NO.6707336
障子一枚隔てて外?
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0 名前:寒いよー:2016/03/18 20:06
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朝ドラ「あさが来た」。
明治時代の大阪。
居住部屋と屋外を隔てるのは障子一枚。
北海道住みの人間には考えられない住環境なのですが、昔と今の建築技術の違いを考慮しないとして、
大阪などではあの環境もナシではないのでしょうか?
障子一枚で冬の寒さに耐えられますか?
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1 名前:寒いよー:2016/03/19 21:28
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朝ドラ「あさが来た」。
明治時代の大阪。
居住部屋と屋外を隔てるのは障子一枚。
北海道住みの人間には考えられない住環境なのですが、昔と今の建築技術の違いを考慮しないとして、
大阪などではあの環境もナシではないのでしょうか?
障子一枚で冬の寒さに耐えられますか?
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2 名前:たぶん:2016/03/19 21:30
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>>1
雨戸はあったんじゃないの?
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3 名前:寒いよー:2016/03/19 21:41
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>>2
>雨戸はあったんじゃないの?
雨戸というのも存在は知っていても
実際に見たことがないんですよね。
その使い道とか有用性も実体験としてわからなくて。
雨戸さえあれば暖かいのかな。
でも真っ暗?
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4 名前:え:2016/03/19 21:43
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>>3
>>雨戸はあったんじゃないの?
>
>雨戸というのも存在は知っていても
>実際に見たことがないんですよね。
>その使い道とか有用性も実体験としてわからなくて。
>雨戸さえあれば暖かいのかな。
>でも真っ暗?
北海道には雨戸はないの?
夜とか台風の時とか、しめないの?
あ、台風は来ないか・・・。
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5 名前:ええっと:2016/03/19 21:49
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>>1
障子は寒いのでその為に縁側が作られています。
今で言うヒートテック的な役割で空気の層で暖を取っています。
>朝ドラ「あさが来た」。
>明治時代の大阪。
>居住部屋と屋外を隔てるのは障子一枚。
>
>北海道住みの人間には考えられない住環境なのですが、昔と今の建築技術の違いを考慮しないとして、
>大阪などではあの環境もナシではないのでしょうか?
>
>障子一枚で冬の寒さに耐えられますか?
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6 名前:世界遺産:2016/03/19 21:56
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>>1
合掌造りの家に泊まったことがあるのですが、
屋外と隔てるのは障子の窓一枚でした。
雨戸もなかった。
そんなに大きな窓じゃありませんでしたけど。
でも障子一枚のみで生活してるの?!と、
カルチャーショックだった。
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7 名前:岩手県:2016/03/20 04:21
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>>1
BSで放送中のどんど晴れにも出てきた、岩手の曲がり屋に行ったことあるけど、雪国でこれ大丈夫なの?と言う作りだったよ。
昔は、実際ああいう住居に住んでたんだよね。
ガラスは無いし、障子じゃ寒すぎると私も思った。
冬は、真っ暗の中でランプで暮らすのか??って感じ。
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8 名前:だよね:2016/03/20 05:57
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>>4
>>>雨戸はあったんじゃないの?
>>
>>雨戸というのも存在は知っていても
>>実際に見たことがないんですよね。
>>その使い道とか有用性も実体験としてわからなくて。
>>雨戸さえあれば暖かいのかな。
>>でも真っ暗?
>
>
>北海道には雨戸はないの?
>夜とか台風の時とか、しめないの?
>あ、台風は来ないか・・・。
この人はずっとマンションとかの集合住宅しか知らないと言う事?
でも、見たことが無いと言うのがちょっと想像つかないよね。
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9 名前:寒いよー:2016/03/20 06:59
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>>8
>この人はずっとマンションとかの集合住宅しか知らないと言う事?
>でも、見たことが無いと言うのがちょっと想像つかないよね。
なぜかこの人呼ばわりされてますが笑
私は戸建で生まれましたが、、
例えマンションや集合住宅にしか住んだことがなくても、生きていて戸建を目にしないことなどない訳で。
もしかしたら、私が見たことがないような築100年レベルの木造住宅にはかるのかも知れません。
でも、ないんですよ、雨戸。
今の戸建住宅には。
信じられないのかも知れませんが、
二重サッシかペアガラスの窓があるだけで、雨戸ってないんです。
なぜなんでしょうね。
やっぱり強烈な台風が来ることが少ないからなのか、積雪により壊れやすいのか。
北海道観光にいらしたら、観光地巡りだけでなく、移動の際戸建住宅に目を向けてもらえるとわかると思います。
別に弁解したい、熱く語りたいわけではなく、そもそも最初のスレから
本州との住環境の違いが気になっていたので、北海道の場合を書いてみました。
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10 名前:明治だし:2016/03/20 08:34
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>>1
明治時代に今みたいにガラスのサッシなんて無かったでしょうから、木造の雨戸が付いていたんだと思いますよ。
明治初期の北海道の開拓民の家だって、藁の家だったじゃん。
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11 名前:耐えたんでしょう:2016/03/20 09:49
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>>1
あさの家みたいなのは、冬はあの広い廊下の外側に使用人が毎晩雨戸を立てたんだと思いますよ。雨戸は一番端に袋戸があってそこへ収められています。
夫の実家も東北で昭和20年代に建てられた家ですが、そりゃーもう防寒対策なんてなかったですよ。
家の中も外も同じ気温かよ!って腹が立つくらいでしたから。
縁側があさの家の廊下みたいな広さで、木の雨戸だったのですが、何十年か前にサッシにしたようです。でもこのサッシも微妙に合っていなくて、網戸もありましたが隙間も多くて虫さんウエルカム状態です。
敷布団一枚で上掛けは毛布と重いばかりで暖かくない綿の布団で、凍えて眠れなかった事があります。
次の年は電気毛布買っていきました。
でも昔の人は毛布さえなくて寝ていたんですよね。
寒さにも耐えていた、労働もきつかった、食事も貧しかった、だから短命だったんでしょうね。
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12 名前:昔の民家:2016/03/20 10:13
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>>9
現在の北海道の住宅と比べられてもね。
北海道の明治時代の開拓民の住宅だって、ワラで作った小屋のようなところだったんでしょう?
昔の人は、火鉢や囲炉裏で暖を取っていたんだと思うよ。
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13 名前:朝ドラあるある:2016/03/20 10:27
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>>1
>朝ドラ「あさが来た」。
>明治時代の大阪。
>居住部屋と屋外を隔てるのは障子一枚。
朝ドラならではの矛盾なんだよねえ。
薄いガラスとはいえ、ドラマ内でも外窓付いてる建物がたくさんあるのに、それが加野家にないわけがないし。
思い出しても身震いするのが、井上真央の「おひさま」。
真冬の夜に寝巻きの浴衣一枚で窓開けて外眺めるシーン。
長野県松本の寒さ知らないのかね。
あそこの冬は人が住めるような寒さじゃない。
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14 名前:懐かしい:2016/03/20 10:45
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>>1
>朝ドラ「あさが来た」。
>明治時代の大阪。
>居住部屋と屋外を隔てるのは障子一枚。
>
>北海道住みの人間には考えられない住環境なのですが、昔と今の建築技術の違いを考慮しないとして、
>大阪などではあの環境もナシではないのでしょうか?
>
>障子一枚で冬の寒さに耐えられますか?
大阪ではないけど祖父母の家が築100年を超えたもので、かなり古い作りでした。
窓ガラスではなくて障子の枠に板ガラスが入っていました。
ガラスが普及する前は障子紙だったのかも。
電化製品が発達する前はすごく寒かったのかもしれないけど、こたつに入って、後ろに石油ストーブがあったから、そんなに寒さは感じなかったです。
祖父母の部屋にはストーブではなく大きな火鉢があって、こたつのような一人用の台に長い布が付いていてあんか(?)を中に入れて使っていました。
リビングには掘りごたつがありましたが、危ないから小さい子は入っちゃいけないと言われて、年長のいとこたちがいつも入っていたので、それは私は使えませんでした。
外廊下とトイレが寒くて大変でした。
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15 名前:知らなかった:2016/03/20 11:38
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>>8
>>>>雨戸はあったんじゃないの?
>>>
>>>雨戸というのも存在は知っていても
>>>実際に見たことがないんですよね。
>>>その使い道とか有用性も実体験としてわからなくて。
>>>雨戸さえあれば暖かいのかな。
>>>でも真っ暗?
>>
>>
>>北海道には雨戸はないの?
>>夜とか台風の時とか、しめないの?
>>あ、台風は来ないか・・・。
>この人はずっとマンションとかの集合住宅しか知らないと言う事?
>でも、見たことが無いと言うのがちょっと想像つかないよね。
雪国だけど見た事ないよ。
サザエさんなんかで知った。
ああ、障子一枚でもないです。
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16 名前:うん:2016/03/20 12:56
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>>1
司馬遼太郎の菜の花の沖を読むと、北海道にも朝鮮半島にあったようなオンドルの技術があれば随分違っただろうみたいなことが書いてあったわ。
なぜ、オンドルが普及しなかったのかは謎だけど。
日本(本土)の建築は基本夏仕様に造られてるしさ。
日光の東照宮でもそうだけど高床式でしょ?
あの雪深い土地でもそういう造りなのにはびっくりした。
それに白川郷のような茅葺の家だって天井は高く、囲炉裏で温まった空気は上へ上へと昇って行くから、一番上では蚕を育ててた。
人間は二の次なんだよね。
多分、昔の人は寒さに耐性があったんだと思うよ。
漁村なんか吹きっさらしでも掘立小屋だったしね。
金を持ってるところには暴風の塀があったりしたけど。
今の日本人じゃ耐えられないと思うよ。
毛皮なんかも北海道のアイヌか金持ちだけだろうし。
ひたすら綿を入れた着物の重ね着がいいとこだったと思う。
私ならとっくに凍シだな。
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17 名前:嫌韓:2016/03/20 13:37
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>>16
>司馬遼太郎の菜の花の沖を読むと、北海道にも朝鮮半島にあったようなオンドルの技術があれば随分違っただろうみたいなことが書いてあったわ。
>なぜ、オンドルが普及しなかったのかは謎だけど。
それは致シ率が高いからです。
特に木造建築が主流で土作りで床を作れないほど日本の降水量は半端なくきついし、湿度も高いし向いていないんですよ。
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