育児と子育てのお悩みの相互解決コミュニティサイト
【子育て119TOPページ】   ■スピード雑談☆旬なあの噂・この噂掲示板に戻る■   最後のレス   1-   最新30  

NO.6669452

みなさんのご家庭での思い出ご飯って何?

0 名前:思い出ごはん:2016/09/12 20:08
お盆に帰省した時、義理母から豪華な木のお皿付きの鉄板4セットもらいました。
レストランでよく見るステーキやポテト、ニンジンなどがのっている例の鉄板セットです。

なんでも昔、義理父が社長さんにかわいがっていただいていて家族分頂いたとのことでした。
すごくいいものよ、と義理母。
義理家で使っていたの、うーん、いるかな、新品じゃないのになあと思ってしまいました。
手入れとかめんどくさそう。
使うかなと不安に思いながらも帰宅すると、一生懸命その鉄板をもう一度綺麗に洗って、油塗ってコンロで火を通す主人の姿が、、。

「これ、俺が小学生の頃使ってた。
お袋がスパゲティやポテトのせて、あつあつのステーキ食べたよ。お店みたいにアツアツで!!」
と思い出して話していました。
なんだかジーンときてしまいました。
義理母も義理父ももう高齢です。
時々苦手だなと思うこともあるけど、まだまだ若い頃はイベントがあると家族でご馳走食べてたんだなと急にせつない気持ちになりました。
その鉄板セット私は違うけど、義理家と主人にとっては思い出の品なんだなと。

めんどくさがりなのでなかなかできないけど、今週あたり使ってみようと思います。
レストランみたいに私もしてみます。
私のこの家庭でも使って、思い出のご飯になってくれたらいいなと思います。
思い出してみれば、私の親は共働きで忙しく思い出のごはんというものがあまりありません。
主人の母は家にいることが多く、いろんなものを作ってくれたようです。
思い出のご飯がたくさんあるようです。
すごく羨ましくなりました。

みなさんが子供の頃の思い出のごはんてありますか?
私は鍵っ子でお惣菜や、出前が多かったので思い出ご飯聞いてみたいです。
1 名前:思い出ごはん:2016/09/13 09:01
お盆に帰省した時、義理母から豪華な木のお皿付きの鉄板4セットもらいました。
レストランでよく見るステーキやポテト、ニンジンなどがのっている例の鉄板セットです。

なんでも昔、義理父が社長さんにかわいがっていただいていて家族分頂いたとのことでした。
すごくいいものよ、と義理母。
義理家で使っていたの、うーん、いるかな、新品じゃないのになあと思ってしまいました。
手入れとかめんどくさそう。
使うかなと不安に思いながらも帰宅すると、一生懸命その鉄板をもう一度綺麗に洗って、油塗ってコンロで火を通す主人の姿が、、。

「これ、俺が小学生の頃使ってた。
お袋がスパゲティやポテトのせて、あつあつのステーキ食べたよ。お店みたいにアツアツで!!」
と思い出して話していました。
なんだかジーンときてしまいました。
義理母も義理父ももう高齢です。
時々苦手だなと思うこともあるけど、まだまだ若い頃はイベントがあると家族でご馳走食べてたんだなと急にせつない気持ちになりました。
その鉄板セット私は違うけど、義理家と主人にとっては思い出の品なんだなと。

めんどくさがりなのでなかなかできないけど、今週あたり使ってみようと思います。
レストランみたいに私もしてみます。
私のこの家庭でも使って、思い出のご飯になってくれたらいいなと思います。
思い出してみれば、私の親は共働きで忙しく思い出のごはんというものがあまりありません。
主人の母は家にいることが多く、いろんなものを作ってくれたようです。
思い出のご飯がたくさんあるようです。
すごく羨ましくなりました。

みなさんが子供の頃の思い出のごはんてありますか?
私は鍵っ子でお惣菜や、出前が多かったので思い出ご飯聞いてみたいです。
2 名前:アイスもどき:2016/09/13 09:33
>>1
> 「これ、俺が小学生の頃使ってた。
> お袋がスパゲティやポテトのせて、あつあつのステーキ食べたよ。お店みたいにアツアツで!!」
> と思い出して話していました。
> なんだかジーンときてしまいました。


私もこれ読んでジーンとしちゃったわ。
主さん、優しいご主人でよかったね。

ご飯じゃなくて、おやつの思い出なんだけど、
母がずっと公務員で、私は鍵っ子だったのね。

夏、学校から汗だくで帰って冷凍庫開けると、
お昼に仕事から一旦戻った母が作ってくれた
アイスが入ってるの。

アイスと言っても丸い小さなタッパーの中に、
牛乳と砂糖と練乳入れて、ブドウとかモモを
小さくカットしたのを混ぜて冷やし固めただけの
シャーベットもどきなんですけどね。
美味しかったな〜。
3 名前:私も:2016/09/13 09:34
>>1
スレ開けたら思ったよりいい話だった。

実家自営で舅姑小姑もいて母は家政婦のように働き
煮物とか年寄り向けの私好みでない物ばかりだった。
当時納豆ご飯と給食で栄養を取っていたと思う。

おじいさんだけ毎晩のように仕出しの刺身を食べていた。
たまに刺身のついでにエビフライを出してもらった。

姉が肉嫌いで焼き肉を初めて食べたのが18歳。
感動した。世の中にこんな美味いものがあるなんて。

今でも近くに住む母から煮物が届くが美味くない。
近所の肉屋のコロッケを週2で食べる。
4 名前:いい話:2016/09/13 09:36
>>1
旦那さんだけじゃなく主さんも優しいんだろうな。見習うね私。

>お盆に帰省した時、義理母から豪華な木のお皿付きの鉄板4セットもらいました。
>レストランでよく見るステーキやポテト、ニンジンなどがのっている例の鉄板セットです。
>
>なんでも昔、義理父が社長さんにかわいがっていただいていて家族分頂いたとのことでした。
>すごくいいものよ、と義理母。
>義理家で使っていたの、うーん、いるかな、新品じゃないのになあと思ってしまいました。
>手入れとかめんどくさそう。
>使うかなと不安に思いながらも帰宅すると、一生懸命その鉄板をもう一度綺麗に洗って、油塗ってコンロで火を通す主人の姿が、、。
>
>「これ、俺が小学生の頃使ってた。
>お袋がスパゲティやポテトのせて、あつあつのステーキ食べたよ。お店みたいにアツアツで!!」
>と思い出して話していました。
>なんだかジーンときてしまいました。
>義理母も義理父ももう高齢です。
>時々苦手だなと思うこともあるけど、まだまだ若い頃はイベントがあると家族でご馳走食べてたんだなと急にせつない気持ちになりました。
>その鉄板セット私は違うけど、義理家と主人にとっては思い出の品なんだなと。
>
>めんどくさがりなのでなかなかできないけど、今週あたり使ってみようと思います。
>レストランみたいに私もしてみます。
>私のこの家庭でも使って、思い出のご飯になってくれたらいいなと思います。
>思い出してみれば、私の親は共働きで忙しく思い出のごはんというものがあまりありません。
>主人の母は家にいることが多く、いろんなものを作ってくれたようです。
>思い出のご飯がたくさんあるようです。
>すごく羨ましくなりました。
>
>みなさんが子供の頃の思い出のごはんてありますか?
>私は鍵っ子でお惣菜や、出前が多かったので思い出ご飯聞いてみたいです。
5 名前:うちにもあった:2016/09/13 09:48
>>1
この鉄板、うちにもありました。
流行だったのかしら。
うちは牛肉とか高くて無理だったんですが、ポークステーキとかハンバーグとか人参やジャガイモと一緒に載せて熱々で出してくれました。
レストランなんて誕生日でも行かない家だから、この鉄板のイベント感たらなかったです。

うちは私が進学で家を出た後処分したのか大人になってから見た覚えはないんです。主さんの義母さんは大事にしていたんですね。

うちの母は外食できない分、テレビで見たレシピであれこれ作るのが好きな人で1970年代にガスオーブンでピザとかポテトスフレとか作ってくれました。無水鍋であれこれ作るのも好きな人だった。

ただ、材料費は限られていたみたいで、私は海老の天ぷらは家では作れないと思っていたんです。単にエビが高くて買えなかったなんだけど、家で作れる天ぷらは玉ねぎのかき揚げとサツマイモだけだと思い込んでました。
6 名前:マグロ丼:2016/09/13 10:28
>>1
父が独立開業して数年、うちはすごく貧乏だった。
母が事務手伝って、さらに夕方から近所のスーパーでパートし、閉店後も同じスーパーの掃除の仕事してたけど、父の事業の補てんに当ててたからトンデモなく貧乏だったな。

さらに当時同居してた祖父母が相次いで倒れ、それの介護や病院の付き添いが必要になって仕事もあまりできなくなったから、さらに貧乏が加速し、夕食に庭で育ててるネギが申し訳程度に入ったお味噌汁と納豆1パックを姉と分けあって麦ご飯が夕食なんて毎日のようだった。

そんな時だけど、母のお給料日に必ず作ってくれたのが「マグロ漬け丼」だったのね。
母はスーパーの鮮魚部門で働いてたから、たまに売れ残りのお刺身とか買ってくるんだけど、祖父母が倒れてからそれも月一くらいでしか買えなくなって、でも私と姉が楽しみにしてたから、多分精一杯の贅沢だったんだと思う。

いま思えば、マグロだってご飯に何枚か乗ってる程度の寂しいものだったけど、大根のつまと刻み海苔やネギ、大葉がマグロの何倍も乗ってて、それが母なりの工夫だったのね。私と姉はそれが大好きだった。

でも母は決して自分じゃ食べなかった。父と私と姉に出したらもうマグロが残ってなかったんだと思う。私と姉が美味しいと言いながら食べてるのをいつもにこにこしながら眺めてた。

それから数年後、姉が中学に入る頃には業績も安定して(祖父母も相次いで亡くなったし)家計も楽になったらしく、たまに外食に行けるようにもなったけど、それでもマグロが数枚しか乗ってなかった母のマグロ丼が一番大好きだった。

死ぬ前に最後に何が食べたいか、と言ったら、迷わず母のマグロ丼と答える。
もう母も鬼籍に入ったから、叶わないけどね。
7 名前:良いね:2016/09/13 10:51
>>1
良い話だね。そういう思い出はたくさん作ってあげたいと思って、私も過ごしてますよ。

私の思いでご飯というか
誕生日が8月なので、グラタンが大好きで、エアコンつけながら作ってもらって食べてました。
あとは、母が妙な鍋にはまって、鍋で作るスポンジケーキにはまってたことがありました。
結局あの鍋のセット、母がなくなったら使い勝手が悪くてなかなか痛まないし、困りものでしたね。。
8 名前:めざし:2016/09/13 10:55
>>1
あさりのお味噌汁。
父は嫌いなものが多くて、これは父が出張の時に決まって作ってくれました。
大好きだからすごくうれしいけど、父のいない夜はちょっと怖くもありました。
次の日は、その貝で柄合わせして遊びました。

お菓子はシュークリームをよく作ってくれました。
あとはプリンと、アイスボックスクッキー。

水炊きは沢山の大根おろしをポン酢に入れる。
高校の時ごちそうした友達に驚かれ、我が家は薬味レベルではないと初めて知りました。

イベントではテーブルいっぱいに色とりどりの料理が並びましたが、日頃は好き嫌いの激しい父や姉仕様で地味でした。
9 名前:お兄ちゃんの味:2016/09/13 12:29
>>1
お袋の味ではなく、兄の味になりますが。
共働きの家庭だったので、土曜日のお昼は、母が用意していった具で、兄がお好み焼きを作ってくれました。兄の友達も来て、ワイワイ焼くのが楽しかった。
私が中学生になってからは、私の友達も食べにきた。
人数が増えると、小麦粉と水で量を増やしてた。
今食べたら小麦粉ばっかりで美味しくないんだろうけど、兄の友達も私の友達も、「あのお好み焼きは美味しかったねー」と今でも言ってくれます。
10 名前:うるうる:2016/09/13 12:45
>>1
フルーツポンチ。

色々な果物とサイダー入れて完了〜。
でも、子供心に見た目が華やかでワクワクした。

母が「サイダー買ってきて」って言うと、
今日はフルーツポンチだ!って嬉しくなった。

当時1リットル200円の瓶入りスプライトを
向かい側にある自販機に買いに行くのが私の役目でした。

主さん、思い出させてくれてありがとう。
11 名前:かあちゃん:2016/09/13 12:49
>>1
料理ベタ
好き嫌いの多い家族
貧乏
全て揃ってた実家。

唯一皆が好きなのがカレーだった。
カレーの日は人参じゃが芋玉ねぎ豚肉のカレーの他に、同じ野菜で味噌汁があった。

母なりに子供に野菜を食べさせる工夫だったのだろう。

味噌汁いらない!
と言うと
文句言わずに食べなさい!
と怒られた。

今でもカレーに味噌汁は要らないと強く思う。
12 名前:忘れらんないのが:2016/09/13 12:57
>>1
働いてた母だから笑い話なんだけど、ある日の夕食がご飯とどんぶりいっぱいの豚汁だった時がある。

まあ・・・栄養素(肉と野菜と米)は足りてるけどさ。
どんぶりいっぱいの豚汁の圧がすごくて大笑いしたよ。
13 名前:割烹:2016/09/13 13:30
>>1
子供の頃、夜になると寿司屋にいったりすき焼きを食べにいってた。別に普通だと思っていた。
ある日、友人に言ったら「寿司食べに行ったんだって!」と言いふらされた。誕生日になぜか父親にスナックに連れて行かれ、ナポリタンなんかを出前でとってた。
今思えば、田中角栄全盛期で、父親が土建業の支社だったと思う。きっと収入もあったのだろう、家には○○全集の本とかジャポニカ事典とかもあったし洋酒の瓶がたくさんあった。

今、そんなぜいたくは出来ないわ。
14 名前:うるうる:2016/09/13 13:41
>>1
私も主さんの話にウルウルきちゃった。
たいがい、主さんのような話だとゴミを持たされたとか違う方向へ行くんだけど。

旦那の母親は、旦那が20代の時に亡くなっていて、お母さんに似た食事を出すと「かあさんと同じだ」と喜びます。そんなご飯は、たいがい「ナスの漬物」とか「玉ねぎの卵とじ」などです。

実家は味が薄いごはんで、味の薄い親子丼などが思い出のご飯かなー
15 名前:いいね。:2016/09/13 14:06
>>1
いい話ですね。
読んでて嬉しい気持ちになります。

私は、ないな。
思い出って思い出せない。
作ってもらったごはんで思い出がない。
好物もない。

何を食べてもおいしくなかった。
ご飯の時間も楽しくなかった。
母親の料理は本当に下手で
外食もあまりしなかった。
可も不可もない食べ物を毎日かんで
飲み込んでいました。
何の特徴もない料理だったな。

書いてて悲しくなってきちゃった。
16 名前:それ:2016/09/13 14:37
>>15
お母さんの方が悲しいから
17 名前:ネグレクト気味:2016/09/13 14:39
>>16
やばいと思うのは
私が料理が苦手だから。

わが子にとって母の味って何だろうwww
18 名前:水炊き:2016/09/13 14:48
>>1
私の父はとにかく野菜が嫌いで、肉ばかり食べるからと母の苦肉の策が「水炊き」でした。
「これだとお父さんも野菜を食べるのよ〜」と毎週末は水炊き。

嫌いだったな・・・・昆布で出汁を取って、ポン酢で食べる水炊きなんて好きな子供いないと思う。

我が家の水炊きは必ず父の好きな魚が入るんだけど、それも又子供には美味しく感じない。
コチ、ハゲ、フグ(安いの)、タラ、等毎回魚屋で父が指示したのを買ってくるのだけど、一体何が美味しいのかわからないままの子供時代だったけど、大人になって昔の水炊きが食べたくなって、魚を買おうとしたら高いのね・・・
私のお父さん、贅沢だったんだな〜と思ったわ。今じゃ水炊き大好きになってしまったから不思議。
19 名前:いいわ〜:2016/09/13 15:24
>>1
いい話ね〜
うるうるきちゃいました。

私もそんな思い出はないなぁ。
うちの子たちもおそらく。

家族を大事に思う気持ちこそが思い出に繋がるのかな…

ちょっと反省。
20 名前::2016/09/13 15:47
>>1
両親が離婚する前日、父がコロッケを作ってくれました。
じゃがいもとひき肉とたまねぎのシンプルなコロッケ。
最後の夕食の後、父と母は私にこう話をしました。
お父さんとお母さんは離婚することになったけど、これからもお前の親であるには何の変わりもない、不甲斐ない親でごめんなと。
不仲の両親が揃っての夕食なんて久々だったので、夫婦としては不仲でも最後の親の勤めとしての夕食だったのかもしれません。
小学生だった私はその晩川の字で寝たんだけど、翌朝目が覚めたら父はいなくなっていました。
祖母が一人暮らしだったので祖母の家に帰ったそうです。
その後半年ほどで父が亡くなったと母から聞いてお通夜とお葬式に行きました。
父方の祖母がお前の事死ぬまで申し訳ないと言ってたよと聞きました。
おばあちゃん、お父さんとお母さんが別れる前の日にお父さんコロッケ作ってくれた、ジャガイモとひき肉とたまねぎの普通のコロッケ、おいしかったよと話をして、祖母とふたりで父のコロッケを作りました。
今でもうちの定番です。
あーもう今でもこれ書いてるだけで泣けてくる。
21 名前:主です:2016/09/13 15:59
>>1
たくさん読んでくださってありがとうございます。
だんだん年を重ねてくるごとに、ちょっとしたことにジ−ンとくることが多くなってます。
義理両親の親心が理解できるんですよね。
温かい家庭だったんだろうなって。
本音は最初、いらないなの気持ちが多くて複雑だったのですが頂いてよかったと思いました。
主人から義理家の思い出と言うのを聞いたことがなかったのですが、思い出して嬉しそうに話している姿にぜんぶひっくるめて大切にしようと感じました。
話してるときの主人の顔が、子供に見えたというかなんというか表現できませんが。
きっとその瞬間だけは子供に戻れたんでしょうね。

他人からすすと、いらないものでも本人達にとってはすごく大切なもの。
そしてごはん=思い出になる味にとても羨ましくて私も子供たちに思い出として残るように、いろいろしてあげたいなと思いました。
家の子たちも主人と同じように思い出に残ってくれてるといいなと思います。

みなさんのレス読ませていただきました。
値段はかかってないけどほんとにおいしい温かい気持ちになるごはん、たくさんありますね。
同じように鉄板お持ちだった方いるんですね。

現実では全然お顔も何もかも知らないみなさんですが、思い出話し聞けて楽しかったです。
読んでるだけで、食べてみたいしその風景が想像できて私もその場にいるような気持になりました。
なんだかご家庭の様子想像しました。
きちんと記憶に残ってるんですね。
では〆させていただきます。
22 名前:主です:2016/09/13 16:07
>>20
〆後によみました。
せつないですね。
いいお父さんとお母さんですね。
夫婦はうまくいかなかったのかもしれないですけれど父さんのことを二人ともとても愛していたんですね。
せつないですがいいお父さんのお話聞かせていただいてありがとうございました。
23 名前:話が違うかもしれないけど:2016/09/13 17:54
>>1
高度経済成長期に親戚も一緒になって一代起こした祖父母の家でお手伝いさんに作ってもらったおやつの数々。
母や父と食卓を囲むことは少なかったからとても美味しかった。
お手伝いさんの部屋で見つけた食パンの耳を揚げて砂糖をつけたものが妙に珍しくて何度か作ってもらった。
ご飯もソーセージを炒めてかつおぶしをかけてマヨネーズで食べる。
父も母も祖父母も下品だと嫌がってたけど美味しかったな。
24 名前:シンプル:2016/09/13 18:01
>>1
具がじゃがいもと玉ねぎだけで作ったコロッケ
ですが、とてもおいしかったです。

それと、ナポリタンスパゲティーと横に
あった、2切れのチーズです。
25 名前:ありがと:2016/09/13 19:55
>>1
〆後にごめんなさい。
料理は本当に下手な母で、だけど大家族で人数分大量に毎日毎日用意するのは大変だっただろうなあと思います。

焼いただけのアジの開き、焼いて醤油かけただけの豚レバーなんかがメインだったり。
カレーや麻婆豆腐は量らないから薄いし笑

そんな母ですが、牛乳と砂糖と卵で、ミルクセーキ風の手作りアイスを作ってくれてました。
型に入れて、セットの棒さして。
おいしかったなあ。

そんな母もリュウマチや脳梗塞で寝たきり。
憶えてるかなあ。今度その話しておかないと・・

主さん思い出させてくれてありがとう。
26 名前:涙味:2016/09/13 20:12
>>1
良いスレを有難う。どの話もじんと来たよ。

そして主さん、良い奥さんだなあ。

うちは娘の焼くお菓子かな。バレンタインの友チョコもそうだけど、一番印象に残っているのは、シフォンケーキ。

友達が少なかった娘が中2でやっと自分の仲良しグループができて、他クラスにも友達が増えてもう安心。これでクラス替えをしても独りぼっちにはならないだろう!って思っていたのに、見事に友達全部とクラスが離れてしまって・・・。

クラス替えが発表された日、娘は帰ってくるなり黙ってシフォンケーキを焼いて、ワンホールを一人でやけ食いしたの。私は何も声をかけられなかった。涙の味がしたんだろうな。

<< 前のページへ 1 次のページ >>


トリップパスについて

(必須)