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あさの着物の下半身事情はどうなってるんだ?

0 名前:のこった:2015/11/14 03:15
朝ドラ、あさの和服の下半身ってどうなってるんでしょうか?男性はふんどし履いてますが、女性は?
長じゅばんの下、ノーパンってことはないんですよね?

相撲のシーン見てて、見えてしまうと言う事は無いのか?と思ったんですが・・。

大股で歩くな、お上品にしろとか言われていたのはノーパンだからと言う事も会ったりするの??
1 名前:のこった:2015/11/15 13:11
朝ドラ、あさの和服の下半身ってどうなってるんでしょうか?男性はふんどし履いてますが、女性は?
長じゅばんの下、ノーパンってことはないんですよね?

相撲のシーン見てて、見えてしまうと言う事は無いのか?と思ったんですが・・。

大股で歩くな、お上品にしろとか言われていたのはノーパンだからと言う事も会ったりするの??
2 名前:そのとーり:2015/11/15 13:22
>>1
歴史事情考えると当然ノーパンでしょう。

パンツ、というかズロース?が日本に普及し始めたのってもっと後だよね。

白木屋火災で女性の下着が一気に普及したんだよね。
それまでは一部の日常的に洋装な女性しかパンツはいてなかったはず。

着物の下は長襦袢と肌襦袢とお腰だけ(襦袢を何枚着るか、色々だろうがだから、あぐらかいたり、あさのように四股踏んだりすると「見えちゃう」よ。

だから女はあぐらかいたり立て膝したり大股になったりすると「はしたない」と言われてたんだよ。
3 名前:ドラマ:2015/11/15 13:28
>>1
ドラマだからパンツは履いているよね。たぶん。
時代背景を考えたらノーパンでしょう。
4 名前:生理時:2015/11/15 13:35
>>1
>長じゅばんの下、ノーパンってことはないんですよね?

いわゆる腰巻のみのノーパンですね。
冬は腰巻2枚巻きつけてたそうです。
ちなみに生理の時はT字帯(ふんどし?)だったそうですが
あんなサラシ布だけじゃ大変ですよねー。
5 名前:腰巻き:2015/11/15 13:35
>>3
巻きパンツはノーパンのくくり?
6 名前:フハイヨ:2015/11/15 13:37
>>4
フハイヨ、ヒTサ惲モ、タ、ォ、鯆鄒賈ラ、ク、网ハ、、?
7 名前:ほほぉ〜:2015/11/15 15:14
>>6
綿花あったっけ?
あの時代。

もっとあとじゃない?
って思って調べてみた。



こんな記事があったよ。
引用です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生理の時は隔離されていたことも

平安時代の高貴な女性の場合、さすがにお古のふんどしなどではなく、
「月帯」と書いて「けがれぬの」と読む専用の生理帯を使い、当て布に綿を挟んでいました。

生理=ケガレであるという発想だったので、生理期間の8日間は自宅の離れや実家などに隔離され、
全身くまなく洗って身を清めた後に初めて通常の生活に戻れる、という感じだったようです。

ふんどしの中に入れる吸収剤として、貴族は綿毛を用いることが多かったようですが、
庶民の場合、より安価な麻やボロ布、ガガイモやツバナの穂などの植物をすりつぶしたものを忍ばせていたようです。
実際、吸収するものであれば何でもアリだったのかもしれません。

このように、現代のナプキンの原型はすでに平安時代には存在し、一般には「股ふさぎ」という
実にあからさまな呼び名が使われていました。

江戸時代になると、紙の値段が下がってきたこともあって、懐事情にゆとりのある女性は
和紙(浅草紙という再生紙)を折り畳んで性器に当てがい、
上からふんどし状の布で押さえていました。
またタンポン式の生理用品として、和紙や布を丸めて膣の中に詰め込んだり、
吸水性のある海綿にヒモをつけて用いていたともいいます。

とはいえ、庶民にとって紙の値段は
まだまだ高かったようで、紙といえども使い捨てにしないで洗って何度も使ったり、
紙は使わずに相変わらずボロ布などで対応するのが庶民流だったとか。

現代では、衛生用品を買えないほど
貧乏している人は稀ですから、昔は今と比べても経済格差が露骨だったと言えるかもしれませんね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8 名前:ちょっと付け足し:2015/11/15 15:45
>>7
この記事はいとも歴史的参考になる
情報ですね。すごいわ。

が、これは実際に私の祖母
(一昨年97歳で他界)の話です。

祖母は相当お金持ちのお嬢様でした。
母から聞いた話で、祖母の女学校時代、
その学校の椅子は布製のクッションの
教室が多く、多くの椅子のクッションには
黒々としたシミのような物があったと
言います。(女学校へ行く時の恰好は、
「ごちそうさん」の主人公が若い頃に
着ていたあの着物と袴のような恰好)

祖母は生理がかなり遅かったお嬢様
だったので、入学当時、
なぜ椅子にこんなに黒いシミが付いているのか
これは一体何だろう?と、
不思議だったそうですが、
後にこれらは皆、生理でいろんな物で
抑えても当時漏れてしまうこともあり、
授業中長く座りっぱなしの間に
椅子にそのモレのシミが付いたようでした。

女ばっか、教師も女ばっかなので、
そのへんは多めに見られたいたようですが、
今では考えられない現象ですよね。

だから、あさが開いた女学校も
当初はもしかしたら、そういうのがあったかも
....と、想像します。

今はいい時代になったもんだ。

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