NO.6625450
近い歴史
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0 名前:かぼちゃ:2018/03/13 21:10
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私の祖父母はもう亡くなりましたが、明治末の生まれでしたので、今思うとなかなか興味深いことを言っておりました。
覚え書きみたいなものですが、皆様ももしありましたらご参加ください。
おそらく地域でもいろいろでしたでしょうが、とりあえず聞いたことです。
・天長節、天皇誕生日の日や建国記念日などの祭日は、学校が休みだったわけではなく、学校に行って、くーもにそびゆるたかちーほのー、と歌を歌って紅白饅頭を頂いて帰ってきた。(国立こくりつの師範学校の小学校)
・昔の山手線品川駅は海がすぐそばにあって、波が強い日はホームに波がかぶってた。
・第2次世界大戦中、4月の大空襲のとき、キリスト教系の大学(立教大学)は焼けないと言われていて、本当に他が焼け野原になったのにそこだけ残った。
・川越街道?を捕まった近藤勇が通ると噂が立って見に行った。そのまま板橋の刑場に行ったのでしょうか。
これは曾曾祖母のはなし。
昔は人の名前やそういった話はテレビや新聞がないのに
よく知りえましたね。
・関東大震災のとき、韓国人が攻めてくる、とのうわさを、新宿にいた祖父と池袋にいた祖母は同じような感じで聞いた。
いわく、其々の家から遠くなく近くもない○○銀行、信用金庫あたりまで来ている、という噂が流れた、と。
家から見えないけど充分に近い絶妙な距離、そして具体的な建物名で恐怖をあおられたようです。
一体噂ってのはなんなのでしょうね。
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