wikiより抜粋。
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英語文献において、Tsunamiという語が使われた例は、現在のところ『ナショナルジオグラフィックマガジン』1896年9月号で明治三陸津波を報じた記事"The Recent Earthquake Wave on the Coast of Japan"[2]が最古とされている[3]。執筆者のエリザ・ルハマ・シドモア (Eliza Ruhamah Scidmore) はポトマック河畔の植桜に尽力したことで知られる親日家である。
しかし、一般的にTsunamiの初出作品として知られているのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が1897年(明治30年)に出版した著作集「仏の畠の落ち穂」 (Gleaming in Budda-Fields) の中に収録された『生神様』 (A Living God) である。濱口梧陵をモデルにした[4]『生神様』では、地震後に沿岸の村を飲み込んだ巨大な波を「Tsunami」と現地語の日本語で表現した。