NO.8696355
心配事
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0 名前:匿名さん:2020/07/25 23:45
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親が大病を患って弱っていく姿を見てると、苦しくて辛いです。
先日は、私が初めて過呼吸になりました。
いずれ先のことを考えるだけで辛くなります。
ここには実親を看取った方もいますか。
親の前では、親に心配かけたくないから気丈に振る舞いたいけど、
弱い自分で、私が泣いてばかりです。
親が辛そうにしているのを見てると、私が悲しくて辛いです。
どのように考えて乗り越えましたか。
また、過呼吸の乗り越え方もありますか。
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1 名前:匿名さん:2020/07/26 07:52
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うちの母は持病があり、ケア付き高齢者住居に引越しした後も、持病の関係で入院→小康状態→入院・・・といった状態が何年か続きました。
常に甘えなのか私に対する要求が強く、小康状態のときは適当に相手をしながら、次に備えて休養するようにしてきました。
基本元気で明るい人なので友達・知人も多く、楽しそうな時も多かったです。
だから亡くなるまでは悲しいと思うことがなかったんですよね。
我侭で忙しい母に振り回されて、困ることばかりでしたが。
参考にならなくて済みません。
私はできれば車椅子に母をのせて、ゆっくりと二人で大きな公園を散歩してみたかったと思います。
うちはそういうことに付き合ってくれない母でしたが、主さんの方はいかがでしょうか。
親子なんだし、もっとお話をして甘えてもいいと思いますよ。
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2 名前:匿名さん:2020/07/26 08:12
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うちはまだ一応元気なんだけど、
私も主さんみたいになると思う。ずっと泣いてるだろうなあ。
主さんの文章よんで考えただけで、私も悲しくなった。
ごめんね、アドバイスできなくて。
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3 名前:匿名さん:2020/07/26 09:11
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難病を患っていた実親を看取りました。
介護する私が壊れないよう気づかってさえくれました。
一切の延命治療を望まないと主治医に伝えていました。
だから最後までそばにいてあげようと思いました。
そして本人が望んだ家族葬で温かく送ろうと決めました。
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4 名前:匿名さん:2020/07/26 10:50
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マザコンなの?
気持ち悪い。
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5 名前:匿名さん:2020/07/26 11:02
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まだ親は元気で、文句も言えるくらいですが
主さんの立場になったら自分もどうなるんだろうと思う。
すみません。アドバイスでもなくて…。
人が大変な時に嫌な事を書き込む人もいるね。
4番、それ誹謗中傷だよ。
何かストレス抱えてるのね、かわいそうに。
相手がどう感じるか考えて発言しなさい。
子どもにはそういうよね?
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6 名前:匿名さん:2020/07/26 11:18
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義理含め親を3人見送りました。
ガン、血液の病気、アルツハイマー(老衰)。
元気だった親が弱って行くのを見るのは本当に辛かった。
最期、苦しんで苦しんで逝った姿も見たから、
早く楽にしてあげてと心から願った。
死老病苦は生きとし生けるもの逃れられないもの。
(4番さん、あなたもあなたの肉親もね)
辛くありながらも、どこか客観的に冷静に見てた自分もいたのも確か。
悟りとは遠く遠くかけ離れているけれど、
諦めのような。
辛いよね。
親から愛されて来た人ほど辛いと思う。
その辛さ、ご主人やお子さんに甘えていいんじゃないかな。
辛さは分けられないけど、分かってくれる人がいるだけで少しは和らがないかな。
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7 名前:匿名さん:2020/07/26 11:40
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親が老いていくのを見ているのは辛いよね。
私も同じ。
悲しいなーと思ったり、リバビリをしない姿に
怒れたり。
でも最近は受け入れてる。順番だからって。
そしてそう遠くない未来に、自分の番が来た時に
子供たちに迷惑をかけない方法を考えてる。
過呼吸は、辛いようなら受診して、少しでも
心や体がラクになるお薬を飲むのもいいと思うよ。
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8 名前:匿名さん:2020/07/26 13:00
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何となく最近、前に読んだ気がする内容のレスが多々ある。
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9 名前:匿名さん:2020/07/26 19:25
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褥瘡の悪化で入院してその日は母と会話が出来て、母は知人や友人を病室に呼んでと言っていた。
その数日後に私からの電話で知人友人が行った時は、前日の夜ごはんをのどに詰まらせてあっと言う間に意識不明に
なった後意識は回復したが人工呼吸器につながれている母だった。
せっかく知人や友人が来てくれたのに、母は会話が出来ない状態になったのと人工呼吸器
で容態が急変したから私は泣いてしまって、知人や友人達に涙を誘ってしまったな。
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10 名前:匿名さん:2020/07/26 20:54
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ごめん涙出た。
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11 名前:匿名さん:2020/07/26 21:06
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私の父親は若くして亡くなったので、
あれが看取りかどうかは解らない。
脳内出血でね、現在の技術があれば助かったかもしれないけど、
当時の技術では無理だった。
脳死判定も出来ない頃だったから、しばらく植物状態でね。
最終的には内臓が腐り始めて「どうしますか?機械止めますか?」って。
しっかりトラウマになって、自分が腐って死んでる夢を何度も見たし、
その度に過呼吸になったよ。
過呼吸はね、口と鼻を塞いで息を止めるといいよ。
もう、気を失うかもってくらいまで息を止めると、
過呼吸が治まって深呼吸できる喜びに出逢うから。
こう言ったらなんだけど、人の死には慣れるしかない。
てか、続くと慣れちゃうものだよ。
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12 名前:匿名さん:2020/07/26 22:19
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癌と聞いた時は後で涙が出たけど、それからは泣く余裕なかった。
治療のことなど何度も選択を迫られるし、何より不安な本人に頼られるので、笑顔を心がけながら3年、伴走した。
なくなった時は悲しいというより、やっと痛みから解放されて眠れるね、頑張ったねという気持ちだった。
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