NO.11082637
これからのトイレ事情
-
515 名前:匿名さん:2023/05/06 14:10
-
世界標準に合わせることと、G7がキリスト教国であることは別問題です。
キリスト教は、むしろ同性愛を禁じています。
性行為は生殖のためだけに行われるべきであるというのが本来のキリスト教の教えでした。
そんなキリスト教国ですら、LGBTなどの多様な生を受け入れなければならないという新しい考え方が受け入れられ始めているのです。
なので、むしろ、キリスト教国であるG7ですら、ハードルを越えている、という捉え方が正確です。
そして、昔から歌舞伎や宝塚、暖色など男女の境界があいまいなことに寛容だったわか国だからこそ、LGBT理解はむしろ容易にできる基盤があるとも言えます。
世界標準に合わせねばならないわけではありませんが、例えばこの時代に独裁政治を行っている国が他国からそっぽを向かれるように、人権感覚の劣等な国は信頼を得られません。
多様な生を受け入れるということが、人権をどれだけ尊重しているかというリトマス試験紙になりえると考えられているのが現状です。
もし日本がトランスジェンダーを抑圧し続けるのなら、世界の中で孤立します。
孤立してもいい、という判断をしてもいいと考えるのであれば、諸外国との協力関係をある程度諦めることも同時に判断、選択されることになります。
それでもいいかどうかも含めても検討が必要でしょう。
「言語の意味を明示し自認の性を差別するなと特権化する」とはどういうことでしょうか。
「ジェンダー」という言葉はイヴァン・イリイチが提唱した言葉であり、それを日本語に導入するにあたっては、本来の意味を正確に翻訳、理解することは当然に行われるべきことでしょう。
そして、言語の意味を明示することと、辞任の姓を特権化することとの間には何の関係もありません。
異なる問題を一緒に論じるのは混乱の元です。
自認の姓を差別するな、というのは正当な主張です。
差別は不当なものでしかありません。
差別されている人を、ほかの一般の人と同等の存在、同じ価値あるぞんざいと認めることは、特権化ではなく、単なる一般は、普遍化にすぎません。
LGBTを差別したがっているのは神道連盟や統一教会などの宗教団体が主流となっています。
宗教に引きずられた政治家が、それに追随しています。
ですが、同じように同性愛を禁じていたキリスト教は宗教をこえて人権を重んじることを採択しました。
そこに学ぶべきものはあるかもしれません。