NO.6739290
昭和天皇の弟?100歳?
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0 名前:フランス人:2016/05/16 10:07
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生きているんですね。とてもビックリしちゃいました。
戦後の昭和天皇、今の天皇陛下と美智子様
ストレスも多いだろうし、すごく苦労して国民と
寄り添っている感じだけど
昭和天皇の弟さんが100歳まで長生きしてるのは
かなりラクな人生を送っているからなんでしょうね。
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1 名前:フランス人:2016/05/17 13:15
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生きているんですね。とてもビックリしちゃいました。
戦後の昭和天皇、今の天皇陛下と美智子様
ストレスも多いだろうし、すごく苦労して国民と
寄り添っている感じだけど
昭和天皇の弟さんが100歳まで長生きしてるのは
かなりラクな人生を送っているからなんでしょうね。
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2 名前:えー:2016/05/17 13:23
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>>1
楽じゃないと思うよ。
戦争も知ってて、息子3人に先立たれ、激動の時代を知ってるんだもん。
庶民と比較すれば楽な人生って思うのかもしれないけど、皇族には皇族なりの苦労があると思う。
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3 名前:はてな:2016/05/17 13:29
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>>2
>楽じゃないと思うよ。
>戦争も知ってて、息子3人に先立たれ、激動の時代を知ってるんだもん。
>庶民と比較すれば楽な人生って思うのかもしれないけど、皇族には皇族なりの苦労があると思う。
息子3人に先立たれたんだね?
それは可哀想だね。
いや、庶民と比べてじゃなくて
天皇陛下と比べて次男はラクだっただろうねって意味です。
皇族に生まれて、苦労ってどんな苦労なんだろ?
皇族の男に生まれたら、苦労なんてなさそう。
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4 名前:つい最近:2016/05/17 13:57
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>>1
100才のお誕生を迎えられてと、新聞にもニュースにも。
忘れちゃった?
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5 名前:そうかな?:2016/05/17 14:53
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>>3
>>楽じゃないと思うよ。
>>戦争も知ってて、息子3人に先立たれ、激動の時代を知ってるんだもん。
>>庶民と比較すれば楽な人生って思うのかもしれないけど、皇族には皇族なりの苦労があると思う。
>
>息子3人に先立たれたんだね?
>それは可哀想だね。
>いや、庶民と比べてじゃなくて
>天皇陛下と比べて次男はラクだっただろうねって意味です。
>皇族に生まれて、苦労ってどんな苦労なんだろ?
>皇族の男に生まれたら、苦労なんてなさそう。
皇族に生まれたら自由なんてなくて、人の目を常に気にしながら生きなくてはいけない。
長男だろうが、次男だろうが大変だと思うよ。
それに昭和天皇だって大往生って年齢だったしね。
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6 名前:籠の仲の自由:2016/05/17 15:17
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>>3
次男じゃなくて四男ね。
継承順位が低いせいか、若い頃は
中国に派遣されて戦争の悲惨さを目のあたりにしたり
クーデターを企てるなんて無茶もしてたらしい。
長兄の昭和天皇に比べれば自由だったのかもね。
かなり制限された自由だけど。
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7 名前:なるほど:2016/05/17 16:51
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>>6
>次男じゃなくて四男ね。
>継承順位が低いせいか、若い頃は
>中国に派遣されて戦争の悲惨さを目のあたりにしたり
>クーデターを企てるなんて無茶もしてたらしい。
ここに来られてるママさんで
こんなに歴史に詳しい方がいらっしゃるんですね。
すごいですね。
4男だったとは知らなかった。
大正天皇は体が悪かったと聞きましたが
男の子は沢山産まれたのですね。
戦争を経験されたのは、あの時代の方全てで
100歳の方だけではないけれど。
生まれた国や生まれた家で人間の人生は
ほぼ決まってしまうのかもしれませんね!
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8 名前:wiki:2016/05/17 17:30
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>>7
>>次男じゃなくて四男ね。
>>継承順位が低いせいか、若い頃は
>>中国に派遣されて戦争の悲惨さを目のあたりにしたり
>>クーデターを企てるなんて無茶もしてたらしい。
>
>ここに来られてるママさんで
>こんなに歴史に詳しい方がいらっしゃるんですね。
>すごいですね。
私歴史には詳しくないけど、どんな人だろうと思ってwiki見たら全部書いてあったよ
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9 名前:間違いばっか:2016/05/17 17:50
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>>6
中国に派遣なんてありえない。
仮にも陛下の弟宮さまだよ?
危険な場所に送るわけがない。
国内の安全な場所におられたはず。
それにクーデターは秩父宮。
それも企てたんじゃなくて
理解を示しただけ。
知ったかぶりで
間違った情報を書かないでね。
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10 名前:これ・・・:2016/05/17 19:32
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>>9
訂正してあげたほうがいいんだろうか??
明らかにこっちのレスが間違ってるんだけど。
>中国に派遣なんてありえない。
>仮にも陛下の弟宮さまだよ?
>危険な場所に送るわけがない。
>国内の安全な場所におられたはず。
>
>
>それにクーデターは秩父宮。
>それも企てたんじゃなくて
>理解を示しただけ。
>
>
>知ったかぶりで
>間違った情報を書かないでね。
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11 名前:コピペ係:2016/05/17 19:56
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>>1
『建国記念の日』に反対した三笠宮崇仁殿下の情念」小林よしのりライジング Vol.74
2014-02-18 13:10
2月11日、わしは田中卓氏(皇学館大学名誉教授・古代史学の泰斗)に頼まれて大阪の国民会館で講演したが、そのとき「建国記念の日」の成立には、田中卓氏ら尊皇の本物の保守知識人と、左翼勢力のシンボルとしてこの祝日制定に猛反対した三笠宮崇仁親王殿下の激しい論争があったことを話した。
安倍首相はこの日、「建国記念の日」を寿ぐメッセージを出し、産経新聞は社説で未だに政府主催の式典が開かれないことを嘆いていたが、そもそも安倍首相も産経新聞も自称保守派&ネトウヨも、この祝日の成立に最も寄与した人物を知っているのだろうか?
それは皇統の「女系公認」を主張する田中卓氏である。
そもそも神武天皇の実在を証明したのは田中卓氏なのだから、この学者がいなければ「建国記念の日」は2月11日に復活することはなかったはずだ。
現在の「建国記念の日」は、昭和23年(1948)までは「紀元節」といった。
初代天皇・神武天皇が橿原宮に即位した日を『日本書紀』の記述から推定し、日本の建国を祝う日として明治6年(1873)に定めたのである。
しかし戦後、GHQによって紀元節は廃止されてしまった。
そこで本土の占領が終了した昭和27年(1952)から「紀元節復活運動」が盛り上がりを見せるようになる。
世論は復活賛成が圧倒的で、昭和32年(1957)に自由民主党の衆議院議員らが「建国記念日」制定に関する祝日法改正案を国会に提出。しかし日本社会党の反対によって審議未了となった。
その後も根強い国民の希望がありながら、左翼政党や「進歩的文化人」らの反対により、「建国記念日」制定の法改正案は9回も提出と廃案を繰り返し、10年近くにも及ぶ攻防が繰り返された。
その間、左翼側に立って「紀元節復活反対」の運動に大きな役割を果たしたのが、昭和天皇の弟で現在98歳の三笠宮崇仁(たかひと)殿下である。
三笠宮殿下は昭和32年(1957)、日中友好論者(もちろん左翼)の東洋史学者、三島一の還暦を祝う会のあいさつで、次のような発言をした。
「2月11日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、肝心の歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか」
「先日松永文相に会ったとき、『日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない』といったら驚いていた」
「このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、2月11日・紀元節反対運動を展開してはどうか」
「この問題は純粋科学に属することであり、右翼左翼のイデオロギーとは別である」
「日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない」なんてことを問題視しているのにも驚くが、「純粋科学に属すること」という発言も不可解である。
紀元節復活論争では、戦前の正史批判によって左翼に絶大な人気があった津田左右吉でさえ「史実ではないが、キリストや仏陀の降誕も同様なことだ」として、儀式としての祝日を是認したのだが、三笠宮にはこのような見識もなかったのである。
この三笠宮殿下の発言は毎日新聞同年11月13日付でスクープされ、大きな波紋を巻き起こした。
これを機に、尊皇派の学者・論客が立ち上がり、翌昭和33年(1958)4月に『神武天皇紀元論—紀元節の正しい見方—』という本を刊行。
この編集・刊行を担当したのが若き日の田中卓博士で、企画から出版までわずか1ヶ月半で、平泉澄・肥後和男・樋口清之・葦津珍彦・小野祖教・田中卓など、錚々たる25名もの学者が執筆し、「紀元節」賛成の論文集を発行したのだった。
田中氏はこの本が完成するとすぐに、三笠宮家に献上。これは三笠宮殿下に対する「諫言」だった。
しかし三笠宮殿下の「紀元節復活反対」はもはや「信念」と化しており、著名な左翼系の学者に電話をかけたり、自筆書簡を郵送したりと、直接の働きかけまでしていた。
そして昭和33年11月、殿下は歴史学者として所属していた「史学会」の東京大学における大会総会において、「反対決議をせよ」と強く主張。坂本太郎理事長がこれを「政治的」だとして拒否すると、脱会を宣言して席を蹴ったのだった。
三笠宮殿下は「文藝春秋」昭和34年(1959)1月号では、『紀元節についての私の信念』と題して次のように語っている。
「真理を主張するのがなぜいけないのか」
「紀元節の問題はすなわち日本の古代史の問題である」
「(紀元節復活に反対するのは)生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての、責務である」
「もし二月十一日が祝日にきまれば、われわれはその廃止運動を展開するであろう」
この中で「旧軍人としての」責務という発言があることに注目してもらいたい。
三笠宮は戦時中、陸軍大尉として南京の支那派遣軍総司令部に勤務していたが、その時にシナ軍のプロパガンダをすっかり信じ込んでしまったらしく、離任の際には総司令部の全将校を前に、「軍部が中国に対して反省と謙虚さを欠いて侵略したことを厳しく批判」する内容の講和を行ない、「情誼的で人情を重んずる」中国人の心情を理解せよと説いていた。
戦後は「人数は関係なく、南京大虐殺はあった」とか、「八路軍の婦女子に対する厳正な軍規と、モラルなき日本陸軍の蛮行」とかを語り、「天皇の戦争責任」まで言及した。
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12 名前:知らなかったよ:2016/05/17 20:23
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>>1
昭和天皇の弟が生きていたとは知らなかったよ。
調べてみたら私の祖母と同じ大正4年生まれだった。
祖母も生きてたら100才なんだなーと思うと
なんか不思議な感じ。もう25年も前に亡くなったからね。
長生きしてほしいですね。
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13 名前:憶測:2016/05/17 22:33
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>>1
大正天皇は、お身体が弱かったと聞いている。
突然、お元気になられたそうなので、
身代わり説(途中から別人説)が根強いらしい・・・・
まあ、昭和天皇の弟君が、
100歳を生きてこられたのは、めでたい事だ。
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14 名前:はぁ・・・:2016/05/18 11:14
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>>9
あんたのほうがモノ知らず。
wiki読んどいで。
>中国に派遣なんてありえない。
>仮にも陛下の弟宮さまだよ?
>危険な場所に送るわけがない。
>国内の安全な場所におられたはず。
>
>
>それにクーデターは秩父宮。
>それも企てたんじゃなくて
>理解を示しただけ。
>
>
>知ったかぶりで
>間違った情報を書かないでね。
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15 名前:ハンドレ:2016/05/18 11:20
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>>1
現在の天皇陛下っておいくつなんだろう?
昭和天皇の弟がまだ100歳なんだ?と驚いた。
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16 名前:嫡男が大事:2016/05/18 11:31
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>>9
>中国に派遣なんてありえない。
>仮にも陛下の弟宮さまだよ?
>危険な場所に送るわけがない。
>国内の安全な場所におられたはず。
昔はどこの国も、大切なのは長男で、次男以下は政治利用であちこち行かされたり戦場の志気を高めるために前線に行かされたりしてるよ。実際に戦力にはされないだろうけど。
今の時代は次男以下の方が気楽に過ごせるだろうけど。
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17 名前:すごいね:2016/05/18 12:49
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>>13
>大正天皇は、お身体が弱かったと聞いている。
>突然、お元気になられたそうなので、
>身代わり説(途中から別人説)が根強いらしい・・・・
え?こんな事、昔は出来たんですねぇ。
実は私は(実はと言うか)皇室がちょっと好きで
図書館で昔の日本人とか歴史とか皇室とかの写真を
見てたんです。
昔の皇室の人は国民に顔とかお姿を見せなかったんですよね?
(目がつぶれるとか?)写真も見せない感じで。
そーいえば大正生まれのおばあちゃんが神棚の中に入ってる
ものを見てしまったら目がつぶれると言ってました。
こんな感覚なのでしょうか。
>まあ、昭和天皇の弟君が、
>100歳を生きてこられたのは、めでたい事だ。
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18 名前:ところで:2016/05/18 14:34
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>>17
庶民だと目がつぶれるのなら
皇族の写真を撮った人とか
現像した人は身分の高い人だったのかな?
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19 名前:きっと:2016/05/18 16:25
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>>18
>庶民だと目がつぶれるのなら
>皇族の写真を撮った人とか
>現像した人は身分の高い人だったのかな?
たぶん身分が高いと思います。
名字とかも、ちょっと聞いたことないみたいな。
先祖代々、皇族に仕えていた子孫とか。
士族出身とか。
そして口が硬い人たちなんだろうね。
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