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ヘンリー王子夫妻王族引退7

990 名前:匿名さん:2021/12/19 14:21
今、天変地異みたいなことが起きてるじゃん?
これの再来?

山部親王と早良親王の母親は、身分の高い女性ではありませんでした。そのため、山部親王は中務卿(なかつかさきょう)として朝廷に勤め、早良親王にいたっては若いころに寺に預けられていました。2人とも天皇になる予定のない皇子だったのです。
しかし当時の有力貴族である藤原氏の策略によって、どんでん返しが起こります。
山部親王を天皇に担ぎ上げようとしたのは、ときの権力者だった藤原百川(ももかわ)。光仁天皇の皇后と皇太子を「天皇を呪い殺そうとした」という罪で追放し、山部親王を新たに皇太子として擁立したのです。そして781年に桓武天皇として即位すると、早良親王が皇太子になりました。

後ろ盾の弱い天皇のほうが、藤原氏には都合がよかったのかもしれません。百川は自分の娘である藤原旅子を桓武天皇の夫人(後宮で妃に次ぐ位)として、姻戚関係を結んでいます。
長岡京の造営を命じられたのは早良親王と、桓武天皇を天皇の座へと押し上げた藤原百川の甥にあたる藤原種継。しかし、ふたりの仲はあまり良くなかったと伝えられています。
そして長岡京遷都の翌785年に藤原種継が暗殺される事件が発生。その首謀者として捕らえられたのは早良親王でした。

皇太子を廃され、乙訓寺に幽閉された早良親王は無実を主張し、自ら飲食を断ちます。けれども命を懸けた抗議もむなしく淡路に流されることが決まると、移送の途中で絶命してしまうのです。
その後、桓武天皇のまわりを立て続けの不幸が襲います。妻や母親など身近な人が次々に亡くなり、ついには早良親王に代わって皇太子となった息子までが病に倒れ……。
怨霊による災いだと恐れた桓武天皇は、淡路に葬られていた早良親王に崇道(すどう)天皇という称号を送り、奈良県の八島陵に改葬をします。そして荒ぶる魂が鎮まるようにと、京都の御霊(ごりょう)神社に崇道天皇を祀りました。
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