駄)昔の高校受験
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名前:
主
:2018/03/29 07:47
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駄スレだから暇な人だけ読んでね!
今私は45歳です。
高校受験の時は地元集中で中学の先生がこの成績ならこの学校ね!みたいにおよそ決められていて、ほかの学校を受けたいと言っても「無理です。落ちます。合格しません。」と言い切って希望の高校なんて受験させてもらえなかったし、
公立でも、たとえ成績が良くても授業態度が悪かったり欠席が多かったりしたらどーーんと下の高校しか受けさせてもらえなかった記憶があります。
ふっと思い出したんです。
同級生のある男子。
いわゆる不良ってやつです。
その男子は茶髪にダッボダッボの学ラン、もちろん裏にはカラフル刺繍。
オラオラ系だったけど、なぜか学力はそこそこあったみたいです。
そこそこって言っても偏差値的に50ちょい上くらいだけど、不良仲間からすると彼は「天才」だったはず。
その男子はもちろんその時代の流れで教師からバカ私立専願、もしくは超低辺公立を言われたらしいが、いろいろ頑張って踏ん張って偏差値50くらいの高校を頑として希望してた。
願書出願当日も校門から一歩も動かず駄々をこねふくれっ面に半泣き。
でもやはり当時はそれが受け入れられるはずもなく・・・・・
今までの自分の行いが悪いんだろ?と長々説教クラって親も呼び出され教師と親とで校門で長時間説得しどうにかこうにか出願にはいったらしい・・・・
結局はその出願した低辺公立校に入学したらしいが数か月でやめちゃった。
私は結婚しても同じ地域に住んでいるので今年受験の子供がいたけど同じ学区です。
私のころと今との違いとひしひしと感じている。
私立さえ確保しておけば公立は驚異的な高望みをしない限り受けさせてくれるし、驚異的な欠席数が無ければ受けさせてくれます。
同級生のあの男子が今の時代なら希望の高校を受験出来てもしかして高校中退(中卒)せずにすんだかもねーなんてフッと思い出してしまいました。
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名前:
神奈川
:2018/03/30 13:59
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>>1
本当に変わったよね。
私の頃の神奈川には
ア・テスト(アチーブメントテスト)というのがあって
中2の2月頃に9教科450点満点のテストを受けました。
相対評価で評点計算をするのだけど
各教科ごとに点数分布からの評点が割り振られ、
五教科は1.5倍、4教科は2倍して評点を出すの。
なので実際の点数と評点が逆転するなんてこともあったりした。
事実友達の方が1点高かったのに評点では私の方がよくなっちゃったりね。
なので神奈川では2年生から受験モードになってました。
配分としては
内申4入試4アテ2とかだったかな。ちょっとあやふや。
内申も相対評価だったし、
先生達は学区ごとに本当に上から振り分ける、感じでしたね。
おなじく、全県バランスでは1.1倍程度だったと思うので
同じ学校受ける希望者から1名落ちるかなーくらいだったかと。
大体、各校10〜15名くらいずつだったのでそんな感じ。
今は
内申と偏差値があまりリンクしてないというかね。
なので先生方も私立さえ決まれば、みたいな感じ。
公立は止めないけど保証はしないよ、みたいな。
学区も廃止になったし。
どっちがいいんだろ?
受験する側としては
学区があって相対評価の方がいいような気がしちゃうけど
高校としては
学区廃止で割り振りにしないほうが
結果的に賢い子から採れるので全体的にレベルアップできるのかもね。
そして
そんな訳で
私立もずいぶんレベルがあがってる。
昔、誰でも入れるくらいだった学校もすっかり様変わりして
なんだかいい学校になってる。
時代的にも
教育にかける資金あがってきてるしね。
もうあまり昔みたいな不良とかおちこぼれ、って見かけなくなった。
これがみんな中流家庭になったってことなんだろうな、と思ってみたりする。
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13
名前:
なるほど勉強になる
:2018/03/30 14:39
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>>7
>学校群というのは、昔の都立高にあった制度です。
>
>2校か3校が一つの群になります。
>受験生は群を志望して、合格したら、適当に群の中の高校に割り振られます。
>
>なぜ、そんな制度にしたかというと、都立のエリート校をなくすためです。
>
>例えば、学区のトップ校と2番手校を一つのグループにする。すると、その群に合格できる割合は、2校分の定員なので、入りやすくなります。
>
>私の学区なんか、トップの群が3校で構成されていたので、3番手校まで入れる学力があれば、3分の1の運で、トップ校には入れました。
>
>で、結果は、都立高の人気は凋落し、国立付属や私立に流れました。
へーそうだったのね。
都内在住で2年後受験生。
私が都立受験してないので学校調べから勉強中。
過去には学区ってものがあったんだって知識程度だったから、色々不思議だったのよね。
いっそのこと、都立希望者、合格者を上から振り分けてよって逃げたい気持ちまであった(苦笑)
けど、似たようなことをやって失敗してたってわけなのね。
でも合格者を適当に振り分けってどうやって分けてたのかしら。
トップと三番手の実力じゃ違いすぎるよね。
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14
名前:
学校群
:2018/03/30 14:48
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>>13
わかりやすいように、トップ校と
3番手校と書いたが、群制度以前の順番。
群制度になってからは、当たり前だけれども、
同じ群の学校は、同じレベル。
進学実績も同じような感じでした。
学校群がなくなったら、また、レベルの差がついた。
学校での振り分けは、噂によると、
成績順に、A高、B高、C高、A高、B高、、、、
と割り当てたらしい。
徒歩5分の学校に当たらなかったりということも、
良く聞いた。
私も、群の中で一番遠い高校になった。
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15
名前:
うわ〜
:2018/03/30 15:20
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>>1
46歳です。
主さんどのあたりに住んでるのかな。
私は埼玉だったけど、そんな事はなかったな。
北辰テストという偏差値出すテストが学校で定期的にあって
その偏差値に合った高校をみんな選んでた。
ヤンキーも真面目もみな偏差値で決まったよ。
当時は公立高校の受験は面接もなく、学力テストだけだったし。
だいたいヤンキーは偏差値低い子ばっかりだったけど、
同級生の男の子で1人頭はいい子がいて、偏差値65くらいの
高校に進学してた。
主さんの通ってた中学校は酷いね。
いくら昔と言っても、そんな学校があったとは驚きだわ。
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16
名前:
T市
:2018/03/31 07:28
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>>1
私も育ちと結婚後同じ地域に住んでいて今年受験したので懐かしく感じていました。
本当に今は高校どこでも行けるんだよね。びっくりしたよ。地元集中しか知らない私は当然友達と同じ私立公立を受けました。個人的には悪くなかった。幼稚園からの友達みんなと40越えた今でも仲がいい。地元集中が廃止された以降学校の統廃合も増えたと感じる。その時代で色々違うのもまたいいね
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