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神奈川県は生きたゆるキャラの聖地
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12 名前:匿名さん:2021/04/18 13:03
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メリーさん(本名不詳、1921年[1]- 2005年1月17日[2])は、神奈川県横浜市の中心部でしばしば目撃された女性。歌舞伎役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとっていた。第二次世界大戦終戦後、進駐軍兵士相手に身体を売っていた「パンパン」と呼ばれる娼婦だと噂され、「皇后陛下」「白狐様」「クレオパトラ」「きんきらさん」などの通り名で呼ばれていた。[3]。1980年代に入った辺りから「(港の)マリーさん」と呼ばれ出し、同じく80年代の後半から「メリーさん」と呼び名が変化したようである。[3]。そして後年ドキュメント映画がヒットした影響から「ヨコハマメリー」「ハマのメリーさん」[4]などと呼ばれることが多くなった。
来歴・生涯 編集
岡山県出身。実家は農家で、女4人、男4人のきょうだいの長女として生まれる[5]。
実弟の話によると、地元の青年学校を卒業後に国鉄職員と結婚。その後、戦争が始まり軍需工場で働きに出るが、人間関係を苦に自殺未遂騒動を起こす。この出来事が原因で結婚からわずか2年で離婚。子供はいなかったという[5]。戦後、関西のとある料亭(実際は米兵相手の慰安所だった)で仲居として働いた後、そこで知り合った米軍将校の愛人となる。彼に連れられ東京へ出るが、朝鮮戦争勃発後、現地へ赴いた彼は戦争が終結するとそのまま故郷のアメリカ合衆国へ帰り、日本には戻らなかったという。
取り残された彼女はその後、横須賀を経て横浜へと移動し、米兵相手の娼婦としての生活を始める。以後は在日米軍基地に数十年間と長期にわたり居住した[6]。中村高寛監督の映画『ヨコハマメリー』によると来浜の時期は1963年とのことだが、檀原照和著『消えた横浜娼婦たち』によれば1955年には既に横浜の伊勢佐木町で目撃されていた、という。
彼女の存在が注目されだしたのは、1980年代に入ってからである[6]。折しも「なんちゃっておじさん」や「歌舞伎町のタイガーマスク」など、町の奇人たちがメディアに取り上げられていた時期と重なる。
1990年代の半ばに、横浜の街から姿を消した。その時期は映画『ヨコハマメリー』では1995年初冬(『朝日新聞』は「関係者の話」として同年12月に故郷の中国地方へ帰ったとしている[4])、書籍『消えた横浜娼婦たち』によると1996年の11月だという。
晩年は「故郷の老人ホームで暮らした」とされるが、実際は故郷に居場所を見いだせず、数十キロメートル離れた津山の老人ホームで余生を送った[3]。2005年1月17日、死去[7]。84歳没。