NO.6880812
神や仏について
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0 名前:思う:2018/08/22 10:55
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この世界に存在する、宗教を信じていません。
もちろん、キリストは全知全能の神だなんて思わないし、それにまつわる出来事が神秘だともおもいません。神社や寺も建造物として見るだけで、祈る事もありません。
家族と初詣に行きますが、神社や寺が何かしてくれるとも思わないし、感謝の気持ちもわきません。家族にはそういう気持ちは伝えていません。
いませんばっかりですが、これはわたしの本音です。
もし、神や仏がいるのなら、どうしてこうなるの、ということが多過ぎるとは思いませんか?
神や仏がいるからこうなったという実感もないです。
同じ方、いらっしゃいますか?
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1 名前:匿名さん:2018/08/22 11:20
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私も神仏を頼りにしてはいないけど、いるかもしれないなとは思っています。
そういう意味では信じているということになるのかな。
でも、神様は人間だけの神じゃないと思っています。
生きとし生けるものすべての神様。
人間だけに都合の良い要求にはこたえられないからこその天変地異もおこるのかな、と。
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2 名前:私的見解:2018/08/22 11:22
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死んだ人のお墓がなぜあるのか?
死者側は土に海に自然の中に亡骸が帰ればよいだけ。
お墓はこちら側に残された生きているもののために
存在意義があるのだと、いつの頃からか思うように。
死者を弔う、懺悔する、語りかける、お願いする。
全て生きてる側の精神安定のため、心の拠り所のために存在しているのだと。
神や仏も信心とは生きてる側の心の拠り所として、尊いものだと、そう理解してます。
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3 名前:匿名さん:2018/08/22 14:08
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私も三番さんに近いなー。
自分の宗教を自分自身決めてはいないけど
神社に行けばお参りし、お地蔵さんには手を合わす。
子供の受験や交通安全を祈る。
おじいちゃんの仏壇に挨拶をする。
人間の心の安定のために発明されたものだとは思う。
倫理とか宗教がなければ人間は耐えられなかった。
でも宗教の持つパワーはすごくて
あんなたくさんの世界遺産を生み出したり、今も戦争をさせたりする。
私の思う神様はすごく小さな力しかなくて
地震一つ抑えられない。
人と同じように悪意はあって
悪意の方が働く。
これはさ、何となく自分の中で作った宗教感だけど
何かしらの人にはわからない力があるのではないかと
(それは人の持つ意思の力かもしれないけど)
なんのオカルトも信じてはいないけど。
でも恐怖感はある。
ちなみにキリスト教の人もキリストを全能の神とは思ってないよ。
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4 名前:匿名さん:2018/08/22 14:15
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私は、人間の潜在力はものすごく深くて大きくて、いろいろなものとつながつていると
思っている。
祈ることは、それを研ぎ澄ましたり覚醒されたりする一つの方法で
うまくいくと悩みが軽くなったり、いい考えが浮かんだりするのだと思う。
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5 名前:非科学的:2018/08/22 15:01
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弱い人間の心のよすがなんだろな。動物や植物には神も仏も関係ない。
わけのわからないことは神仏にすがればなんとかなるという。
私は祖母からご先祖様には頼み事をするものじゃない、
どうぞ成仏下さいと唱えれば自然と守ってくれると言われた。
義母はがっつり頼み事してる。
お百度詣りもする。
旦那が今でも言う。高校受験で合格した時義母の第一声が
「私がお願いしたからよ!」だったと。
頑張ったのは俺なのにと、それから神仏と義母が嫌いになったそうだ。
良いことは自分のお参りのせい、悪いことは他人の不信心のせいと信じてるその事がどれだけ人を傷つけて来たか。
今の自分の体調が悪いのは親戚がお経をあげない家族葬にしたからだと言い放った。
折角お見舞いに来てくれてのそれ。
私も旦那の言う事がわかるので受験の前にやたらと神社ごとにお願いするのやめた。
勉強は子供を信じて
体調管理は科学的論理に基づいてすることにする。
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6 名前:匿名さん:2018/08/22 15:11
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特に何教も信心してないけど
神はいるような気がしてる。
私は自分の中で、人生を動かしてる?見守ってる?
神に祈ることはある。
でも、神様は願い事をかなえてくれる人ではないと思う。
救ってくれる存在でもなくて、自分のなかにあって本当に頑張ったときに、
運やチャンスを与えてくれたとき、神様に守られてるのかなと私は思ったりする。
つらいときは、試練を与えられたのかなと。
お願いしたからご利益だけを望む存在ではないような‥気がする。それは、感謝の気持ちをどこかに
示しなさいという古来の人の知恵と寺が結託して考えたもののような。
まあ実家がキリスト教なので、その影響は強いかもわからないが
うまく言えないけど、神の存在は私は自分の中にあると思う。
信心は面倒で、神はどの宗教だって殺生などといてないわけで、
かえって戦争を招いているというのはそのとおりよね。
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7 名前:匿名さん:2018/08/22 15:17
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核家族で手を合わせる対象も習慣もなかったけど
実親が亡くなって旅立ったその場所で仏に守られているという認識に変わった。
今はそこにいると思っているし、いつかまたそこで会えるという考えにもなってる。
ご先祖様のためってところか。
昔は災害、病気等はじめ困り事は神や仏に祈るしかなかったんだろうなとは思う。
他に術がなかったんだろね。
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8 名前:宗教の自由:2018/08/22 15:40
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災害起こる度に神も仏もないなって思います。
でもお墓や仏壇には手を合わせるし神社に行けば参拝します。
ちょっとぐらい供養が足りなくてもうちの先祖が祟ることはないです。
神様や死んだ人より生きてる人を大切にするのが一番。
神様を信じて心の拠り所にしてもいいけれど
他の宗教への冒涜と布教が良くないと思います。
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9 名前:全能や神秘でなく:2018/08/22 15:54
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人間より大きな何かは有ると思う。
人生で納得できない時にそういうものが有ると便利。
それのせいにしたり、すがったりできる。
人以上のものや長年人々が敬ってきたものに敬意を払います。
しつくして、祈るしかない時もあるしね。
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10 名前:信仰はなくても:2018/08/22 23:20
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主さんが何かに願ったり、祈ることが一度でもあったならば、その対象は何だったんだろうね。
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11 名前:自然崇拝:2018/08/23 00:24
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単純に、自然崇拝者なんだとおもいますよ。
お祭りも、いただきまーすもそうですよね。
日本はもともとアニミズム信仰なので
主さんのような神様は信じてないと言う人は多いとおもいますよ。
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12 名前:主です:2018/08/23 01:00
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ありがとうございます。みなさん色んな意見をお持ちですね。
でも私と同意見の方は少数派だとわかりました。
様々な宗教において、色んな超常現象と思われていた事が少しずつ解明されてきて、教義の根本が揺らいできてもなお信じ続けることに疑問を抱かないのかなと思ってしまいます。
例えば、進化論が一般的になってもまだ神が人間を創ったと信じなければいけないとか、世紀末に人類が滅亡すると信じ込ませておいて今も尚、信じ続ける事など、この神社でお参りすればこんな願いが叶いますよ、とかテレビなんかで言ってる神主さんは本気で言ってるのかと呆れてしまうんです。
みんな嘘におどらされてると知ってて、お参りしているわけではないのなら、それは諦めなのかとも思います。
この世の中、思い通りにならない事ばかりなら、良いと聞けばとりあえずやっておけば何かあるかも知れない。
宗教ってそんなものなのかも知れませんね。
そのお金で神主や坊主や牧師さん達の生活が成り立つという企業と思う方が私にはしっくりくるかも知れません。
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