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ロシアでクーデター起きないかな

10 名前:7:2022/03/01 07:07
すみません、幼少ではなかったです

ベルリンの壁崩壊について書かれていたものです。

『プーチン現大統領がベルリンの壁崩壊当時、ソ連国家保安委員会(KGB)の諜報員として東ドイツのドレスデンに駐在していたという事実です。当時プーチンは30代半ばの男盛りでしたが、1985年に家族とともに東ドイツに赴任し、ドレスデン支部のナンバー2になりました。1988年から1989年にかけて東欧諸国に広がった自由化のうねりは、ついに東ドイツをも飲み込み、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊します。
KGBは、東ドイツの変化はもはや押し留められないと判断したのでしょう。壁が崩壊してからしばらくの間、プーチンはドレスデンの支部にあった不都合な文書を大量に焼却処分する作業をしていました。
そんな折り、12月5日にドレスデンで大規模な市民デモが発生。秘密警察「シュタージ」の建物を占拠して勢い付いた群衆たちが、プーチンのいたKGB支部にも押し寄せます。隣接するソ連軍駐屯所に警備員が電話で応援を求めましたが、「我々はモスクワの許可なしでは動けない。モスクワは黙ったままだ」との返答。
やむなくプーチンが群衆の対応に出向き、「私は通訳です。ここはソ連の管轄区域ですので、直ちに立ち退いてください」と、流暢なドイツ語で警告。小柄ながら、ただならぬ雰囲気を発するプーチンに、身の危険を感じた市民たちは、KGB支部の占拠は断念した由です。
もはやKGBに東ドイツでの居場所はありませんでした。プーチンも1990年1月にソ連に帰任。東ドイツでの体験から、プーチンはソ連体制が崩壊しつつあることを悟り、KGBでのキャリアを続ける意欲が減退してしまったようです。一時は地元レニングラード(現サンクトペテルブルグ)でタクシー運転手になることを本気で考えていたというプーチンでしたが、結局レニングラード国立大で学長補佐として拾われました。その後プーチンは、市行政に転身し、中央政界に進出して、ベルリンの壁崩壊から約10年後にロシアの最高指導者にまで登り詰めることになります。
体制の守護者をもって任じるKGBのプーチンにとって、東ドイツという国家が崩壊する様を、傍観することしかできなかったのは、屈辱の体験だったと思われます』
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