NO.6625062
戦争とか平和って、本当に実感できますか?
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0 名前:戦後34年生まれ:2009/08/23 15:48
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35歳です。
戦争反対!とかは、普通に思います。
本も読みます。話も聞きます。
戦争はこわい。絶対だめ。平和は尊い。
ですが、実際身近に感じるか、と言われると、
戦争を経験した祖父母に戦争の話を詳しく聞いた覚えもなく、すでに祖父母はおらず、
定年を迎えた叔父叔母も親も、戦後世代。
紛争のニュースを聞いてゾッとしたり、同情したりはしても、「戦争の記憶」が身近にはもうありません。
テレビで戦争ドラマを見ると泣くし、はだしのゲンやほたるの墓も見ました。つらかったです。
ですが、8月6日も9日も原爆を思いだすことなく、家族でレジャーしてました。
8月15日も、終戦記念と思いだしたのは、夜のニュースを見て。
・・・実際、実感がありません。
北朝鮮から爆弾がとんでくる、と言われても。
憲法9条が変えられてしまう、と言われても。
どう実感すればよいのか、私がこんなんで、子供たちに本当に「戦争はダメ」と伝えられるのか、不安です。
もっと危機感もって何かをすべきなんでしょうか。
政治も宗教もなにかこうハデっぽい活動みたいなことも、あまり関わりたくないんですけど、ただ戦争はいけないよ、絶対ダメだよ、という社会通念みたいなものは、大事にしたいし守りたいと思うんです。
とりとめない質問で申し訳ないですが・・・何か、8月を迎える度、選挙とかで「憲法9条」とか話題になる度、漠然と不安があり、もやもやします。
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1 名前:戦後34年生まれ:2009/08/24 12:48
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35歳です。
戦争反対!とかは、普通に思います。
本も読みます。話も聞きます。
戦争はこわい。絶対だめ。平和は尊い。
ですが、実際身近に感じるか、と言われると、
戦争を経験した祖父母に戦争の話を詳しく聞いた覚えもなく、すでに祖父母はおらず、
定年を迎えた叔父叔母も親も、戦後世代。
紛争のニュースを聞いてゾッとしたり、同情したりはしても、「戦争の記憶」が身近にはもうありません。
テレビで戦争ドラマを見ると泣くし、はだしのゲンやほたるの墓も見ました。つらかったです。
ですが、8月6日も9日も原爆を思いだすことなく、家族でレジャーしてました。
8月15日も、終戦記念と思いだしたのは、夜のニュースを見て。
・・・実際、実感がありません。
北朝鮮から爆弾がとんでくる、と言われても。
憲法9条が変えられてしまう、と言われても。
どう実感すればよいのか、私がこんなんで、子供たちに本当に「戦争はダメ」と伝えられるのか、不安です。
もっと危機感もって何かをすべきなんでしょうか。
政治も宗教もなにかこうハデっぽい活動みたいなことも、あまり関わりたくないんですけど、ただ戦争はいけないよ、絶対ダメだよ、という社会通念みたいなものは、大事にしたいし守りたいと思うんです。
とりとめない質問で申し訳ないですが・・・何か、8月を迎える度、選挙とかで「憲法9条」とか話題になる度、漠然と不安があり、もやもやします。
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2 名前:訂正戦後29年生まれ:2009/08/24 12:49
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>>1
一体どういう計算をしたんでしょう、私。
戦後29年の間違いですorz
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3 名前:伝える:2009/08/24 12:54
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>>1
私は主さんとご両親の中間の年齢くらいです。
両親からは多少戦争の話を聞いていましたし、叔父は東京大空襲で大火傷を負っているので、主さんよりは戦争に近いですね。
今年、子供達を長崎の「原爆資料館」へ連れて行きました。高校生と小学生の息子です。
修学旅行で長崎・広島へ行かない高校なので、個人で連れて行きました。
子供達は真剣に写真や遺品を見ていましたよ。
出来る範囲で、戦争の傷跡を教えていく義務があると思っております。
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4 名前:身近ではないけど:2009/08/24 13:10
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>>1
父は疎開経験者。
戦争は怖いです。
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5 名前:そうですねぇ:2009/08/24 13:13
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>>1
私も30半ばなので、実体験としての戦争はもちろん知るはずはありません。
でも事実としてあったことは間違いないので、それだけしっていれば良いのだと思います。
実体験をしないと「戦争はしてはいけない」と伝えられないものでしょうか?
もしそんなに人間が馬鹿ならば、数十年に1度は戦争が繰り返されるでしょう。
人間は実体験をしなくても、考えられる動物ですよね。
実体験をされた方の話はとても有難いものだと思います。
でも平和が続く限り、実体験された方はいなくなっていくでしょう。
でも、その方たちの言葉は残していけますよね。
それができ、人間は考えられる動物なのですから、実体験をしない私達世代が「戦争をしてはいけない」と薄っぺらい言葉をかけなくても、次の世代はまた自分たちで考えられるようになると思いますし、なって欲しいと思います。
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6 名前:思うのは:2009/08/24 13:15
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>>1
一人一人、あるはずの将来が、一方的に突然に「無」にされるのが戦争という意識。
ものすごく多くの人の今より先が、いきなりなくなっちゃう。
そう思うと、心底恐ろしい。
将来を思うことができるのが、平和。
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7 名前:孫:2009/08/24 13:59
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>>1
主さんと同世代の37歳ですが、
私は祖父がフィリピンで戦死していますので、
多分、同世代の人よりも実感というか身近には感じてます。
父も母も戦前生まれなので、空襲のこと、祖父の他にも戦死した身内、
予科練にいた大叔父や、原爆者手帳を持っている叔母もいます。
普通より色々と聞く機会が多かったかもしれません。
でも他人と戦争について語る機会はないですね。
身内や家族間では結構話はしていますが、
(義父は満州生まれの引き上げ者)
本当に身内限定です。
今、自分が出来ることは子ども達に、私が聞いた話を伝える事。
祖父(息子)の戦死広報を握りしめて、狂ったように亡き続けた曾祖母。
部屋の中をごろごろと転がって、「いやーー!!○○」と
泣き叫んでいたそうです。
幼かった母ですが、今でも忘れられないと言ってます。
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8 名前:???:2009/08/24 18:08
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>>2
>一体どういう計算をしたんでしょう、私。
>戦後29年の間違いですorz
意味がわかりません。
何の計算ですか?
終戦は昭和20年ですよ。
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9 名前:だから:2009/08/24 20:13
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>>8
昭和49年生まれと言う意味では?
ちょっとまどろっこしーけど
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10 名前:今身近では:2009/08/24 20:19
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>>1
うちは祖父がキリスト教だったので、かなり大変な思いをしたようです。
戦争末期には、とある公務員の職を辞職してます。
家から少ししたところに、いつも公安が張ってたときいてます。
祖父から直接話は聞けなかったけれど、父は不遇な小学校時代をすごした成果、反骨精神に満ちてます。
たまに当時の愚痴をこぼすこともあります。
母からはのんきな話しか聞いてなくて、
戦後に、復員した兵隊さんに毎日お菓子をもらいにいって
「もうこないでクレ」といわれたという話くらいしか聞いたことがない
身近に聞いてるほうになるかもしれません。
前置きが長くなりましたが、今私が思う身近な危機は
息子達そ戦争にだけはいかせたくないと思うことです。
それだけは絶対に避けたいです。
だからと言って社会民主党に入れる気にもならないんだけど
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11 名前:特攻:2009/08/24 20:20
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>>1
私の学校の体育教師が元特攻隊員でした。
飛ぶ日に整備不良のせいか、エンジンがかからず
自分の後だったはずの機が順次繰り上がり
自分の機の整備をしているうちに終戦が「来てしまった」と言っていました。
本当なら、いい年で体育教師が続けられるほど健康で
時々生徒の電気系の宿題も教えられるほど
頭がしっかりしている事を喜んでいいぐらいなのに
先生にとっての生きていく事と言うのは
自分の後に飛んだ人に謝罪し続ける事だったんです。
亡くなった人も辛く、生き残った人も辛い。
人を殺さねばならなかった人も辛いのが戦争だと思います。
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12 名前:てる:2009/08/24 22:05
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>>1
昭和52年生まれです。
ルソン島沖で戦死しています。
もちろん遺骨などなく、代わりに小さい勲章みたいなやつがあります。
戦没者関連の恩給ももらってます。
父は満州生まれで引き上げ船にのって逃げてきたのですが、
はぐれてもわかるようにと、背中につけられたやけどの後があります。
そういうのを見てるので
戦争につながるようなものは大嫌いです。
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13 名前:ええと:2009/08/24 22:48
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>>12
> 昭和52年生まれです。
> ルソン島沖で戦死しています。
>
>
どなたが?戦死ですか?
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14 名前:「敗戦29年後」生まれ:2009/08/25 09:12
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>>9
すみません、解説いただいた通りです!
まどろっこしくてごめんなさい(汗)
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15 名前:えと:2009/08/25 13:50
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>>1
もやもやする、というのはいい事なんじゃないですか。
私の身近にはまだ戦争のことを伝えてくれる人も
いますが、結局は実体験じゃない限り、身近に
感じられないのは一緒です。
それでも想像力のある人間なのだから、
話を聞くだけではなく本を読んだり、映画を観たり
することで平和思想を守っていかなければ
ならないのだと思います。
戦争の意義について、いろいろ思うところも
あるのですが、やはり子供達の未来を絶つという
だけでも、戦争反対と唱えていなければいけない
と思うのです。
子供、特に息子が生まれた時、
戦争中はこんなに可愛い息子を有無を言わさず
戦争にとられていたのだと思うと、
堪らない気持ちになりました。
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16 名前:両親とも戦前生まれ:2009/08/25 14:07
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>>1
私の両親は昭和ひとケタ生まれで、10代半ばの時に終戦を迎えたので当時の話はよく聞かされました。
母は満州生まれで、満州にいた頃は比較的食料に恵まれていたのに、終戦になったとたん食料事情が悪くなり、ソ連兵が攻めてきたりで散々だったと言ってます。
父は当時山口県におり、軍需工場で働いていた時に「どうも広島県で原爆が落ちたらしい」という噂を聞いたそうです。落ちたその日の午後に体中やけどを負った人々が山口まで歩いて来たのを見たとも言っていました。
このように事あるごとに戦争のむごさを聞いてきたので私自身は身近に感じられるのですが、私の息子たちはいまいち分からないようです。
あと、最近の戦争ドラマって段々嘘っぽく感じますね。
役者さんも顔つやがいいし(坊主頭じゃないし)、服装も生地がいいせいか当時の悲壮感とか伝わってこないといいますか(仕立てが良過ぎ)。
新しいドラマを制作するより、戦後まもなく作られた戦争物のドラマやドキュメンタリーを放送した方がはるかに当時を実感できると思うのですが。(「人間の条件」はすごくよかったですよ)
戦争体験者の数が減るにしたがって、戦争や平和を考える機会も失われていくのかもしれませんね。
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17 名前:46年生まれ(38歳):2009/08/25 15:44
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>>1
私の母親は当時5歳くらいで墨田界隈に住んでいたので東京大空襲を受けています。
そのほかのも機銃掃射を受けた事も何度もあるそうです。
一緒に走って逃げた近所の奥さんが負ぶっていた赤ん坊が静かになったと思ったら赤ちゃんの首が無かったり。
町内会のおじさんが撃ち殺されていたり。
母も低空飛行のアメリカ兵と目が合ったと言っています。
まっすぐに走ると打たれるからじぐざくに逃げるのがコツだとか。
隅田川に飛び込んで大空襲の時は何とか命が助かったようです。
祖母も強かった。子供を守りつつ、都会は食料も無くて埼玉辺りに買出しに行くんだけど途中から憲兵隊が乗り込んでくるから荒川の鉄橋近くで汽車から飛び降りてガケを転がって逃げたそうです。
小さい頃から私も下町育ちでそういう話を聞いて育ったので歴史にとても興味を持ち、沢山学習して、大学では近現代日本史を選択。社会科の教師になりました。
心をこめて正しい歴史を教えているつもりです。
一方父は同じく戦前生まれなのですが、縁故疎開で山梨に行っていたので「食べ物が少なくて大根を畑から失敬してそのままかじった」というような「ひもじい話」しか聞いたことが無いですので同じ「戦争体験者」でもかなり温度差はあるみたいですね。
ただね、大きな誤解植えつけられる人が余りにも多いのですが…。
「戦争」=可哀想
「戦争」=日本はひどい事をした
という単純な考え方はもう辞めて正しく検証していく必要があるんです。そろそろね。余りにも被害者&加害者としてクローズアップされすぎるから。
何故起きたのか?戦争をしなければならない状態までどうやって追い詰められたのか?
経済封鎖をした欧米列強の責任は?
原爆を落としたアメリカ側は国民のほとんどが正しい事だといっている現実。
日本が戦争を選ばなければどうなっていた?
どこの国の植民地になっていた?
可能性としてはロシアに占領されたか。。。凍らない港を取得する為に何でもやる国だからね。
ロシアのコサック隊なんて日本の南京どころじゃない位簡単に首切るよ。南京もかなり捏造入ってるからね。
スターリンなんて南京の比じゃない。
歴史はそこの部分だけ切り離して考えるのではなくて実はどこにでも又起こりうるきっかけと可能性はあるのです。
私は子供達に教えるとき(自分の子も含めて)現代まで繋がってる問題込みで教えています。
第二次世界大戦だけ特別扱いするのではなくね。
現代まで繋がっている問題の多いこと多いこと。
現代の紛争のほとんどが何百年も繋がってるのです。
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18 名前:46年生まれ(38歳):2009/08/25 15:52
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>>17
あ・追加です。
主さん、ただ「戦争はダメ」「戦争は怖い」とだけ教えても余り意味は無いと思います。
自分の子だけ逃げるわけにはいかないですもの。
国民全員が丸腰で責められたら?
3日と持ちませんよ。
やはりここは外交力の向上。
やっぱり政治なんですよね。
だから国民は正しい判断をして正しい政党を選ばないとね。国民がマスメディアに簡単に乗らないように賢く判断力を持つ事でしょう。
後「お詫び外交」はもうやめて日本も隣国のネガティブキャンペーンを打ち消すネット隊でも投入して隣国辺りの熱くなってる似非愛国者(中国や韓国ね)の若者達を冷静にさせる戦略も必要。それも駆け引きです。
ただ「可哀想」「辛かった」だけではなくそれもあわせて伝えないとね。
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19 名前:昭和47年生まれ:2009/08/25 22:26
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>>1
うちの両親は昭和24年生まれ(母)と
昭和16年生まれ(父)です。
母は勿論父も殆ど実体験としてないようです。
ですが私の子どもの頃は広島に原爆が落ちた
8月6日は登校日でした。
平和学習をする日でした。
戦争映画を観てお年寄りに戦争の話を聞く
それがこの日に行なわれる学校行事でした。
なので我が子が学校に行った頃に
その登校日が無くなっている事に
哀しさと不安が湧きましたよ。
今は8月に入ると「火垂るの墓」や
戦争のドラマをしてくれるので
それを子供に見せています。
広島には家族旅行で行きました。
子どもの希望でした。
長崎にも市からの平和学習訪問団として
子どもの希望で行かせました。
学校がしてくれていた平和学習を
今は家庭で行なわなければ
いけなくなったみたいですね。
これでは温度差があるように思いますよ。
こういう事こそ一斉に学習すべきだと思います。
9条の事もきちんと日本がおかれている現状を
きちんと把握し子どもに
話し合いをさせる事も大切かと。
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20 名前:48年生まれ:2009/08/25 23:33
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>>1
36歳です。
祖父母はもう他界してますが、大正生まれでした。
子どもの頃、時々祖父から満州の話を聞きました。
でも、「ふーん」みたいな感じだった。
今になって思えば、もっとちゃんと聞いておくべきだった。
他界したのは数年前。
私が戦争や平和に、真剣に興味を持つ前でした。
今だったらじっくり聞くのに・・・残念です。
今年の夏休み、住んでいる市で長崎原爆の展示をしており行ってきました。
普段は長崎市で保管されているものが、たくさん展示されていて
2時間くらい見てましたね・・・私。
かなりショッキングなモノクロ写真もたくさんありましたが
小学生の我が子達も見て、何か考えてたみたいです。
私があんまり長いんで、さすがに飽きてましたが。
高校生がけっこう来てたんですよ。
なんだかそれがホッとしました。
原爆当日の9日は、うちも旅行に行ってましたが
11時2分に長崎の方向に家族と手を合わせました。
そういう感じで、少しでも次世代に伝えていきたいと思います。
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21 名前:忘却:2009/08/26 08:23
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>>1
40歳です。
先日のニュースで、長崎のどこかの大学で
「終戦記念日はいつですか?」とアンケートをとったら
3割だか4割の生徒しか答えられなかったそうです。
戦争はダメだ、戦争は怖いと伝えるためには
まずは「忘れちゃいけない」ことですよね。
私も8月6・9・15日は普段通りに過ごしています。
でも、その日を「思い出す」ということはありません。
なぜなら、忘れたことがないからです。
一年のカレンダーをペラペラとめくるときに
無意識に家族の誕生日などの曜日を見たりしますよね。
それと同じように8月の3日間も確認します。
ずーっと意識しているわけではないですが、
大事な記念日という意味で染みついています。
特になにをするわけではありませんが、当日には家族に「今日は○○の日だね。」という会話は必ずします。
(というかこれも無意識に口に出ます)
娘は小6ですから学校でも習っていますが、
「そうだっけ?」という返事にはちょっぴり怒ります。
「この日は絶対忘れるな!」と。
スレ主さんも、大事に守りたいというならば
まずは「忘れちゃいけない」と思います。
戦争についての具体的な怖さとかを
グダグダと説明して伝える必要はないと思います。
そんなものは学校でも習うし、調べればいくらでも出てきます。
「親がそんなに大事にしている8月に、本当はどんなことがおこっていたんだろう。」と
子供自身が興味を持って調べるようになれば、OKじゃないでしょうか。
上のレスにもあるように、戦争についての善し悪しは
次世代なりに考えればいいことだと思います。
一番怖いのは、始めに書いたような「8月になにがおこったのか。」さえ知らない日本人の若者。
ということだと思います。
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22 名前:何故戦争になったか:2009/08/26 08:54
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>>18
ここにぶら下がりますね。
実は先日インドの事をやってる番組で初めて知った事実なんだけど
インドは戦後日本からの賠償金を辞退してるそうですね
「何も被害はこうむってない」と・・
こういう国もあることをもっと教育で教えてほしいです。
それから、たくさんの人が死ぬから戦争がだめと言うことも大事だけど
日本は、何故負けると大半の人がわかってた戦争をすることになってしまったのかということを、昭和初期の歴史を、きちんと学校で教えてほしいと思います。
実は私もよくわからないの。。。
戦前のことについては、小説などで読んだ知識しかない
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23 名前:非常に単純に:2009/08/26 09:17
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>>1
42年生まれ42歳なんですが、
難しいことは置いておいて、単純に国家間のケンカ
で、「人が命を落とす」ことがダメだと思うのです。
そしてそのけんかの内容が、突き詰めれば近所の
子供同士が取った取られた、ずるい、なんかキモイ
とかでケンカしてるのと大差なかったりします。
だから戦争に大儀なんかない、と思います。
大人ならば(国家ならば)直接人を殴らずとも
摩擦を解決できる道を模索できるはず。なんだけど。
惨いとか怖いとかそういうのも当然なのですが、
一個の命として考えたときに、戦争で死ぬのも、
普通のその辺で事故で死ぬのも、天災で死ぬのも
死は死なので、ことさら戦争だけを惨いもの、と
は実は思ってないのですが、
国家間のケンカでぐお〜っとひとの心が変わってくる
(知らず知らずに変わらせられる)のが恐怖というか
惨いな、と思います。
(変わるもんか!っ意固地になるのも実は変わらせ
られていたりする結果だったりもするからね)
冷静でいたい、と思うと同時に、
自分の冷静を誰かに侵されたくない、と切に願います。
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24 名前:主です。:2009/08/26 13:02
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>>1
お付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございます。
レスの一つ一つ、大切に読みました。
テキストにして保存しました。
読み返そうと思います。
正直、レスつくかな・・・こんな話題に付き合ってくれる人なんているんだろうか・・・と思っていました。
レスを拝読して、私自身の意識の甘さや、認識の薄さも自覚しました。
リアルで、こんな話題を振れる相手がいるか?と考えると、思い浮かびません。
そういうところも、改めていかなければいけないのかもしれません。
今何をしたらいいのか、どう伝えればいいのか、
まだ答えは出ませんが、これからじっくり考えてみようと思います。
それからゆっくり長く取り組んでいきます。
本当にありがとうございました。
感謝します。
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