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NO.11261190

らんまん 史実ネタバレありスレ

0 名前:匿名さん:2023/07/28 05:11
良かったらお使い下さい。
95 名前:匿名さん:2023/08/04 17:28
>>93
ドラマなんだからそれでいいんだよ。
96 名前:匿名さん:2023/08/04 17:32
>>94
いないの?
みんなそんなに分けて考えられる?

例えば、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は坂本龍馬の史実だけじゃない、小説だよね。
だから「竜馬」と司馬さんはわざわざ感じを変えて表記している。
司馬の描いた小説の「竜馬」と本当の「龍馬」は別の存在。

でも、そんなことわきまえてる人がどれだけいる?
司馬遼太郎の描いた「竜馬」が本物の坂本龍馬だと信じ込んでる人のほうがずっと多い。
というか、実は坂本龍馬が好きだという人は、司馬遼太郎の描いた「竜馬」ファンばっかりではない?

このドラマを見て、牧野さんって素敵、と思う人が多くいても不思議はないと私は思う。
私が間違っているのなら、その方がいい。
だから、そんな人は一人もいないとみんなが言うなら、むしろ安心する。
97 名前:匿名さん:2023/08/04 17:34
>>93
別に悲しくないよ。
本当の事は、本を読んでも分からないんだから。
実際には何が起きてたか、何もなかったか
寿恵子さんはどう思ってたか、
外からは結局何も分からない。
分かるのは最後まで別れる事なく一緒に居たということ。

ドラマは所詮ドラマなのだから、そんな深く考えることではないよ。
98 名前:匿名さん:2023/08/04 17:35
>>96
ドラマを見て牧野さん素敵と思う人がいてそれはそれでいいじゃない?
そういう側面もあったんだかた
99 名前:匿名さん:2023/08/04 17:36
遠き落日は史実だよね。
100 名前:匿名さん:2023/08/04 17:39
>>97
「私は」悲しいと思っただけだ
だから、もうそんな話は知りたくないという人には知らせないけど
ここは書いてもいいという場所だそうだから、書いただけ
もう書きません、答えません
101 名前:匿名さん:2023/08/04 17:41
>>100
自分と重ねてるんだろうね。
102 名前:匿名さん:2023/08/04 17:48
>>93
これはドラマ
脚色あるのは当たり前
あなたは家族と関係悪い?
なにか重ねてる気がする
103 名前:匿名さん:2023/08/11 13:56
興味あったのに、このスレとまったままだわ。
誰のせいよ。
そのためのスレだったのに、書いた人を責める人がいたからじゃないの?
原作本を読むのめんどいし、読んだ人に教えてもらいたかったにさ。
迷惑。
104 名前:匿名さん:2023/08/11 14:54
自分の家族に重ねた人がいけない
105 名前:匿名さん:2023/08/11 15:10
え?
史実ネタバレありのスレなのに?
自分の家族に重ねたかどうかもわからないのに?
もし、重ねていたとしても、重ねちゃダメよってどこで決められてるの?
何でいけないの?

ま、いいや。
あなたのせいで、このスレが止まったことは事実だし。
原作を読むしかないのか。
めんどいわー。
恨む。
106 名前:匿名さん:2023/08/11 15:14
史実だけ書けばいいのに。
そこに自分の感情を重ね、脚本に不満を抱いて、楽しんでる人達を貶めて。
107 名前:匿名さん:2023/08/11 15:35
だから別スレでそーゆーこと専門に作ったんでしょ。
邪魔したのはあ・な・た。
もーいいよ、答えないで。
しょーがないから、原作読むことにするわ。
Amazonで注文。
このスレは、終了。
108 名前:匿名さん:2023/08/11 15:43
>>107
主宛ですね。
109 名前:匿名さん:2023/08/11 17:31
荒らしのせいで、だめになるスレが多いね。
何のためのスレ立てなんだか。
110 名前:匿名さん:2023/08/11 17:49
何にでも噛みつく狂犬がいるからだよ。
111 名前:匿名さん:2023/08/12 05:11
終了しなくていいと思います。
お互いに楽しみましょう。
112 名前:匿名さん:2023/08/12 07:14
世の中のあらん限りやスエコ笹”

 昭和2年には理学博士の学位を得て、いよいよこれから博士の努力が報われるというときに、夫人は55歳でこの世を去ってしまいました。博士は、最愛の夫人をしのび、前年に仙台で発見した新種のササに夫人の名を冠し、「スエコザサ(学名ササエラ・スエコアナ・マキノ)」と名づけたのでした。
夫人の墓は、谷中天王寺に博士の墓とともにあり、墓碑には博士の俳句が二句、亡き夫人への限りない感謝と愛情をこめて深く刻まれています。

練馬我が町資料
113 名前:匿名さん:2023/08/12 07:20
「生活費のことは私に任せて、好きなだけ研究に没頭してください」と夫に言ったといいます。

「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」とよく言っていました。

富太郎の夢を自分の夢と共有しているように思えます。

寿衛子の墓は富太郎とともに谷中天王寺にあります。

墓碑には牧野富太郎の寿衛子への感謝と愛を込めた句が刻まれています。

「家守りし妻の恵みやわが学び」
「世の中のあらん限りやスエコ笹」
114 名前:匿名さん:2023/08/12 07:57
糟糠の妻の献身的な愛情と信念

牧野一浡氏が生まれたとき、寿衛は既に他界していた。同氏は本書巻末のインタビューで、こんなエピソードを紹介している。

叔母の話では「寿衛さんはすごく粋でおしゃれな人だった」と言っています。富太郎は、寿衛と一緒に外出するのがとても自慢だったそうです。そんな富太郎のために外出する日は、わざわざ着物を借りてきて、それを着て外出したそうです。そして、借りてきた着物だということを富太郎は知らなかっただろうと叔母は言っていました。富太郎は、寿衛と一緒に出かけてうれしくてしょうがなかったのでしょうね。富太郎にとってはほんとうに恋女房だったと思いますよ。
115 名前:匿名さん:2023/08/12 07:57
寿衛は娘たちに、「お父さんは植物の研究のためにお金を使っているので、うちは貧乏だけれどもあなたたちは恥じることはないよ」と言っていたと、四女の玉代から聞いたことがあります。

「日本植物分類学の父」の糟糠(そうこう)の妻、寿衛の長年にわたる内助の功について著者は「富太郎への献身的な愛情と、富太郎の好きなことをさせてあげたいという素朴な信念によって支えられていた」と洞察している。
116 名前:匿名さん:2023/08/12 13:30
↑リスペクトしましょう。
117 名前:匿名さん:2023/08/12 14:03
>>116
こう、押し付けられるようなこと言われると…ねぇ。
鬱陶しいというか。
リスペクトだね〜ってことなら、うんうん確かに、ってなるけど。
118 名前:匿名さん:2023/08/12 14:13
子どもたちは貧乏で上級学校にも上げてもらえなかった。
女学校に行かせてもらった女の子が一人だかいるらしいだけ。
自分は学問に熱中してたけど、子供に学問をさせようとは思わなかった人。

奥さんはお金がないので待合(今でいうラブホみたいなとこ)を経営してお金を作ったら、それがみだらだと東大の教授婦人たちに糾弾された。

お金がなくて、それまで集めた研究資料を全部売りに出したら、関西のお金持ちが買い上げてくれた。
研究所まで作ってくれて、その代わり、毎月研究所に通うって約束だったのに、全然通わないで放りっぱなし。
何年も待たされて、催促しても無視されて、あまりに酷いので、もう研究所は閉鎖して資料も京都大学に譲渡すると言ったら怒りだして大騒ぎ。
でも、約束は何一つ守ってなかったので言い逃れはできなかった。

その資料を売ったときに手に入ったお金も、そのまま使い込もうとしたのを奥さんんが必死に止めた目撃談が残っている。
119 名前:匿名さん:2023/08/12 16:31
>>118
>自分は学問に熱中してたけど、
本人は学校教育としての学問には一度も熱中してないよ。
だから、小学校中退。
120 名前:匿名さん:2023/08/12 17:04
>>119
なるほど、だから自分の子も学校なんて行かせなくていいと決めつけたんだね。
でも、論文を書いて、東大に就職したんじゃなかったっけ?
自分は大学で研究しておいて、子どもは学問は勝手に自分でしろという親だったんだね。
立派だねえ・・・・・

資料の譲渡問題については特に感想ナシか。
関西のお金持ちの人が気の毒だったと思うが。
121 名前:119:2023/08/12 17:08
>>120
決めつけたのかは知らない。
子供たちがそういってたの?
122 名前:匿名さん:2023/08/12 17:15
>>120
すごく調べてるんだね。
123 名前:匿名さん:2023/08/12 17:17
また文句言う人が噛みつきに来そうね(笑)
124 名前:匿名さん:2023/08/12 17:44
>>123
120か
125 名前:匿名さん:2023/08/12 18:18
へー、で済んて、私情とかかかなきゃいいのに。
126 名前:匿名さん:2023/08/12 20:45
偉業を成し遂げた。
奥さんを愛し慈しんだ。
127 名前:匿名さん:2023/08/12 22:03
関東大震災の時も家を留守にしていて、妻子が家の崩壊を怖がって庭で過ごしていたら、あとから帰宅して、何が怖いんだ、と自分ひとりだけ家でぐうぐう寝た、というエピソードも。
128 名前:匿名さん:2023/08/12 22:04
>>126
なんだこれ。
具体的なことがひとつも書かれてないし、これこそ余計なレス。
ドラマを見た人が誰でも持つ感想じゃん。
129 名前:匿名さん:2023/08/12 22:58
>>128
あなたのレスの方が余計
130 名前:匿名さん:2023/08/13 05:21
主人公悪口スレではありません。
131 名前:匿名さん:2023/08/13 07:41
>>130
史実を書いただけじゃん
132 名前:匿名さん:2023/08/13 07:48
不遇な妻子を自分に重ねてる人が
悪い逸話だけを殊更に書いてる。

自分を愛さなかった親や元夫への恨みか

その人にとってここは
史実ネタバレスレではなく
私怨を晴らす場所になってる。

私怨で主人公の悪口ばかり書きたいなら
別スレ立てたら?
それとも
このスレ立てた主が張本人か。

醜い。
133 名前:匿名さん:2023/08/13 07:58
活苦から収集した植物標本10万点を海外の研究所に売る決意をした富太郎に神戸の資産家の息子、池長孟が買い取りを申し出る。
この時、池長孟はまだ学生。
孟は父、通の遺産の中から3万円で標本を買い取り、池長会館に所蔵、会館は池長植物研究所と改称される。
富太郎は研究所に毎月通って未整理のままの標本類を整理し、研究を行うと宣言するが、その後、放置。
研究所の一開所式までに整理を行うとしていたのに放棄、未整理のまま開所式が行われ、その後も整理されることはなかった。
池長孟は何度も富太郎に催促するが無視されたため、十数年後、京大に資料を寄贈することを決意する。
すると、富太郎が激怒して講義に押しかけ、うんざりした池長孟は最終的に富太郎にすべての標本を返還して研究所を閉鎖する。

富太郎が故郷に本妻がいたという事実をなかったことにしたのと同様に、この事実も封印され、いまでは表面上はなかったことにされているが、資料は残っている。
134 名前:匿名さん:2023/08/13 11:17
このスレもうダメだ
さよなら
135 名前:匿名さん:2023/08/13 11:21
>>134
ほら。
本当のことを書かれると怒る人がいるのよね。
このスレの意味がないよね。
136 名前:匿名さん:2023/08/13 11:24
>>135
本当の事と
それを勝手に解釈して悪口いうのは違うね。
あなたは事実と悪口の区別付かない人なのかな。

個人的には134みたいなのも悪意ある私感を書き込んでる人と変わらないけどね。
137 名前:匿名さん:2023/08/13 11:32
>>136
133は悪口なの?
史実なの?
どっち?
138 名前:匿名さん:2023/08/13 12:20
史実を書けというスレに、史実を書くとキレられる。
終わってるな。
139 名前:匿名さん:2023/08/13 15:06
ドラマのネタバレもいいよね

この後田辺はキレンゲショウマを新種として発表
やっと自分の名前をつけられる。
そして森が暗殺されて、田辺は大学から追放される。
その後事故死。

徳永が教授になって
万太郎を助手として採用してくれる。

良い流れ
140 名前:匿名さん:2023/08/13 16:13
>>139
田辺が追放されるのが楽しみ〜
141 名前:匿名さん:2023/08/13 21:21
私は、人の不幸は楽しみでは無いです。
142 名前:匿名さん:2023/08/13 21:42
>>134
宣言はいらないです。
どうぞ黙ってお立ち去り下さい。
143 名前:匿名さん:2023/08/13 23:42
植物だけではなく鉱物にも興味をもち、音楽については自ら指揮をとり演奏会も開き、郷里の音楽教育の振興にも尽力した。
植物研究のため、造り酒屋であった実家の財産を使ったが[5]、東京に出る際に親戚に譲った。後に困窮し、やむなく妻が始めた料亭の収益も研究につぎ込んだという。その料亭の件や、当時の大学の権威を無視した出版などが元で大学を追われたこともある。しかし、学内には富太郎の植物に対する情熱とその業績を高く評価する者も多く、77歳まで実に約46年のあいだ、東大植物学教室になくてはならない助手・講師として日本の植物学に貢献した。
144 名前:匿名さん:2023/08/13 23:43
富太郎の金銭感覚の欠如や、周囲の人にたいする彼の振る舞いにまつわる逸話は多い。しかし富太郎を追い出した松村任三自身、若き日研究に邁進する余り、周囲に対する配慮を欠いていたことを認めている。後年、富太郎は松村が明治初頭の植物学の第一の功労者であり、東大植物学教室の基礎を築いた人であると賞讃した。wiki



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