NO.6708285
周りの人は・・・
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3 名前:私の場合:2016/02/14 08:11
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>>1
私は社交的な方ですが昔は違いました。
若い頃は、自分の考えが極端な二択しかなくて
いくらその場が和やかでも自分が疲れたら意味がない
くらいに思っていました。
無難にこなして自分が疲れるか、
こなさずに自分が楽かの二択だけ。
でも違うんですよね。
とくに難しくもない人間関係すら無難にこなせないのは
自分の責任(スキル低すぎ)であって
そこを放置する言い訳を自分でしてるだけ。
こなせないなら場数を踏んで、失敗もして恥もかけばいい。
気疲れするということは、鍛えて筋肉が疲れるのと同じ。
そうやって、少しずつ場慣れしたり力がついたりするんです。
筋トレしたくないから、しなくていい言い訳をする。
以前の私はまさにそうでしたよ。
筋トレなんかして自分が倒れたら意味ないわと
太ってるのにお菓子を食べてるのと一緒。
もし一般的な筋トレしたくらいで倒れるのなら
それだけ今の自分の状態が、本当にマズイということだし
その自分に合わせた、人よりも少なめの
トレーニングをやるという発想すらない。
言い訳してるだけで、選択肢に百かゼロかしかなく
倒れるくらいならゼロでいいと本気で思ってる。
五からでも十からでも、今日から始めればいいのにね。
ほんと、昔の自分を甘えんなと蹴っ飛ばしてやりたいです。
気疲れするのは心の筋肉がそれだけ鍛えられてるんですよ。
一回目よりも百回目の方が楽なのは筋力がついたからです。
筋力があれば、さらに歳をとって
人付き合い面倒だなーなんて思った時も
とくに負担なく今までのようにこなせます。
技術として身についてるんですね。
面倒ではあるけれど、例えば嫌で嫌で
憂鬱な気持ちになるなんていう、そこまで
重い心の負担にはならない。
一度、筋肉つけておくと先が楽ですよ。
人生の後半に憂鬱になるよりもずっといいです。