NO.6645148
究極の休日の過ごし方を考えてしまう
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1 名前:ジーダブリュー:2016/05/05 10:33
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車でショッピングセンターに行って
コミコミの中でぎゅうぎゅう詰めになって
フードコートでご飯を食べて
時間も潰せて、なんとなく疲れもして
何かした気分。
子供が小さいうちはこれもいいでしょう。
だけど、延々何年もそれの繰り返しだったり
混雑の中にわざわざ観光地に行ったり
「何かしないといけない」という強迫観念の
ようなものに押されて「出かけてのレジャー」
こそが連休のすごし方とされる。
職場では「連休はどこか行くんですか?」が
挨拶代わり。
深い意味はないにしても、毎年「どこも行きません」
っていうのも「寂しい人の烙印」を押された気が
してしまう。
連休なんて大型でなく小型でいいのになと
さえ思ってしまう。
本当は何か勉強をして過ごしたいと心から
思ったけど、意思の強さで出来なかった。
だけど、今でも読書なり学問こそが自分の中では
まとまった時間の中での究極の過ごし方の
ような気がしている。
でも口に出した事はない。
「行く所がない者の妬み」と取る人がいるかも
しれないから。
だけど、その人の「出かける場所」もさして
魅力に思えない。
大型連休=旅行やお出かけ
という刷り込みは、レジャーの文化が浅い日本人の
何かの「心の確認」のような気がしてならない。