"日本軍の命令で自決"、実は創作 渡嘉敷島集団自決で、初証言
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名前:
匿名さん
:2025/03/26 08:59
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投稿日:2006/08/27(日) 12:00:28 ID
第二次大戦末期の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
照屋さんは、旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
同法は、一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。照屋さんらは、赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。大江健三郎さんの「沖縄ノート」では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
その後、作家の曽野綾子さんが調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(一部略)
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名前:
匿名さん
:2025/03/26 11:45
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集団自決で無かったから、なんなんだろう?
沖縄批判したいの?
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名前:
匿名さん
:2025/03/26 13:21
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>>3
そうじゃないでしょ
事実は保護を適用させるためにそういうことにせざるを得なかったこと
沖縄住民のために赤松元大尉は、泥を被ることを厭わなかったこと
この2点を伝えたかったと思うよ
当時の日本の法律が戦争に巻き込まれた沖縄住民を正しく保護できていれば、歴史を変えてまで嘘を公的に残さなくて済んだ
赤松元大尉は、一生世間からの誹りを背負う気概のある立派な人だったというのもこの発表で知れて良かったことだよ
沖縄批判だなんて見当違い過ぎる
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名前:
匿名さん
:2025/03/26 17:57
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>>3
集団自決では無かったとは書いてないでしょう。
集団自決が軍の命令では無かったということ。
>>4
そうね、私もこの記事からは沖縄批判は窺えない。
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名前:
匿名さん
:2025/03/26 19:56
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>>4
ふーん。
歴史を改竄して、無かったことにしたいのかと思ったわ。
うちの母方、ばあちゃん以外は集団自決で全滅して、父方は、生きていたら、私の実のばあちゃんと、おばさんと、従姉妹が亡くなってるから。
軍の命令があったか、無かったかは、わからない。
今生存されてる方は、当時は子どもだから、自分が経験したことを伝えないと!と頑張ってるけど、私のばあちゃんやじいちゃん達は、当時もう大人だから、沖縄戦の話を聞いたら怒鳴られたり、聴かないふりをされたりしたからね。
そのあとも、米軍統治下で大変な時代を生きたからかもしれないけどね。
だから、当事者でも無い人が、自分の都合の良いように歴史を書き換えてるとしか思えない。
沖縄が起こした戦争じゃないのにね。
でも、強くならなきゃね。
強い者の良いように、弱い者はなんでも書き換えられちゃうから。
嫌味でもなんでもなく、次の戦争は勝とうね。
中国に日本の歴史が書き換えられないと、理解できないのでしょうし。
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7
名前:
匿名さん
:2025/03/26 20:01
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あと、母方のばあちゃんのところは、久米島出身だから、鹿山事件も関係してるのかもしれない。
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