NO.6779975
最近の悩み
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15 名前:うーん:2017/07/31 22:50
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>>1
中高生のとき、最初は周りと仲良くできても
次第に人が離れていく子って、パターンが決まってた。
集団だと、自分は大してやりたくなくても
他の子のために合わせることってあるじゃない?
自分が行きたいところじゃなくても
みんなに合わせて、自分も行く。
そういうのをしてるうちに、段々と経験が
自分の糧になってることが分かるんだよね。
そこに行くこと自体が目的、重要なんじゃなくて
みんなとの会話だとか、複数だから起こるいい事わるい事
それらを楽しむこと、学ぶことなんだと気付くんだよね。
まぁ、そういうのが自分の力(おもに対人能力)に
役立ってるなぁと感じるのは大人になってからなんだけど。
でも思春期に少し子供だったり、我が強かったりすると
自分の思い通りにならないこと、自分にとって
無駄なこと(後に役立つという発想はなくて、目先の判断で)
に時間や労力を使うのを惜しむんだよね。
あくまでも自分にとってどうか、が判断基準だから
他の人にとってどうか、の目線はない。
友達が喜ぶから、別に行きたくないけど
それに付き合おうみたいなのがない。
集団って、たまに我慢して、たまに意見が通って
そういう「お互い様」で成り立ってるから
自分にとってどうかだけが基準の人は嫌がられる。
横だけど、ボッチが良くないとされるのは、そこだよね。
日常生活で、他人のために自分が我慢する
譲るという経験はとても大切で、必要だと思うよ。
他人の中で我を通してばかりだと凹まされる。
そこで初めて、自分の欠点に気づけるしね。
身内の中だけで生きてたり、ボッチだったりすると
気づかせてくれる存在自体がいないからね。
娘さんは、凹まされてる最中なんじゃないかな。
欠点を気づかせてくれる存在に、身内はカウントされないよ。
何しても受け入れてくれる存在に指摘されても
本人には響かないから。
相手に必要とされなければ維持できない関係
自分側に落ち度があれば、受け入れてもらえずに切られる関係
そういうシビアなところでしか改善できない欠点を
いま指摘されてる最中なのかもしれないよ。
そこに身内は入れないものと割り切るしかないんじゃないかな。