NO.6675844
自己愛性人格障害との診断を受けた息子
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43 名前:主 長文:2016/06/04 00:39
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>>1
たくさんのお返事、自分への罰だと思い読ませていただきました。
中には、優しい言葉をかけてくださる方もいて、こんな私なんかにもったいない思いです。
息子は、ウソでは無く、本当にとっても優しい子でした。
もう一人子供はいますが、その子よりも小さな頃は優しかったと思います。
クマの形をしたチョコレートは食べることはできないし、私が疲れた顔をしていたら「僕がお手伝いしてあげる」と一生懸命手伝ってくれていました。
小学校時代は、よく仲間はずれにされましたが、自分からは絶対にそんな事しませんでした。
「意地悪な心を生まれつき持ち合わせていない天使みたいな子だね・・・」と主人と話ししたこともあります。
従順な子だったので、友達間での優先順位は後回しにされがちでしたが、誘われて断ることも無いせいか、いじめられた子の拠り所の様な子でした。
中学に入り、1年生の頃は小学生時代と何も変わっていない様に感じていましたが、私の気づかないところで息子は葛藤していたようです。
中2に入ったころから、担任やクラスメイトの悪口が目立ち始め、時には「シネ、コロス」と恐ろしい言葉を発するようになりました。
夏休みが過ぎ、しばらく登校していましたが、ある日家の中の物を手当たり次第投げて暴れました。
いじめられていた様です。
それまでの親子関係は、正直、俗にいう「お母さんはうざい」と言う存在だったと思います。
私の方がどちらかというと、強い。
だけれども、この時期を境に、私は息子の顔色を窺うようになっていきました。
詳しくは、まだこの頃は私も弱ってはおらず、母親として息子をなんとかしなければならないという気持ちが強かったので、手探り状態ながら、「息子の気持ちの吐きどころになってあげなくては」と意識して寄り添っていました。
それが、その後不登校になり、暴れる事も長くなり、暴言も歯止めが利かない程ひどくなって来て、私の中でも限界が来てしまいました。
自己愛性人格障害だと聞くと「親の甘やかし」と思われる方が多いのですね。
まだその方がマシかもしれません。
私の場合は、息子の暴言に対して相応の応戦をしていましたし、そのころ頻繁に口にしていた言葉は
「学校に行かないなら、さっさと働いて出ていけ」です。
まだ中学校も卒業していない子に対して、「出ていけ」と言っても、息子だって出ていけないですよね。
息子が変わって行ったのは、この頃かもしれません。
本当に、「気が付いたら」今の息子になっていました。
どこから、私と息子の立場が逆転したのかもわかりませんし、息子がこんな人格になったのかもわからないんです。
きっと、入院した頃に自己愛性が出来上がった気がします。
私のせいなのですが、でも、どこで間違えたのかもわからないし、では、どうすればよかったのかもわからないんです。
もし、もう一度息子を育て直ししたとしても、私は同じことを繰り返して、息子は自己愛性になるのだと思います。
社会に出すなとのご意見ごもっともですよね。
私だって、息子みたいな人格の人が身近にいたらいやですもの。
だけど、家に閉じ込めて、生活保護のお世話になるような人間に育てるよりは、自立できるまで育てるのが親の役目だとの思いだけで育ててきました。
息子は今大学生です。
なりたい職業も決まっており、私の手の届かないレベルの世界に行ってしまいました。
親として、息子がこの先どうすれば人としての心を取り戻し、昔のようにやさしい子になってくれるかとそればかりを願っています。