせもっともっと頭が良かったら医学部行けたらとか。メチャクチャです。

就職はせずに家事手伝いで適当に相手を見つけてあげるから結婚しなさいとか。
実際見つけて来た相手と言うのは毎月お経をあげて頂いていたお坊さんの息子さんだったりとか。
私は文系の男は嫌いなんだというと、お坊さんにも母にも怒られました。

とにもかくにも、母は娘を手元から離したくないという気持ちが強すぎるため私は干渉されまくった半生でした。パートに出るにも反対されましたがパートに行くぐらいなら看護学校に行けと言われました。行ったけど看護師の仕事をするのは子育てが終わってからにしろとか。クソ辛い思いをした挙句免許は取ったんですが就職はしたことがありません。
妹は私が怒られたり泣いたりしているうちにさっさと県外に逃げていきました。

母が病気になって私が殆ど毎日会ったり病院の送迎もしていましたが、その時母が私に「やっぱりあんたを(県外に)出さないで良かったよ。正解だった。」と言っていました。

母と私って共依存だったんでしょうかね?確たるものが何もない私の人生。
1 名前:白いカーネーション:2018/05/03 22:02
母が亡くなって初めての母の日がきます。
随分泣きましたが、少し落ち着いてきたと思ったら、
今度は別の感情が湧いてきました。

高校に進学するとき学区外の高校(自分の学区よりは少しランクが下がります。)が国際科を新設したので進学したいというと反対。
大学進学には県外は絶対ダメ。就職も県外は絶対ダメ。
国立落ちたらFランしかない県なので最終学歴がFランです。そのくせもっともっと頭が良かったら医学部行けたらとか。メチャクチャです。

就職はせずに家事手伝いで適当に相手を見つけてあげるから結婚しなさいとか。
実際見つけて来た相手と言うのは毎月お経をあげて頂いていたお坊さんの息子さんだったりとか。
私は文系の男は嫌いなんだというと、お坊さんにも母にも怒られました。

とにもかくにも、母は娘を手元から離したくないという気持ちが強すぎるため私は干渉されまくった半生でした。パートに出るにも反対されましたがパートに行くぐらいなら看護学校に行けと言われました。行ったけど看護師の仕事をするのは子育てが終わってからにしろとか。クソ辛い思いをした挙句免許は取ったんですが就職はしたことがありません。
妹は私が怒られたり泣いたりしているうちにさっさと県外に逃げていきました。

母が病気になって私が殆ど毎日会ったり病院の送迎もしていましたが、その時母が私に「やっぱりあんたを(県外に)出さないで良かったよ。正解だった。」と言っていました。

母と私って共依存だったんでしょうかね?確たるものが何もない私の人生。
2 名前:泣いたの?:2018/05/03 22:35
>>1
大変な思いをされたんですね。
私も似てるかもしれないです。
私はまだ母が生きている今、主さんの今のように色々思い出しますが、主さんはお母様が亡くなられた時泣かれたんですよね?

そして、今は悲しみはいかがですか?
私はまだ母が生きている今色々思い出して憎しみがある為、亡くなったら後悔したり、次第に寂しくなるのかしらと考えていますが、主さんの声を聞くと、違うのかな。


>母が亡くなって初めての母の日がきます。
>随分泣きましたが、少し落ち着いてきたと思ったら、
>今度は別の感情が湧いてきました。
>
>高校に進学するとき学区外の高校(自分の学区よりは少しランクが下がります。)が国際科を新設したので進学したいというと反対。
>大学進学には県外は絶対ダメ。就職も県外は絶対ダメ。
>国立落ちたらFランしかない県なので最終学歴がFランです。そのくせもっともっと頭が良かったら医学部行けたらとか。メチャクチャです。
>
>就職はせずに家事手伝いで適当に相手を見つけてあげるから結婚しなさいとか。
>実際見つけて来た相手と言うのは毎月お経をあげて頂いていたお坊さんの息子さんだったりとか。
>私は文系の男は嫌いなんだというと、お坊さんにも母にも怒られました。
>
>とにもかくにも、母は娘を手元から離したくないという気持ちが強すぎるため私は干渉されまくった半生でした。パートに出るにも反対されましたがパートに行くぐらいなら看護学校に行けと言われました。行ったけど看護師の仕事をするのは子育てが終わってからにしろとか。クソ辛い思いをした挙句免許は取ったんですが就職はしたことがありません。
>妹は私が怒られたり泣いたりしているうちにさっさと県外に逃げていきました。
>
>母が病気になって私が殆ど毎日会ったり病院の送迎もしていましたが、その時母が私に「やっぱりあんたを(県外に)出さないで良かったよ。正解だった。」と言っていました。
>
>母と私って共依存だったんでしょうかね?確たるものが何もない私の人生。
3 名前:やっぱり:2018/05/03 23:07
>>1
お坊さんの息子さんとは結婚されたんですか?
その人とは縁がなかったとして、結婚はされてお子さんいられるんですよね?
お母さんはやっぱり毒親ですよね。自分が一番大事だったんでしょうね。お母さんを反面教師として主さんはお子さんの
自立の芽を摘まない様にすればいいんじゃないでしょうか?
4 名前::2018/05/03 23:14
>>2
それはもう泣きました。これ以上ない悲しさです。
私は毎年同じスケジュール帳を使っているのですが、2017年は欄外にも母の血圧とか食事の量とか書きこんでいて、その時の母の表情とか服装なんかも浮かんでくるほどです。
病院で母の診察を待つ間母を可哀想に思う気持ちとか、今後母はどうなるのかという不安で泣きながら書き込んでいました。

今でも違う病院に行っていたら、結果は同じでももう少し時間があったのではとか、体力もあった時期にもっと良い治療を受けられたのではないかとずっと思っています。

悲しみ一色に染まっていた3か月を抜けたら今度は寂しい気持ちがどっと押し寄せましたが、その寂しさはどこから来たのか段々昔をたどっていくと当時言われた理不尽な言葉を思い出します。

怒っているわけでは無いですが結局「母も未熟だったんだ。」「祖母の育て方もおかしかったわ。」と考えてしまいます。
5 名前::2018/05/03 23:22
>>3
私も知らないうちに、母のやり方を踏襲してたんです。
気付いたのが上の子が中学生になった時です。

ほかのお母さんと話していた時、私が県外に子供を行かせる気が無い、というと驚かれたのがきっかけです。
「同じことをしてるじゃないか!」と。
それ以降考えを改めました。
違うお母さんからはどんな人生送りたいか逆算していけばやらないといけないことが見えるよとも聞きました。
自分の母しか知らなかったから随分驚いたんです。

母から見れば今の私は随分開放的な接し方をしているんじゃないかと思います。
6 名前:呪縛:2018/05/04 10:06
>>1
昨日「薄情な娘」のスレをあげた主です。
同じような思いで悩まれていると思い
私もレスします。

母親から自分への愛情を正義だと信じ込んで
それを素直に受け止めて生きてきた娘が
実はそうではなかった、
というパターンかなと自分と母との関係を
振り返ってみて考えてしまいます。

私の母親は今も健在なので亡くなったら、
今とは違う考えに変化するかもしれないですが。

昨日ここでアドバイスなどを頂いた私は、ふと
母親の私への接し方が実は私が思うほどではなかった
のではないかと気づきました。
だからといって、落ち込むようなことはなく
ただ「納得」した自分がいます。気持ちも落ち着きました。

どうしても、解せなかった母親の言動について
少し点と点が結びつき始めたというところが
あります。
あの時の母のあの言葉、
あのシーンでの表情、間。
私が想像するものとは、違った言動を私に向けた母。
『なぜ?』『どうして?』とそのたびに悲しくなって
自分を取り戻すのに時間とエネルギーがかかっていた。

一言で言うと「呪縛」の関係だったのだと
思いました。
母に洗脳されていた、というと母親に裏切られた
イメージがあるでしょうが、母親と私とは
所詮それまでの関係・浅い関係だったのかと
思います。
相性というのもあるのでしょうね。
まあ、向こうも「娘なの愛せない」と
考えたことがあったかもしれないですしね・・・。(笑)

私は実母とは深い絆を結べる運命では
なかったのでしょう。

どうしてそんなことを考えるのかというと、
私自身二十歳の娘がいますが、私と娘との
関係と比べてしまうのですよね。

女同士って親子でも怖いものだなあと思います。
主さんは、亡くなられて初めての母の日を
お迎えするとのことで、どうかご自愛くださいね。
お互い、吹っ切れたらいいですね・・。
7 名前:子離れ:2018/05/04 15:18
>>1
親がそうやって社会に出て何にもできない人間にさせちゃうんだなー。

ん、でも子育てできたんでしょ?
なら、イイじゃん



>母が亡くなって初めての母の日がきます。
>随分泣きましたが、少し落ち着いてきたと思ったら、
>今度は別の感情が湧いてきました。
>
>高校に進学するとき学区外の高校(自分の学区よりは少しランクが下がります。)が国際科を新設したので進学したいというと反対。
>大学進学には県外は絶対ダメ。就職も県外は絶対ダメ。
>国立落ちたらFランしかない県なので最終学歴がFランです。そのくせもっともっと頭が良かったら医学部行けたらとか。メチャクチャです。
>
>就職はせずに家事手伝いで適当に相手を見つけてあげるから結婚しなさいとか。
>実際見つけて来た相手と言うのは毎月お経をあげて頂いていたお坊さんの息子さんだったりとか。
>私は文系の男は嫌いなんだというと、お坊さんにも母にも怒られました。
>
>とにもかくにも、母は娘を手元から離したくないという気持ちが強すぎるため私は干渉されまくった半生でした。パートに出るにも反対されましたがパートに行くぐらいなら看護学校に行けと言われました。行ったけど看護師の仕事をするのは子育てが終わってからにしろとか。クソ辛い思いをした挙句免許は取ったんですが就職はしたことがありません。
>妹は私が怒られたり泣いたりしているうちにさっさと県外に逃げていきました。
>
>母が病気になって私が殆ど毎日会ったり病院の送迎もしていましたが、その時母が私に「やっぱりあんたを(県外に)出さないで良かったよ。正解だった。」と言っていました。
>
>母と私って共依存だったんでしょうかね?確たるものが何もない私の人生。
8 名前:過ぎたことは:2018/05/04 15:46
>>1
もうお母さんは亡くなったのだし、
全てはもう通り過ぎたことだよ。

共依存かと言われれば、その通りだと思う。
そうじゃなかったら
妹さんのように、とうの昔に自由にしていたはず。
いい大人になって、パートに出るかどうかなんて
いちいち親に言うことでもないですし。
反対されそうなことは、何でも隠しておけば済むことなのに
いちいち報告し続けたのは、ご自分ですよね。

でも、呪縛の中にあっても
結婚して子供にも恵まれて、ここまでそれなりに
幸せにやって来たのだから、それはそれでよかったのでは?

もうそう思うしかないでしょ。
だってやり直しなんて出来ないんだから。
そして
今はもう、自由に、自分のしたいように出来るじゃん。
人生まだ長いよ。
9 名前:時代:2018/05/04 15:54
>>1
パートの話は変だけど、県外に出さないのはうちだとそんなに珍しい話じゃなかったよ? 貧乏だったり、心配だったり、何となく周りがそうだから、だったり。昔はそういう家も多かった気がする。

でも今は「子どものやりたいことをやらせてあげたい」っていうのが主流だね。今の普通はそれなんじゃないかな。

結果的にまともな大人に育てばいいんだよ。で、最近の若い者は離婚率も未婚率も高いし、離職率も、引きこもりも障害者も、悪いことが増えている気がするよ。今のやり方が正しいかっていうと、案外そうでもない気がする。
10 名前:義妹:2018/05/04 22:48
>>1
義妹がそれに近かったかも。
ただ、義母よりも義父が強行だった。高校卒業後に東京で就職したいと言ったらけど、殴られたらしい。
で、地元で専門学校に行って、就職結婚。

結局、早くに倒れた義母の介護してた。

義母亡きあと、義父も病気になって義父に「お前を手放さなくて良かった」みたいな事言われたって。
息子がいるのにそんなこと言わせるのは忍びないと思わないか?と言われた事がある。本当は息子がいるんだから、息子と嫁に看てもらいたかったはずだって事らしい。

結婚生活も上手く言っているけれど、東京で結婚して遠方を理由に介護も近居の妹に丸投げに近かった兄夫婦には、今でも沸々とこみ上げるものがあるらしい。

でもね、方言もつうじない嫁よりも、娘だったんだろうと思う。そのために残されたといえばそうなのかもしれないけど、振り切っても東京に出なかったのも事実なんだし。
今の家族があるのも、ある意味殴っても実家にいさせた義父のおかげだよね。
11 名前::2018/05/04 23:32
>>6
ありがとう。
私も全く同じ心境なので、驚いています。
そう、私も点と点が結び付き始めたのです。今のところややぼやけているのですが・・・。
私は実際はあんまり母の事が好きでなかったんじゃないかと思い始めています。母には怒られてばかりだったし。
早くに亡くなりましたが一歳下の弟がいました。
私は持て余されたのか、2歳過ぎから6歳まで祖母の家で暮らしていました。
よく怒る母に中々馴染めず、怒られまいと嘘ばかりついてばれてまた怒られるという悪循環の毎日でした。

≫どうしても、解せなかった母親の言動について少し点と点が結びつき始めたというところが あります。
あの時の母のあの言葉、あのシーンでの表情、間。
私が想像するものとは、違った言動を私に向けた母。
『なぜ?』『どうして?』とそのたびに悲しくなって
自分を取り戻すのに時間とエネルギーがかかっていた。
一言で言うと「呪縛」の関係だったのだと
思いました。
母に洗脳されていた、というと母親に裏切られた
イメージがあるでしょうが、母親と私とは
所詮それまでの関係・浅い関係だったのかと
思います。
相性というのもあるのでしょうね。

ここを読んで、ああ私もそうだった!と涙が出ました。
でも、母との楽しい日々もあったのに急に疑問が涌いてくるって何なんでしょうね。自分でも忘れていた昔の感情が突然思い出されるんです。
お母さまはおいくつですか?私の母は昭和18年生まれです。「重い母」の話を聞くと昭和16〜23年ぐらいの生まれの人がよく出てくるので不思議です。
12 名前::2018/05/04 23:37
>>9
たしかにそうですね。自分なりに自分の考え方を改良したつもりになっていましたが、自由を認めるばっかりが改良じゃないんですよね。でも基準がわからない。
どんどん時代も変わっていく中、まともな大人になれるように、とは難しいです。
13 名前::2018/05/04 23:39
>>10
私も義妹さんのような未来になるんじゃないかと思います。
14 名前:義妹:2018/05/05 00:05
>>13
>私も義妹さんのような未来になるんじゃないかと思います。

自由に生きている実妹さんを恨むって事ですか?

私は遠方なので義妹の10分の一にも満たないのは承知ですが、連休といえば旅行にも遊びにもいかずに帰省してたんです。
それでも長男夫婦が同居か近居ならこんなはずではって思ってしまうし、もしそうなら精神的にもずっと楽だったんでしょうね。

でも義妹はうちよりずっと夫婦仲良しだし、甥も隣県にいるし姪もたぶん県外に出ません。なんだかんだいって、身内が近くに居つく縁みたいです。
老後は私より幸せなんじゃないかと思います。

それでも、兄夫婦に対するモヤモヤは抱えたままかもしれない。叶わなかった「こうだったらいいのに」は、いつまでたっても心から消えないのかもしれないですね。
15 名前::2018/05/05 00:13
>>14
恨みやモヤモヤの感情は全く無いですよ。
私は長女なので親の面倒は見るのだという気持ちがずっとあります。

やっぱり有形無形の刷り込みでしょうかね、かなり幼いころからそう思っていました。


とても参考になります。
有難うございます。
16 名前:その時が来たら:2018/05/05 00:52
>>1
私も少なからず親の思うように育てられました。
だから確たるものがない人生だったと思うことはあるけど、家庭を持ってからは自分が主導できるから親から離れて自分の思うように生きてる部分はあります。
そして、親を反面教師にしてるから、そこには感謝すらある。
それでも親が亡くなったら寂しさよりも開放感でホッとしてその時が来たら私は本当の自由を手に入れられるのだろうと思ってしまいます。

親を亡くすことで知り、学ぶことがあるのでしょう。
17 名前:そんな:2018/05/05 01:10
>>1
私も高校の後、役場に就職しろ、看護師は?とか色々言われたよ。
東京の会社に応募したけど落ちたら、落ちて良かったと言われた。
結婚も相手を紹介すると言われて断ったし。
父には結婚して妊娠中なのにボロクソに言われて泣いた。
結婚に反対すれば良かったとか。

まぁ、両親とも可愛がってくれてたんだし、田舎の貧乏でも愛情深い人だというのはわかってた。

主と似てると思うけど、40才になり思うことは、、
親が進めるように看護学校に進めば良かったし、今の旦那は仕事はともかく親が問題で結婚しなきゃ良かった。

親が健康でお金に困らない人と結婚すれば良かった、、と思う。
役場?一生働くならいいよねー涙
実家が近けりゃ子育ても手伝ってもらえるし。

子供を手元に置きたいってそんなにダメな事かな。

親戚に息子が遠くで結婚して現地の女性と結婚しちゃったんだけど、おばさんは落ち込んでるよ。
東京の四年大学に通わせて立派に自立はしたけど、飛行機の距離だもん。

NASAで働いてるとか、飛び抜けて優秀な子なら海外だろうと自由に生きていいけど、ちょい自慢の子とかだったらやっぱり近くにいて欲しいんじゃないかな。
18 名前:時代:2018/05/05 02:23
>>12
やっぱりさ、18の夢見る若造が考えることと、40代の現実を知っている親が考えることって、親が考えたことのほうが正しい場合も沢山あると思うの。見合い結婚と恋愛結婚だったら、見合いのほうが離婚率が低いんだよ。それもそういうことだと思う。

結婚まで実家暮らしするのと、大学からずっと遠方で暮らすのとだと、何百万も必要経費が変わってくる。そりゃあ金銭的には実家暮らしが効率いいのは間違いないよ。これは結婚後の家計にも響いてくる。

結婚してからだって、親が近くにいるのが楽よ。子育てでどうしても困った時には頼れるもの。「急に上の子が熱を出したの。悪いけど2時間ほど下の子(赤ちゃん)を預かってくれない?」とかさ。ママ友もいるだろうけど、やっぱり親のほうが頼みやすい。子育ての大先輩でもあるしさ。干渉されるのが鬱陶しいって説もあるけど、年寄りの話の中には役に立つ話もたくさんある。悪いことばかりじゃなかったはず。

そりゃあ、本人に「どうしてもこうしたい!」っていう強い希望や、勿体ないような才能があれば別だよ。でもそうじゃない、普通の子なら、親元にいるのも幸せの一つだと思う。

主さんは親と関わりが強かった分、いい思い出も悪い思い出もたくさんあるだろうし、いろんな想いが出てくるのは当然だと思う。共依存なんて卑屈なことを考えずに、大好きで大嫌いで、差し引きするとまあまあ好きなお母さん、くらいの認識でいいんじゃないかな。

私も親には感謝しているけど、あの育て方は駄目だよな?と思うことは山ほどあるよ。だって家族にずうっといい顔はできないし、若かりし親が完璧でい続けるのも無理だと思う。

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