実父との心温まる思い出聞かせてください
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名前:
匿名さん
:2019/11/23 20:59
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「ちゃぶ台ひっくり返すスレ」を読んでいたら、いろんな父親がいるんだなあ、
こういう人が私の父親だったらよかったのに、と心から羨ましく感じてしまいました。
自分の親は取り替えられない。当然なんだけど。
私は自分の父親が母親と同じくらい嫌いで実家にも帰っていないです。
かなりややこしい事情があり、奇特な実家なので。
でも、こういう場所で皆さんのご自身の実父との思い出や
実父への優しい思い、実父から皆さんへの優しさあふれるエピソード、
そういうのを読ませてもらって所謂少女みたいに、妄想を膨らませてみたい
と思いました。50代の婆ですが。
私の実父は人間として「?」な人です。まだ生きています。早くいってほしいと高校生くらいから思っていますが今も残念ながら生きています。
(そして、これは別件ですが実母も厄介な人間です)
学生のころから、友達からお父さんとの楽しそうな話を聞いても、私は「へえ
よかったね」と相槌を打つだけで、決して自分の父親の話はできませんでした。
友達のお父さんの話を見聞きしこういうお父さん、厳しそうだけど
きっと素敵なんだろうなと、子供ながら
考えていました。うちの家とまったく別世界なので。まあ、うちの家族が「異常」なので
そういう中で育った私はやっぱり考え方が偏っているし、自分自身を殺さないとそこで
住み続けられなかった、非常に歪んで育ちました。
なので幼少の思い出はなぜか、楽しかったことは思い出されず、
つらく悲しいことばかりが残っています。小学二年生のころから、布団の中で
毎晩涙が出て一人しくしくと泣きながら寝付いていました。(私の部屋は離れにあったので
一人で布団に入り泣いていても誰も気が付きません)
私には一生絶対に手に入らないものだとうすうす感じとり、自分の未来を悲観していたんだと
今思います。明るい気持ちで寝付いたことはあまりなく、泣きながら寝付いていました。
親は知らなかったと思います。(気づいてくれるはずもないと当時から感じていたし)
暗すぎてすみません! !レスつかないかもしれませんが、よかったら皆さんのお父さんとの
温かくほのぼのできるような思い出話を聞かせてください。
私の一生手に入らない憧れなので、ここで「昇華」させたいです。
※もちろん、私のような実父をお持ちの方からのスレもお待ちしています。
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名前:
匿名さん
:2019/11/23 23:40
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私の父は、私が妊娠中に実家にお世話になっていた時、タクシーの運転手だったので仕事して夜中に帰って来たのにも関わらず、脚がだるくて眠れないって言うとマッサージしてくれました。
そしたらすーっと眠れた。
優しいお父さん大好きだったよ。
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名前:
匿名さん
:2019/11/24 07:22
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私の父は愛情を直接的に表現できない人でした。
性格もひねくれてたし、その割に的外れなことを言い出したりするし。
テレビは毒だとNHKしか見せてくれず、当時友達との会話にもついていけない私は
はっきり言って父のことは好きではありませんでした。
高校生の時、有名な人のピアノリサイタルのチケットが手に入ったから
お母さんと一緒に行ってくるか?とに二枚のチケットを渡されました。
じゃあ、と母と二人で行ったのですが席について見ると隣の席が空いてる。
隣の人、まだ来ないね〜と母と話してたら
なんと隣に父が座ったのです。
???と思ううちにリサイタルが始まり、なんでこんなことをしたのか聞けず。
私も天邪鬼なのでそのまま何も聞かずで帰りにみんなで外食して帰りました。
亡くなったのでもう聞けませんが、たぶんみんなで一緒に行こうと言えなかったのでしょう。
今となっては微笑ましいエピソードとなってます。
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名前:
匿名さん
:2019/11/24 09:15
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私は、子供の頃に母から私が生まれたときの父親の様子を「なんだ、女か」と言われたと何度も聞いていたので、
父は私の誕生を喜んでいないんだとずっと思っていました。
高校生の秋、文化祭で日曜日に登校していたんだけど、帰りに最寄り駅で父が待っていたときがあったので、「どうしたの?」と言っても「いや、別に。ついでだったから」と。
後から母が、「今日、男の子から電話があったから心配して迎えにいった」と聞いて、
その時は「ふぅん」くらいしか感じなかったけど、あとから考えると「娘を心配する父親だったんだ」「私はいらない子じゃないんだ」と少しうれしかった。
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名前:
匿名さん
:2019/11/24 12:47
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外交路の船乗りだった父。
私が生まれた時、母は「ジョジ ウマレタ」と電報を打ちました。
電報を受け取った父は「ジョージ ウマレタ」と読み間違え、
「おぉ、男の子でジョージと名付けたのか」と乗組員全員に
一杯おごったと・・・。男の子だ・・と喜々として帰宅。
おむつ替えまで男の子だと思っていたらしい。
母がおむつを替えるさまを写真に撮ろうとみまがえていたら、
おむつが外れて・・・「え?女の子?」と。
「え?だから、女児産まれた」と電報したでしょ?と母。
「ジョージかと思った…」
早とちりが多い父でした。
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18
名前:
匿名さん
:2019/11/24 13:34
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父親は男の子を欲しがる傾向にあるのかね。
私の父親も私が女でがっかりしたらしい、さらに2番目も女でその時は病院にも来なかったらしい。
父親の姉の子は3人男の子で、自分の子より可愛がってたかも。
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