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切ない専用です 4

216 名前:切ない◆NGRiNTk1:2021/08/09 15:33
昔、姑がタッパーに入った煮物を持たせたことがありました。
月2回くらい夫が顔を出していた頃です。

私が怒って
「家に妻がいるのに失礼」
と言うと、二度としなくなりました。
その代わり時折実家でご飯を食べてくるようになりました。
夫が姑にどう伝えたのか知りません。

そもそも私は結婚当初、夕食を作っていました。
ダイエット中だから要らないと言ったのは夫です。
しばらくして「やっぱり作って」
それを2,3回繰り返して私が
「どっちなの!?」と激怒した。
そうしたら
「やっぱり要らない」
要るとか要らないとか、あるときは「もうちょっと軽めにして」と言われました。
家政婦じゃあるまいし、怒るの当然でしょう。

私は食べるものなどなんでもいいです。
手作りにこだわるほうがおかしい。
出来合いのものは愛情がないとか、バカバカしい。

母は父がどんなに遅く帰ろうと待っている人でした。
朝食も、焼き魚・だし巻き卵・味噌汁・ご飯と和定食みたいな食事を毎日出していました。
父は気まぐれで「明日からパンが食べたい」と言うと、翌日から
トースト(母がジャムを塗ってあげる)・ハムエッグ・サラダ・コーヒー。
「明日から和食で」と言えばまた和食に戻す。

私は母に
「将来結婚しても、お母さんみたいなことはとてもできない」
と言いました。
高校生くらいだったかな。
母は驚いた様子で
「お母さんは好きでやっているのよ。あなたはやらなくていいの」
と言いました。

未熟児で生まれて保育器に入った私を見て医師は
「この子は長生きできないかも」
と言ったそうです。
今なら考えられないですが、昭和40年代のことです。
母は大泣きして「代わってあげたい」と言ったとか。

初めての手術のとき、父は休めないからと出社して、母はずっとそのことを言っていました。
「お父さんは我が子の手術に立ち会わず、帰りも飲んで夜中に帰ってきた」

いつも「お父さんのおかげで生活できる。お父さんはすごい」
と言っていた母が、そのときだけは父を恨んだそうです。

母が亡くなったあと父は
「高度成長期の会社員はみんなそうだけど、家族より仕事だった。
お父さんも家族を言い訳に休めなかったし、早く帰ろうと思っていたら取引先の接待が入った。
大事なお客さんだ。断れるわけがない。
本当はお前のことが心配で、飛んで帰りたかった」

とはいえ、私自身は小さすぎて記憶にありません。
母は病院に泊まり込んでいたそうですが(赤ちゃんだから特別に)それも覚えていません。

それから何度も入退院を繰り返しました。

成人式を迎えただけで「生きていてくれてありがとう」と感謝されました。

成人式どころか50代まで生きていますが。

夫は私に「君がいてくれるだけでいい」と思っていないようです。
思っていたら「医療費が高い」なんて言いません。

まさか掃除と洗濯(完璧じゃないですがやってます)だけじゃなく、飯の支度もしろなんて思ってないでしょうね。

母は「あなたは特別。なんにもしなくていいの」と言いました。

なのに私は掃除や洗濯をしている。

緊急事態宣言でもスポーツジムはやっているので、夫は実家からジムに行き大量の洗濯物を持ち帰ります。
Tシャツ3枚にジャージ上下・水着・タオル2枚。
毎日洗ってますよ。
大変だからと姑にはやらせない。

夫はこれすらも、当り前と思っているのでしょうか。
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