NO.6654165
渾身の皇室ブログ<興味のない方はスルー奨励>
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60 名前:格調高い:2017/01/10 16:55
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>>1
ありがとうございます。
井沢満先生のブログより
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/66c66ad8e9e690a4f0216e4a69d4dfb2
『生前退位』への美しい誤解について
2016-12-26 | 日記
大風による大火続き、また東京では唐突な短時間の時ならぬ嵐・・・・と不順な天候が続いています。
12月にしては、今日も異常に暖かな東京です。
「生前退位」について、相変わらず国民の同意が
80%ぐらいはあるのでしょうか。
果たして、「生前退位」の本義をきちんと理解した上でのことなのか、と
いぶかしいのです。
いずれにしても、政府は天皇陛下の異例の“半ば命令”を受けて
有識者会議を予定調和で設け出た意見の中間を選ぶという
「形式」で、おそらく「特例法」で、今上陛下のみに当てはまる
特殊ケースとしての扱いをすることに落ち着くでしょう。
最初から見えている苦肉の策の「妥協案」です。
天皇陛下の「お気持ち」すなわち意志が政府を動かしたとするなら、
それは憲法違反に抵触するので、そこは有耶無耶に天皇陛下の
お気持ちを極力忖度し、尊重しましたということで
幕引きとしたいのだと思います。
しかし、どう言いくるめても「天皇が望んだ。それを受けて政府が
動いた」というのは、天皇の政治介入であり、お口出しであることに
変わりはありません。
これはきちんと、見ておきたいと思います。そうでないと、今後
天皇陛下のご意志で憲法違反がなされることがエスカレート
しかねず、それは憲法自体の存在意義を薄弱にします。
(憲法改正論とは文脈が別です。現行の憲法は、「されど憲法」で、
存在する限り、尊重されねばなりません)
「天皇無謬説」=天皇は絶対過ちを犯さないということが
あり得ないことは歴史を紐解けば歴然としています。
過ちさえ含めて全肯定し、批判申し上げる者は「不敬」の一言で
斬り捨てるなら、それは独裁国家です。
大変意外なことに、天皇陛下に対してものも言えないという風潮が
蔓延して来たのは、平成になってからではないでしょうか。
昭和時代は天皇陛下への尊崇に加えて、親しみがありました。
現在のように国民との間が四角四面に硬直してはいませんでした。
昭和のように親しみをこめたとて「天ちゃん」などと今、言うとある種の人々に
怒鳴られかねません。
あまつさえ、昭和の時代の国会では皇太子殿下(今上)とその伴侶となる御方への
疑義と批判すら、堂々と議員が開陳していました。
今は、絶対に出来ませんね。
さてネットでちらほら見かける「生前退位」へ賛成する意見の代表格は、以下の
三つぐらいでしょうか?
1 天皇陛下は今まで十分に日本のためにお働きくださった。だから、ここらで退位して、ゆっくり休んで頂きたい。
2 皇族にも人権があるから、大事にすべき。
3 「特措法」は、政府の天皇コントロールにつながる。
まず1について。
これは「摂政制度の」あることを理解していないがゆえの、発言です。
すなわち「退位なさらなければ、いつまでも働かされる」という基本的誤解。
いわゆる天皇のお仕事など、いつでも止められます。摂政という代役を
立てられれば、何もなさらなくてもいいのです。
天皇というのは、職業ではないので辞めることを認めると、天皇制の恒久性が
揺らぎます。
天皇は生まれついての天皇という「ご存在」であらせられ、職域ではありません。
仮に何もなさらなくとも天皇は厳然と天皇なのです。
お仕事については、今上陛下の個人的お考えで「象徴とはこうあるべき」という
お考えのもとに、やたら現在多くなっていますが本来なさるべきことは、祭祀と
たまの国事行為に過ぎません。
かなりの費用を投じての被災地ご訪問や、自虐史観に基づく慰霊という名の
反省・謝罪旅も義務ではありません。
本来なさらなくてもいいことです。(被災地訪問を否定しているわけでは
ありません。義務ではないと説明しています)
いずれにしても、摂政をお立てになればご自身は何もなさらなくても
よいお立場です。
陛下ご自身は、この摂政という制度がいたくお気に召さないようで
ご学友の口を通して、不満を漏らされ更に「特措法」に対しても
満足していらっしゃらないご様子です。
天皇と摂政との間に軋轢が生じる、とおっしゃるのですが、それは
理由にはならないと存じます。
と申しますのは、現在に限定して申し上げるなら天皇対摂政という
構図は、さして長く続くわけでもなく、それ以上に上皇(太上天皇)対天皇という
対立軸のほうがシャープでしょう。
つまり、権力と発言力を持ったままの上皇と、新しい天皇とでは
上皇がお立場が圧倒的上です。
もし、軋轢が生じるとしたらむしろ「生前退位」のほうです。
また、上皇ないしは太上天皇としてのご存在に保守派が疑義を
呈しているのは、上皇という権力は絶大でしかし身は天皇時代より
身軽である、というお立場からかねてより(皇后陛下の懸案である)
韓国への謝罪訪問など、おやりになるのではないかということです。
それがなされたら、日韓で揉めている歴史観ですが、日本側が
決定的ダメージを受けます。
さなきだに、韓国が言い立てる歴史のほうが虚偽であるのに、
ますます日本が悪いことにさせられてしまいます。
摂政をお立てになるのをなぜ忌避なさるかと言えば、皇太子殿下と
妃殿下の皇族のトップとしてお立ちになるには不十分な有様が、現在よりなお
露わに国民の目に映じてしまうので、そのために秋篠宮殿下への
移譲ということが現在より声高に言われ始めるからではないか、
と推し量る人々もいます。
皇太子の地位は皇室典範により移譲可能ないしは廃太子可能ですが、
天皇陛下としていったん即位なさると、もはや不動で後戻りが出来ずその地位
はゆるぎません。
それゆえ「生前」に、皇太子殿下を早々と即位あそばされ、安心したいと
いう説。
わたくしにはそこは解りませんが、しかし摂政をご否定なさる
お心の内が、全く解りません。客観的に納得できる理由がどう探してみても、
ありません。
2 の人権についてですが、民間で言うところの概念、「人権」はもともとございません。
「天皇陛下」という象徴であらせられるので、個人的「ヒト」ではなく、
「存在」であり社会的に人間としてはいないからこそ、戸籍を
有さず、またいかなる国内法をもっても裁かれず、莫大な富と
宮殿とお仕えびとたちが、国民により捧げられています。
以前は個人的「ヒト」ではなく現人神でいらっしゃいました。
今でも国民の尊崇の根っこには「神」が残っているからでしょう。
それがお嫌なら・・・・・・まだ皇太子の時代に、皇族離脱の権利を
法律で認めるべきでしょう。
「神の眷属」であるがゆえに皇族としての莫大な権利だけは得て、
義務は果たされないというのは通りません。
薨去された方を鞭打つ意味合いではなく、解りやすいので例を上げれば
三笠宮殿下。皇族が皇族であることを保証する神武天皇を否定、そして人格を
認めよとおっしゃりつつ、薨去に至るまで皇族の身分は離れず、その特権を
長く享受し尽してのご一生でした。
3の、「特措法」は、政府の天皇コントロールにつながる。・・・・・・
は本末転倒した捉え方です。
特措法は本来あってはならない、政府側の苦しい妥協でしかありません。
他ならぬ天皇陛下に言われて、無下にも断れず苦肉の策であり、
政府のコントロールなどとんでもない、逆です。天皇による
政府のコントロールです。
宮内庁に電話して、この点を伺ってみました。
「公共放送をいわば私物化なさることじたいが放送法に抵触するかと思われますが、それはさておき法律や政府へのお口出しは、憲法違反ではございませんか。かねてより陛下は平和憲法護持をご主張で、このご発言自体が自民党否定、安倍政権否定という意味での政治介入で憲法違反でもあるし、また現憲法を護れとおっしゃりながら、その憲法を個人としてはお護りにならないのは、自家撞着ではございませんでしょうか」
と。
宮内庁の答えは、「天皇陛下は国民の皆様に、率直にお気持ちをお話されただけのことです」。
私は「しかし、それを受けて政府が間髪入れず、生前退位に向けて動き始めました。それは、天皇陛下による政府へのご介入、つまりは御命令ということではないのですか?」
宮内庁の方、黙り込んでしまわれました。
天皇陛下は、「特措法」にもご不満で恒久法にして欲しい旨のこと、
NHKの次は今度はご学友からのリークという形で、漏らされましたが、
特措法という形で前例を作れば、次代の天皇もご自身の任意で
「天皇を辞めます」と言える状況にはなるので、ほぼ恒久法と
同じではないのでしょうか。
いずれにしても、摂政(皇太子殿下が務める)という代役制度を
否定なさっては、今後天皇陛下はご自分の「お気持ち」1つで
「天皇辞めます」と言うことが出来るようになり、天皇制の
基盤を揺るがします。
(制度という言葉に突っ込みたい人もいるのでしょうが、わたくしは
心得た上で、文脈上制度と申し上げています)
こうした、いわゆる愛国保守の人々から言われ始めたことを、お耳に
されたせいかどうか・・・・・・天皇皇后両陛下共に、言い繕い始められた・・・・
と申し上げるのが不遜なら、幾らかボルテージ下げてお話をなさる
ようになったと多くが感じています。
「文藝春秋」による吊り広告・新聞広告で「皇后は生前退位に反対だった」という
タイトルだけでかでかと、中身はまったくなかった不思議なタイトルと
記事の無さは、いまだに保守派の間では首を傾げられています。
また「生前退位」の「お気持ち発表」がいつの間にか、「内閣と相談の上」という
ことに置き換えられています。
「相談の上」なら、なぜ内閣がお気持ち放送の後ああもあたふたと
慌てふためいて対策に追われたのか解せないことではあります。
「内閣と相談」というのは、相談したことにしてくれという相談ではなかったか、
と勘ぐる人たちがいるのも、仕方のない成り行きではありましょう。
NHKからのリークということを一般は疑いもせず、すんなり受け入れていますが
天皇陛下のお考えのリークなど、いかにNHKとて、いえ「準国営放送」だからこそ
それこそ「大不敬」がなされ、それが疑いもなしに安々と受け入れられた不可解さ。
そして、民放各局が検証もなしにあっさりそれに続いた、あり得なさ。
お互い暗黙の了解があっての「意図されたリーク」だと
かなり多くの人々が思っているようですが、思われても仕方のない
状況ではございます。
それにつけても、生前退位と並行してなぜ唐突なまでに愛子さま天皇論が
突出して言われ始めたのか、冷静に厳しく考察すべきでしょう。
愛子さまを女性天皇として仰ぐということは、本来皇位継承権第二位で
いらっしゃる秋篠宮殿下排除論であり、悠仁親王殿下の排斥論です。
大事な日嗣の皇子が交通事故に遭われてさえ、頑として警備を増やそうとなさ
らない現実と併せて、厳しく考察すべきことでしょう。
あとこれは大事なことなので、ズバリ申し上げますが皇太子殿下は
祭祀がお出来になる健康状態でいらっしゃいましょうか。
お国に近い個人的情報源から、ある状態を具体的に聞き及んでいるので心配しています。
祭祀がお出来にならねば、祭祀王として神道の儀式が
不可能だということです。
この日本から最も大きな「祈り」が消え失せ、それは非常に危ういことです。
天皇の天皇たる所以を考えるに、祭祀抜きにはあり得ないでしょう。
もし万世一系を否定、原則として一子相伝の祭祀抜きに天皇即位が可能なら、
体格に秀で眉目秀麗、頭脳明晰で人格の高い男子を民間から選べばいいことです。
ということで、先の故三笠宮殿下のお話に戻るのですが、神武天皇という
日本の「神話」を否定したら、それに連なる万世一系の皇統が全部、意味のない
茶番となってしまいます。
天照大神と直結した神武天皇を存在を信じなければ、あるいは
信じたふりをしなければ「皇室」という神話自体が崩壊してしまいます。
代々の天皇は「普通の人」になってしまい、皇室不要論へと連なってしまいかねません。
>>1ありがとうございます。井沢満先生のブログよりhttp://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/66c66ad8e9e690a4f0216e4a69d4dfb2『生前退位』への美しい誤解について2016-12-26 | 日記大風による大火続き、また東京では唐突な短時間の時ならぬ嵐・・・・と不順な天候が続いています。12月にしては、今日も異常に暖かな東京です。「生前退位」について、相変わらず国民の同意が80%ぐらいはあるのでしょうか。果たして、「生前退位」の本義をきちんと理解した上でのことなのか、といぶかしいのです。いずれにしても、政府は天皇陛下の異例の“半ば命令”を受けて有識者会議を予定調和で設け出た意見の中間を選ぶという「形式」で、おそらく「特例法」で、今上陛下のみに当てはまる特殊ケースとしての扱いをすることに落ち着くでしょう。最初から見えている苦肉の策の「妥協案」です。天皇陛下の「お気持ち」すなわち意志が政府を動かしたとするなら、それは憲法違反に抵触するので、そこは有耶無耶に天皇陛下のお気持ちを極力忖度し、尊重しましたということで幕引きとしたいのだと思います。しかし、どう言いくるめても「天皇が望んだ。それを受けて政府が動いた」というのは、天皇の政治介入であり、お口出しであることに変わりはありません。これはきちんと、見ておきたいと思います。そうでないと、今後天皇陛下のご意志で憲法違反がなされることがエスカレートしかねず、それは憲法自体の存在意義を薄弱にします。(憲法改正論とは文脈が別です。現行の憲法は、「されど憲法」で、存在する限り、尊重されねばなりません)「天皇無謬説」=天皇は絶対過ちを犯さないということがあり得ないことは歴史を紐解けば歴然としています。過ちさえ含めて全肯定し、批判申し上げる者は「不敬」の一言で斬り捨てるなら、それは独裁国家です。大変意外なことに、天皇陛下に対してものも言えないという風潮が蔓延して来たのは、平成になってからではないでしょうか。昭和時代は天皇陛下への尊崇に加えて、親しみがありました。現在のように国民との間が四角四面に硬直してはいませんでした。昭和のように親しみをこめたとて「天ちゃん」などと今、言うとある種の人々に怒鳴られかねません。あまつさえ、昭和の時代の国会では皇太子殿下(今上)とその伴侶となる御方への疑義と批判すら、堂々と議員が開陳していました。今は、絶対に出来ませんね。さてネットでちらほら見かける「生前退位」へ賛成する意見の代表格は、以下の三つぐらいでしょうか?1 天皇陛下は今まで十分に日本のためにお働きくださった。だから、ここらで退位して、ゆっくり休んで頂きたい。2 皇族にも人権があるから、大事にすべき。3 「特措法」は、政府の天皇コントロールにつながる。まず1について。これは「摂政制度の」あることを理解していないがゆえの、発言です。すなわち「退位なさらなければ、いつまでも働かされる」という基本的誤解。いわゆる天皇のお仕事など、いつでも止められます。摂政という代役を立てられれば、何もなさらなくてもいいのです。天皇というのは、職業ではないので辞めることを認めると、天皇制の恒久性が揺らぎます。天皇は生まれついての天皇という「ご存在」であらせられ、職域ではありません。仮に何もなさらなくとも天皇は厳然と天皇なのです。お仕事については、今上陛下の個人的お考えで「象徴とはこうあるべき」というお考えのもとに、やたら現在多くなっていますが本来なさるべきことは、祭祀とたまの国事行為に過ぎません。かなりの費用を投じての被災地ご訪問や、自虐史観に基づく慰霊という名の反省・謝罪旅も義務ではありません。本来なさらなくてもいいことです。(被災地訪問を否定しているわけではありません。義務ではないと説明しています)いずれにしても、摂政をお立てになればご自身は何もなさらなくてもよいお立場です。陛下ご自身は、この摂政という制度がいたくお気に召さないようでご学友の口を通して、不満を漏らされ更に「特措法」に対しても満足していらっしゃらないご様子です。天皇と摂政との間に軋轢が生じる、とおっしゃるのですが、それは理由にはならないと存じます。と申しますのは、現在に限定して申し上げるなら天皇対摂政という構図は、さして長く続くわけでもなく、それ以上に上皇(太上天皇)対天皇という対立軸のほうがシャープでしょう。つまり、権力と発言力を持ったままの上皇と、新しい天皇とでは上皇がお立場が圧倒的上です。もし、軋轢が生じるとしたらむしろ「生前退位」のほうです。また、上皇ないしは太上天皇としてのご存在に保守派が疑義を呈しているのは、上皇という権力は絶大でしかし身は天皇時代より身軽である、というお立場からかねてより(皇后陛下の懸案である)韓国への謝罪訪問など、おやりになるのではないかということです。それがなされたら、日韓で揉めている歴史観ですが、日本側が決定的ダメージを受けます。さなきだに、韓国が言い立てる歴史のほうが虚偽であるのに、ますます日本が悪いことにさせられてしまいます。摂政をお立てになるのをなぜ忌避なさるかと言えば、皇太子殿下と妃殿下の皇族のトップとしてお立ちになるには不十分な有様が、現在よりなお露わに国民の目に映じてしまうので、そのために秋篠宮殿下への移譲ということが現在より声高に言われ始めるからではないか、と推し量る人々もいます。皇太子の地位は皇室典範により移譲可能ないしは廃太子可能ですが、天皇陛下としていったん即位なさると、もはや不動で後戻りが出来ずその地位はゆるぎません。それゆえ「生前」に、皇太子殿下を早々と即位あそばされ、安心したいという説。わたくしにはそこは解りませんが、しかし摂政をご否定なさるお心の内が、全く解りません。客観的に納得できる理由がどう探してみても、ありません。2 の人権についてですが、民間で言うところの概念、「人権」はもともとございません。「天皇陛下」という象徴であらせられるので、個人的「ヒト」ではなく、「存在」であり社会的に人間としてはいないからこそ、戸籍を有さず、またいかなる国内法をもっても裁かれず、莫大な富と宮殿とお仕えびとたちが、国民により捧げられています。以前は個人的「ヒト」ではなく現人神でいらっしゃいました。今でも国民の尊崇の根っこには「神」が残っているからでしょう。それがお嫌なら・・・・・・まだ皇太子の時代に、皇族離脱の権利を法律で認めるべきでしょう。「神の眷属」であるがゆえに皇族としての莫大な権利だけは得て、義務は果たされないというのは通りません。薨去された方を鞭打つ意味合いではなく、解りやすいので例を上げれば三笠宮殿下。皇族が皇族であることを保証する神武天皇を否定、そして人格を認めよとおっしゃりつつ、薨去に至るまで皇族の身分は離れず、その特権を長く享受し尽してのご一生でした。3の、「特措法」は、政府の天皇コントロールにつながる。・・・・・・は本末転倒した捉え方です。特措法は本来あってはならない、政府側の苦しい妥協でしかありません。他ならぬ天皇陛下に言われて、無下にも断れず苦肉の策であり、政府のコントロールなどとんでもない、逆です。天皇による政府のコントロールです。宮内庁に電話して、この点を伺ってみました。「公共放送をいわば私物化なさることじたいが放送法に抵触するかと思われますが、それはさておき法律や政府へのお口出しは、憲法違反ではございませんか。かねてより陛下は平和憲法護持をご主張で、このご発言自体が自民党否定、安倍政権否定という意味での政治介入で憲法違反でもあるし、また現憲法を護れとおっしゃりながら、その憲法を個人としてはお護りにならないのは、自家撞着ではございませんでしょうか」と。宮内庁の答えは、「天皇陛下は国民の皆様に、率直にお気持ちをお話されただけのことです」。私は「しかし、それを受けて政府が間髪入れず、生前退位に向けて動き始めました。それは、天皇陛下による政府へのご介入、つまりは御命令ということではないのですか?」宮内庁の方、黙り込んでしまわれました。天皇陛下は、「特措法」にもご不満で恒久法にして欲しい旨のこと、NHKの次は今度はご学友からのリークという形で、漏らされましたが、特措法という形で前例を作れば、次代の天皇もご自身の任意で「天皇を辞めます」と言える状況にはなるので、ほぼ恒久法と同じではないのでしょうか。いずれにしても、摂政(皇太子殿下が務める)という代役制度を否定なさっては、今後天皇陛下はご自分の「お気持ち」1つで「天皇辞めます」と言うことが出来るようになり、天皇制の基盤を揺るがします。(制度という言葉に突っ込みたい人もいるのでしょうが、わたくしは心得た上で、文脈上制度と申し上げています)こうした、いわゆる愛国保守の人々から言われ始めたことを、お耳にされたせいかどうか・・・・・・天皇皇后両陛下共に、言い繕い始められた・・・・と申し上げるのが不遜なら、幾らかボルテージ下げてお話をなさるようになったと多くが感じています。「文藝春秋」による吊り広告・新聞広告で「皇后は生前退位に反対だった」というタイトルだけでかでかと、中身はまったくなかった不思議なタイトルと記事の無さは、いまだに保守派の間では首を傾げられています。また「生前退位」の「お気持ち発表」がいつの間にか、「内閣と相談の上」ということに置き換えられています。「相談の上」なら、なぜ内閣がお気持ち放送の後ああもあたふたと慌てふためいて対策に追われたのか解せないことではあります。「内閣と相談」というのは、相談したことにしてくれという相談ではなかったか、と勘ぐる人たちがいるのも、仕方のない成り行きではありましょう。NHKからのリークということを一般は疑いもせず、すんなり受け入れていますが天皇陛下のお考えのリークなど、いかにNHKとて、いえ「準国営放送」だからこそそれこそ「大不敬」がなされ、それが疑いもなしに安々と受け入れられた不可解さ。そして、民放各局が検証もなしにあっさりそれに続いた、あり得なさ。お互い暗黙の了解があっての「意図されたリーク」だとかなり多くの人々が思っているようですが、思われても仕方のない状況ではございます。それにつけても、生前退位と並行してなぜ唐突なまでに愛子さま天皇論が突出して言われ始めたのか、冷静に厳しく考察すべきでしょう。愛子さまを女性天皇として仰ぐということは、本来皇位継承権第二位でいらっしゃる秋篠宮殿下排除論であり、悠仁親王殿下の排斥論です。大事な日嗣の皇子が交通事故に遭われてさえ、頑として警備を増やそうとなさらない現実と併せて、厳しく考察すべきことでしょう。あとこれは大事なことなので、ズバリ申し上げますが皇太子殿下は祭祀がお出来になる健康状態でいらっしゃいましょうか。お国に近い個人的情報源から、ある状態を具体的に聞き及んでいるので心配しています。祭祀がお出来にならねば、祭祀王として神道の儀式が不可能だということです。この日本から最も大きな「祈り」が消え失せ、それは非常に危ういことです。天皇の天皇たる所以を考えるに、祭祀抜きにはあり得ないでしょう。もし万世一系を否定、原則として一子相伝の祭祀抜きに天皇即位が可能なら、体格に秀で眉目秀麗、頭脳明晰で人格の高い男子を民間から選べばいいことです。ということで、先の故三笠宮殿下のお話に戻るのですが、神武天皇という日本の「神話」を否定したら、それに連なる万世一系の皇統が全部、意味のない茶番となってしまいます。天照大神と直結した神武天皇を存在を信じなければ、あるいは信じたふりをしなければ「皇室」という神話自体が崩壊してしまいます。代々の天皇は「普通の人」になってしまい、皇室不要論へと連なってしまいかねません。