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キューポラのある街

0 名前:理解できない:2019/12/02 17:58
昭和44年生まれです。

昭和37年公開の「キューポラのある街」という映画を今日初めて観ました。
当時あそこまで貧乏な家ってあったのでしょうか?
昭和ヒトケタ生まれの夫の父も大学を出ています。
姑も高校を出ています。
私の父も大卒、母も同じ大学を出ています。
いずれも埼玉県で育っています。

最初のシーン、お母さんに子どもが生まれそうな場面がある。
長女のジュンが付き添って病院に行きますが、父親は飲みに行ってしまう。
心配して来てくれた知り合いの男性の顔を見て泣き出すジュン。
「どうした?おふくろさんに何かあったのかい?」
ところが何もなく、無事赤ちゃんは産まれる。

分娩室から飛び出してきて泣きだしたら、普通何かあったと思うでしょう。
私もこの時点で、お母さんか赤ちゃん、あるいは両方が命を落としたのかと思いました。
あの涙は何?

貧乏なくせに子どもを作って、しかも弟は聡明さのカケラもなく遊び惚けている。
(最後は新聞配達などをして感心ですが)
父親は「中学を出たら働くもんだ!」と息巻いて酒を飲んでいる。
いやいや、そんなわけないでしょう。
昭和37年なら、普通に高校行くでしょうよ。
朝鮮に帰る人を盛大に見送るシーンがありましたね。

心配して来てくれた担任の先生が「やる気になれば何でもできる。定時制にも行けるんだぞ」。
うんうんと頷く母親。
「ジュン、あんな良い先生いないよ」。
いやいや、普通に進学させられなくてごめんねって謝る場面でしょう。
赤ん坊を隣人に任せて飲み屋で働いたり、普通しないでしょうよ。

とにかく戦前の映画じゃないかと思うくらい古臭くて、何度も冒頭の「昭和37年」を見直しました。

この映画、観た方いますか?
1 名前:匿名さん:2019/12/02 18:35
見てないけど、いつの時代も貧乏は居るでしょ。
2 名前:匿名さん:2019/12/02 18:42
映画は見てないけど・・・

北野武が1947年生まれで

昭和37年だと1962年。
たけしが15才くらい、だよね。

ちょっと年齢が微妙ではあるけど
たけしくんハイ、とかだとそんな感じだったような。
(小学生のとき銀河テレビ小説で見た)

お父さんは大工で貧乏で
野球がしたくてもグローブ買えなくて、みたいな。
ほったて小屋に住んでて

うちの母もほぼ同年代だけど
結構なお嬢だったらしい。
つまり、割と格差のあった時代なんじゃないかな。

うちの父は21年生まれ。
兄弟の数は7人だよ。(末っ子)
男子は全員大学行ってるけど女子は高校まで。
裕福だったと言うわけではないけど貧乏でもなかったっぽい。でも漁船から売りに出てるリヤカーでの販売のお魚の落ちたのはくれたとかって話してて
こどもらがみんな拾って家に持って帰ったとかって話してた。

頭が良ければ進学、もあるだろうけど
今みたく大学が沢山あった訳でもないだろうし

義務教育は中学までなんだから
進学しない選択をする人もいたんじゃないの?
3 名前:匿名さん:2019/12/02 18:43
観たことあります。けど、大学全入時代と言われる現代でも高卒の人は居ます。特に地方では今でも高卒で働く子(特に女の子)は決して珍しくない。結婚観にしても、地方では未だに21歳とか22歳で出産する人もいるけど、首都圏で同年代の子は大学生でしょう。30歳過ぎて独身は地方では平気で売れ残りって言われる。だから東京に出て帰らない子もいるわけで。
最近、親戚の娘さんが出産したのだけど35歳でした。結婚が33歳。彼女は本家の娘で、地元では嫁き遅れって言われてそれが嫌で滅多に里帰りもしなかった。親は、だから東京の大学なんて行かせたくなかったと言ってたそうです。地元の短大に進学させて、地元の男と結婚して欲しかったそうです。
この度の出産だって、35歳で第一子!?みたく言われたそうです。地元の友達は35歳で三人目とか4人目出産だから。
いつの時代も同じですよ。
4 名前:匿名さん:2019/12/02 18:47
格差がすごい時代だったはず。

川口は鋳物の街でしょう。
工場勤めの工員というのはそういう生活の人が珍しくないと思うよ。
川口に限らずどこでもそうだよ。
建設作業員とかトラック運転手を小ばかにしている人ここにもいるけどさ、そういう人がいないと成り立たないのよ。彼らの多くは大卒じゃありませんよ。
5 名前:匿名さん:2019/12/02 18:50
いや、そうでもないよ。
あなたの周りがたまたまそうなだけ。
昭和15年生まれ義父、20年義母、共に中卒、
昭和11年父、13年母、共に高卒。
父は長男、兄弟で大学行ったのは末っ子の伯父だけ。
母の兄弟は中卒と高卒。
高校の時に、両親の学歴を書く調査があった。
お母さんが中卒って、普通に居たよ。私は43年生まれ。
地方の進学校です。
6 名前:匿名さん:2019/12/02 18:55
うん。
うちも大卒のおじ叔母ばかりだけど、父は祖父が倒れて進学断念
母も大卒。
これは比較的恵まれていると思う。
祖母も義母も貧しくて、早くに奉公(就職だが住み込み)に出て
妹を養ったと言っていた。

それに今も貧しい人はいる。
映画見て、こんなのある?って世間を知らないだけ。
7 名前:匿名さん:2019/12/02 18:58
地方によってちがうのでは。
私は技術職で、若い頃は私を除いて職場の全員中卒だった事がある。経営者も。
もちろん夫の親もそう。
私の叔父は浪人して慶応出てるけど、あの時代によく行かせてもらったものだ。
8 名前:匿名さん:2019/12/02 19:01
なんというか、世間知らずというか想像力が足りないというか・・・

パンが買えないならケーキにしたらいいじゃない?
みたいな?

マリーアントワネット症候群。とでも言ったらいいかな。
9 名前:匿名さん:2019/12/02 19:04
うちの両親は裕福な家庭だったけど戦後生まれの母の同級生でも屋根が壊れたような家に住んでる子がいたってよ。
母は給食が嫌いだったから、いつもお腹空かせているその子にこっそりあげてたって。
10 名前:匿名さん:2019/12/02 19:25
昭和37年だと、高校進学率は65%ぐらい。

中卒で都会に集団就職する人達を「金の卵」と呼ばれていたが、
昭和37年なら、「金の卵」はまだまだ多かったようです。

分娩室から泣きながら飛び出してきたのは、心細かったのだと思います。
11 名前:匿名さん:2019/12/02 19:59
「ひよっこ」よりちょっと前の時代?
12 名前:匿名さん:2019/12/02 20:05
今だに、大学なんて行きやがって、という地域もあり。
13 名前:匿名さん:2019/12/02 20:06
>>12
今?現代?どこ?
14 名前:匿名さん:2019/12/02 21:54
まさに3丁目の夕日の頃をリアルにしたような時代でしょうか。
15 名前:匿名さん:2019/12/02 22:24
その映画は見たこと無いけど、そんなものだと思うな。
今みたいに生活保護で一見貧乏かわからない生活出来なかったと思うし、貧乏って本当に貧乏だったんだよ。

私は主さんより少し上で東京都下育ちで、うちも貧乏だけど、小学校でもっと本当に貧乏なんだと思わせる同級生いたもの。今なら虐待を疑われるような服装してたり。
20世紀少年に出てくるドンキーみたいな感じ。
片や、遊びに行かせて貰うと家にピアノがあって習わせてもらってて、袋菓子じゃないおやつを出してくれて金持ちなんだと思わせる友だちもいた。今ならそんな子は公立に来ないだろうけど。
主さんは私立行っていたか、公立だとしたら観察力なくて周り見てなかったタイプなんじゃない?
16 名前:匿名さん:2019/12/02 22:54
これって主が井の中の蛙ってだけの話?
17 名前:匿名さん:2019/12/02 23:14
分娩室から飛び出してきたのは心細かったから。
「お母さん、しっかりして!」ってゆすってたよね。
妊婦の肩?をつかんでゆするって普通はしないが主人公は中学3年生。
映画では「まだ初潮がきてない」といっていた。
途中でお腹をおさえる場面があって、初潮がきたことをにおわせる。
それは映画の中盤の話。
とにかく母親の出産という一大事、父親に知らせたのに来なくて、なんと飲みに行っていた。
小学生の弟はテレビに夢中。
15歳の女の子ひとりでどんなに心細かったろう。
当時だって裕福な家はあんな掘立小屋みたいな病院で産まないし、ちゃんとした病院で産んでいたでしょう。
たしか「貧乏だから進学できないのか。進学できないから貧乏になるのか」と考えるシーンがあった。
進学したいと思っていた浦和の高校を見に行って、羨ましさがあふれていた。格差があったんだよ。
18 名前:匿名さん:2019/12/02 23:31
>>16
この人いつもそうなのよ。
19 名前:匿名さん:2019/12/03 01:30
父が昭和19年満州生まれ。祖父は戦死。
昭和30年代ならお父さんがいなくて貧乏な家はたくさんあったとおもいますよ。
そして父も金の卵でしたからもちろん、中卒。
そんな人が、でかい一軒家立てて、子供2人を大学まで出してくれたんだから 
昭和の男の根性はすごい。
20 名前:匿名さん:2019/12/03 08:05
その頃は、貧乏だから子供は作らないという考えはなかったと思うな。
今みたいに私学だ塾だと子供にお金をかけなかったし、戦争で若い世代の男性がたくさん亡くなって、貧しい家はむしろ将来の働き手として期待されたんじゃない?
21 名前:匿名さん:2019/12/03 16:09
貧乏子だくさんという言葉があるとおり、子どもの将来を考えずに子どもを産むのです。
当時も裕福な家はありましたが、そういった家は「全員大学に出すまでの試算」をして計画して子供を作るから5人も6人も産みません。ふたりとか三人まで。
だけど町工場なんてそれこそ「中学出たら働け」の世界。
映画の中でも生まれた赤ん坊のミルク代どうしようっていうのがあったけど、そういうこと何も考えず子作りをして産むわけです。両親ともに学がなく、まともに字もかけない人がこの時代でもいました。

私の両親は大学を出ていますが、そういった人間とは接点がないので関わらず生きてきたようです。
ただ父が就職して(保険会社)営業に回ると「縁起でもねえ!!」と頭から水をかけられたそうです。
大手企業の会社員なんて、見るのも腹が立つ!という感じで、暴言を吐かれたりしたそうです。
「色んな人間がいる。これも人生勉強」と言われて若かった父は目を白黒させたらしいですが。
保険加入が当たり前になってくるとそのような人間も加入してくれるようになったそうです。
死んだあとの話なんか縁起でもねえ!!と怒鳴って水をかけた人が謝ったというから笑えます。
22 名前:匿名さん:2019/12/03 16:17
>>21
親に学があっても、
娘がサークルの人と不倫に溺れちゃ仕方ないよねえ。
23 名前:匿名さん:2019/12/03 16:48
>>22
全くだわ。
24 名前:匿名さん:2019/12/03 16:59
昭和一桁生まれの父は、祖父が国鉄の職員だったけれど、
子だくさんで超貧乏。進学はできず、小学校から船員養成の
海員学校へ。そして15で船乗りになりました。幸い、一部上場の
船会社だったので、それなりの給与を頂き、マイホームも取得し
私と妹は大学まで出してもらえました。
酔うとどんなに貧乏だったかをよく話していました。
大正生まれの義父も家は農家でしたがとても苦しかったみたい。
子供のころの話はめったにしませんが、義父は旧制中学・高校と進み
東京帝国大学へと進みました。義父曰く、授業料が払えないかも…と
思いながら、家庭教師をしてどうにか払ったとか。
卒業後は安定の国家公務員で
それなりに出世。義母(昭和一桁生まれ、高等女学校卒)曰く、
結婚したころから数年は、経済的にすごく苦しかった…と。
民間の人と結婚している女学校時代のお友達がうらやましかった…と。
(でも、50を過ぎたあたりで、義父のほうが裕福になったそうです)
戦前は、ほとんどの家庭が貧しかったのではないかな…。
25 名前:匿名さん:2019/12/03 17:32
不倫はダメだよ。
26 名前:匿名さん:2019/12/03 17:59
うちの両親も昭和ひとケタ生まれで、父は大卒、母は高卒。
母の家は地方の地主だったけど、父親が「女に学問はいらん」と高校までしか行かせてもらえなかったと言っていました。
夫の両親も昭和ひとケタ生まれ。
生まれ育ちは東北の大都市だけど、舅は働き始めてから定時制の高校に行って卒業して、姑は中卒。
代々女系家族で、舅は婿養子だったそう。
姑は、長女で家族が多かったから、早くから働きに出たんだと思う。
・・・正直、婿取りするほどの家かなぁとも思うんだけど、久々に待望の男子(私の夫)が生まれたから、まぁ、役目を果たしたんだろうな。
27 名前:匿名さん:2019/12/03 18:44
不倫はいけませんよ。

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