NO.6624862
阪神淡路震災経験された方
-
0 名前:地震:2010/01/26 03:38
-
阪神淡路大震災経験した方・・15年経ちますがいろいろ特集ありましたよね。。。
こちらは東海ですが、やっぱり怖いです。こういうことを聞くのは非常識かもしれませんがどう準備しておけばいいでしょうか?
-
1 名前:地震:2010/01/26 22:25
-
阪神淡路大震災経験した方・・15年経ちますがいろいろ特集ありましたよね。。。
こちらは東海ですが、やっぱり怖いです。こういうことを聞くのは非常識かもしれませんがどう準備しておけばいいでしょうか?
-
2 名前:収集マニア:2010/01/27 01:05
-
>>1
夫が被災者です。
とにかく逃げる為の物、小銭、
水・食料も用意しておけと言われています。
何でも良いから備えろ、と言われただけで、
細かく指示受けている訳じゃないですが、
防災グッズ・避難グッズはかなり充実しています。
一戸建てですが、非難縄梯子を3階に設置。
ドアをぶち破るハンマーを玄関に設置。
非常持ち出し袋が各部屋に一つ。
水60リットル・食料5日分、小銭一万円分、オムツ(子どもはすでに小学生ですが、何かに使えると思って入れ続けています)生理用品・救急道具・簡易燃料・アウトドア食器・サランラップ・着替え・圧縮毛布。
組み立て式の簡易トイレは、トイレの棚に保管。
他にもあった気がするけど、今思いだせない。
こんなにあっても持ち出せないんだけど、
もし避難所に行かなくても済むなら家にいたいし、
その時に家族が救助の手が伸びるまでの間、
生活していけるだけの物は蓄えようと思って、
チョコチョコ揃えているうちに増えてしまいました。
これだけの保管は場所取って大変です。
ウチは玄関脇のガレージ内に小さな物置きを置いてそこに保管しています。
-
3 名前:とにかく:2010/01/27 08:50
-
>>1
家具の固定かな。
グラッときて目が覚めた瞬間、横でタンスが
踊ってた。
飛び起きて支えたけど顔の上に倒れてたら・・と
ぞっとしました。
-
4 名前:避難場所:2010/01/27 09:24
-
>>1
地震が起こるとき
子どもたちと一緒にいるかどうかわかりませんから
避難場所や集合場所を決めてます。
一番目は小学校、小学校が壊れていたら中学校・・というような感じです。
私と旦那、あるいは祖父母が探しに行くから
避難場所をかわらないように言ってます。
先生がいれば先生の指示を聞くこと。
知ってる大人や友達がいれば一緒にいてもらうようにお願いすることなど話しました。
お子さんが携帯電話を持ってるなら
災害掲示板を教えておくのもいいのでは?
-
5 名前:生き埋め:2010/01/27 09:41
-
>>1
神戸の一番ひどいところで被災しました。
アパートで一人暮らしだった私は生き埋めになり、助けてくれと叫び続けたけれど誰にも届かず、諦めかけた頃5時間ほどして、自衛隊や警察ではなく、近所のおじさんたちに掘り出してもらいました。
命が助かった理由は、コタツの側で寝ていたから。
コタツが落ちてきた二階の天井や壁から身を守ってくれたんです。
自分が生きている実感を感じる間もなく、幸い無傷だったため、パジャマのまま隣近所の生き埋めになってる人たちの救出に必死になり、死体を毛布に包んで道端に置いたり、けが人を病院へ連れて行ったりしました。
近くの入院設備もある個人の外科病院は患者が道路まで溢れ出し、医者も看護師もパジャマで働き、死体の側で家族が号泣する姿が今も忘れられません。
ドラマのような話ですが、「お父さんを先に見てー!」と叫ぶ家族の側には、もう息の絶えた男性が横たわり、看護師さんが泣く泣く「生きている方が優先になりますので...」と言っていたのを覚えています。
経験の無い人には本当にドラマのような話だと思いますが...。
次の日避難所から家の側に戻ってみると、そこで必死に救出作業をしていたのは埼玉県警の警察官でした。以来、埼玉県警の背中の文字を見ると今でも涙が出るんです。
そして、もっとも恐ろしいことは、職場の近くが見渡す限り一面焼け野原になり、知り合いが、焼ける家の中で父親が声だけで「早く逃げろ」と叫んで、家族は泣きながら逃げたという話でした。
もう、地獄です。そう、まるで空襲の後の「はだしのゲン」の世界でした。
私の実感ですが、地震で一番重要なのは「家の耐震」と「家具の転倒防止」です。
どんなに「物」を備えていても、家がつぶれてしまえば持ち出すどころか命が確保できません。懐中電灯なんてなんの役にもたちません。
阪神大震災の時は頑丈なマンションでも隣の家からピアノが壁をぶち破って飛び出て来た家もありました。
マンションなら家具の転倒防止、戸建なら耐震と家具の両方、これはもう最重要課題です。
それが出来て初めて「物」の備えが役に立つような気がします。
長々とすみませんでした。
-
6 名前:中越地震ですが:2010/01/27 10:33
-
>>1
土曜の夕方だったので、被害が少なく済んだと思います。
これが屋根に雪の乗っている冬の就寝時だったら・・・
「夜だったらタンスの下だった」と言う人は多いです。
寝る部屋に物を置かないといいと思います。
-
7 名前:うん:2010/01/27 10:40
-
>>1
やはり家具をすべて留めておくことです。
うちはテレビが対角線上にあった壁に飛び、木の壁だったのですが、壁の中に埋まりました。
いまだにテーブルに誰かが足をぶつけて、ガタッと音がしたりゆれたりするだけで激しく不安な気持ちになります。
うちは銀行さんからたくさんもらっていたサランラップとアルミホイルがあったんですが、何かと役立ちました。
上の方でオムツのことを挙げている方がいますが、正規の使い方や何かをしみこませたりするだけじゃなくて、避難所でまくらとして使っている方もいたり、怪我している場所を押さえたり、
はたまたいろんなひどい場面を見て、嘔吐する方もいたのでその際にすごく役立っていました。
当時はまだ大学生だったので、最初はそれがオムツだとは知りませんでした。
-
8 名前:ありがとう:2010/01/27 11:47
-
>>5
お話して下さってありがとうございます。
涙が止まらない・・・、私ももしもの時は協力して行きたい。
-
9 名前:以前、テレビで:2010/01/27 11:56
-
>>1
自分が寝ている傍に
靴を置いておきましょうって言ってたな。
物が散乱、ガラスが割れる。
その上を歩くわけだし、裸足では怪我をするって
ことでしたね。
-
10 名前:私も:2010/01/27 12:52
-
>>1
上の方は大変だったようで、助かって本当に良かったと思います。怖かったことと思います。
私も被害が大きかった地区に住んでいましたが、幸い一人暮らしをしていたマンションが新しくて大丈夫でした。
実家の2階は空がみえるほど歪んではいました(全壊)が一応建ってました。
やはり家の耐震強度が一番でしょう。建物が倒壊しては逃げられません。それと、倒れる物が近くにないこと。
備え付け家具などは良いと思います。寝室にはガラス物は置かない。
実家の近所は家が沢山倒壊し、生き埋めの上、火がまわってきてなくなった方が沢山いらっしゃいました。
実のところ、私はほとんど何も揃えてはいません。
考えてみたのは
物資は水や食べ物はとりあえず日持ちのする物を少しは準備しておけば心強いですね。被害が大きければそれだけ物資がなかなかまわってこないでしょうから。
水、かんぱんなどと、あとはナプキンなども大事かと思います。
トイレの水が流れないから、風呂の水は常に置いています。
懐中電灯、簡易ラジオ、薬・バンドエイド・消毒液・マスクなどが一通り揃った薬箱も重宝すると思います。
あとはそのときどきでしょうか。
震災を体験すると、水、電気、ガス、すべてのものに感謝の気持ちが芽生えました。普通に使っているものがどれだけありがたかったか。大事に使わなければいけませんね。
-
11 名前:なんだか:2010/01/27 13:17
-
>>10
私は震災の後、物欲が無くなりました。
物を沢山もっていても空しいな、という気持ちが
今でもあります。
-
12 名前:うん:2010/01/27 17:08
-
>>11
上でレスしている「うん」です。
すごくわかります。うちはマンションの床のフローリングがあちこちバリンバリンに砕け、窓ガラスは粉砕しました。家の中が靴が無けりゃ歩けない。
うちはマンションの上階で角部屋ほど床がボロボロに砕けました。
隣家の子どもは割れた窓ガラスが頭を直撃して亡くなりました。前日までおしゃべりしていた人がたくさん亡くなりマンションのあちこちで叫ぶ声がマンションの壁に反響しているのが今でも耳に残っています。
あの時、こんな頑丈そうなマンションに住んでも守られることは無いんだなと落胆したのをよく覚えています。
私以上に両親は落胆していたと思います。
マンションの引越しにあわせて買った高級な食器もシーリングファン付きの電気もほぼ粉砕し、
震災時には非常に危険な存在になりました。
そして勉強だけは続けなくてはと、大学に通い始めたとき自分はコーディネートなんて無縁のおかしな服装をしている中で、ふと周囲の地域の震災に遭わなかった人たちがキラキラしている服装に高級バッグなんかを持ってハイヒールで歩いている姿を見て、同様な気持ちになりました。「物があっても一瞬で灰になる」
そう思うと、その後家の中に背の低い家具ばかりを購入し、それも最低限のもののみ。
おかげでなんでこんなに物がない家なの?と聞かれます。
<< 前のページへ
1
次のページ >>