NO.6698802
駄)昔の高校受験
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7 名前:学校群:2018/03/30 11:34
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>>5
学校群というのは、昔の都立高にあった制度です。
2校か3校が一つの群になります。
受験生は群を志望して、合格したら、適当に群の中の高校に割り振られます。
なぜ、そんな制度にしたかというと、都立のエリート校をなくすためです。
例えば、学区のトップ校と2番手校を一つのグループにする。すると、その群に合格できる割合は、2校分の定員なので、入りやすくなります。
私の学区なんか、トップの群が3校で構成されていたので、3番手校まで入れる学力があれば、3分の1の運で、トップ校には入れました。
で、結果は、都立高の人気は凋落し、国立付属や私立に流れました。
私は学校群制度の最後の2番目の世代です。学校群がなくなった年を覚えています。定員割をした高校が多く、トップ高や2番手校も2次募集をした学校もあります。で、2次募集をした学校は、定員いっぱいまで合格者を出さなくてはならないのですが、学力差が大きすぎて、入学後は大変だったようです。一部の高校は、定員いっぱいまで合格者を出さず、後で、教員の数を減らすなどの処分を受けていました。
本題ですが、公立高校優位ではなかったので、割と自由に受験校は選べました。